『日曜の夜ぐらいは...』と『かしましめし』を分ける“不安感” 友達への依存が今後の課題に
日曜の夜は「また明日から仕事が始まる」と気が滅入り、月曜日を乗り越えても、夜になれば「まだ休みまで4日もある」と途方に暮れてしまう。そんな人たちのお守りになるようなドラマが今期は豊富だ。
もとより、ドラマは次回の放送までまた1週間頑張ろうと思わせてくれるものではあるが、特に現在日曜の夜に放送中の『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系/以下『日ぐら』)と、5月29日の最終回まで月曜の夜に放送されていた『かしましめし』(テレビ東京系)は、その役割をかなり意識した作品のように思える。
市井の人々の日常に光をあてる脚本家・岡田惠和のオリジナル作品である『日ぐら』は、清野菜名、岸井ゆきの、生見愛瑠が演じるラジオ番組のバスツアーで出会った女性3人組の友情物語。一方、おかざき真里の同名漫画を原作とした『かしましめし』は、前田敦子、成海璃子、塩野瑛久演じる同級生の自死をきっかけに再会したアラサー男女3人がかしましくご飯を食べるグルメドラマである。
両者に共通するのは、メインとなる3人の登場人物が人生100年時代において、その4分の1の時期に直面していること。そこで漠然とした不安や焦り、虚しさに苛まれているということだ。6人とも“今日”を生き延びるのに精一杯で、どうやって“明日”を乗り切ればいいか分からない。だけど、「この人は絶対に自分を傷つけない」という絶対的な安心と信用、信頼を寄せられる人との出会いが彼らを“明日”に届ける。いわば、どちらも心の支えを手に入れ、自分の人生を切り開いていく物語だ。そして、その物語自体が観ている人にとって、1週間を乗り切るための心の支えとなっている(いた)。
彼らを見ていると、なぜか「どうか幸せでいてほしい」という願いが溢れてやまない。それは、それぞれの抱えている事情や苦しみが他人事とは思えないからだろう。車イスの母親との二人暮らしを支えるために休みなくバイトを続けるサチ(清野菜名)、家族や友人から疎まれ一人ぼっちの退屈な日々を送る翔子(岸井ゆきの)、自由奔放な母親を持つがゆえに狭い世界で祖母と孤立する若葉(生見愛瑠)。上司のパワハラがきっかけで憧れの会社を退職した千春(前田敦子)、同じ部署の婚約者から突然婚約破棄されてしまったナカムラ(成海璃子)、ゲイである自分を認めてもらうために“楽しい人生”を演じ続けている英治(塩野瑛久)。マズローの欲求5段階説におけるピラミッドの頂点に君臨する“自己実現”など程遠い、承認欲求も社会的欲求も、下手すれば安全欲求すらも満たされていない彼らが身近な存在に思える。だからこそ、彼らが自分に危害を加えてこない相手と穏やかな日常を送れていると、まるでこちらまで救われたような気分になるのだ。
逆に、物語に不穏な影が忍び寄れば言いようのない不安感に襲われる。その点、『日ぐら』は『かしましめし』と比べた時に不安を感じる要素が多いように感じられる。それはひとえに依存度の高さだろう。『かしましめし』の3人は同じ家に暮らしていたものの、日中はそれぞれ別の世界があったのに対し、『日ぐら』の3人は別々に暮らしているが、宝くじで当選した3000万を元手にカフェを共同経営しようとしている。それ自体が悪いことではないが、怖いのは彼らが“信用”の重さに少々無自覚なところだ。数千万もの大金を一つの口座に預け、さらにはその管理をみね(岡山天音)という別の男性に管理させている。