『日曜の夜ぐらいは...』4人なら“寂しさ”さえ“嬉しさ”に サチたちの“居場所”に大きな進展

『日曜の夜ぐらいは...』悔しさすら喜びに

「悔しいって思うのっていいことですよね?」

 はなから期待せず諦めモードだった自分たちの中に“悔しさ”が芽生えていることに気づき、そんなことにさえ嬉しさが込み上げてくるサチ(清野菜名)、翔子(岸井ゆきの)、若葉(生見愛瑠)とみね(岡山天音)。落胆のリップロールだけでなく、悔しさをバネに新たな決意表明のリップロールが力強く鳴り響いた『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系)第6話。

 翔子が探し当てたカフェ候補地のお目当て物件は一歩及ばず、先に借り手が決まってしまう。「悔しい」と思えることさえも贅沢なことなのかもしれない。それだけ想いをかけられる、夢中になれる何かに出会えたってことだから。諦めきれないものに向かっている証拠だから。はなから負け戦ではなく、少なくとも五分五分で勝算がある勝負に臨めているわけだから。そして「一人なら寂しいけど、一緒なら純粋に悔しがれるんじゃないですかね?」というみねの言葉どおり、もう一人じゃないから。悔しさをどこかで笑いに変えながら「その次」を心から信じられる“尊い”仲間を得たのだから。何より自分自身を信じられているということだから。

 若葉の祖母・富士子(宮本信子)とサチの母親・邦子(和久井映見)の“元乙女の人”同士のやりとりもまた同じく尊い。東京に来てから仕事も見つからず孫離れについても考え始めた富士子は、車椅子の邦子の手伝いをし感謝されることで役立っているという実感を得て、自身の存在意義を感じているところがあるのだと正直に告白し、“利用している”節があると打ち明ける。素直で真面目な気持ちの良い人だ。

 別にどんなきっかけだっていいし、誰かが誰かと一緒にいることに理由なんてなくてもいいのだ。それに誰だって自分一人でいたって一向に自分のことなんてわからない。誰かとの触れ合いの中で自分自身の性質や得手不得手を理解し発見していくものだし、対峙する相手がいて初めて自分を意識できるのは誰しも同じだろう。誰かとの対話やお喋りの中で、自身の考えを再発見できたり深めたり拡張できたりするものだ。カフェプロデューサーの住田賢太(川村壱馬/THE RAMPAGE)を囲んで、いつもの4人で話し合うカフェの構想のように。

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