宇野維正×森直人が解説 エリック・ロメールが円熟に達した「四季の物語」シリーズの凄み

宇野維正×森直人がエリック・ロメールを解説

「四季」は人生の「四季」?

宇野維正×森直人が解説 エリック・ロメール「四季の物語」シリーズの凄みの画像4
『春のソナタ』(c)Les Films du Losange

宇野:あと、前回もちょっと話したけど、ロメール作品を日本に紹介してきたシネヴィヴァン六本木で90年代に働いていた人間としてちょっと補足しておくと、ほぼリアルタイムでロメールの新作が日本公開されたのって、『春のソナタ』以降なんですよ。それまで新作でも2、3年は公開までブランクがあったのが、90年代に入っていよいよ追いついた。

――なるほど。そういう時系列になるわけですね。

宇野:そう。だけど、「ロメールのピッカピカの新作だ!」って盛り上がってその当時『春のソナタ』を観てみたら……別にリアルタイム感みたいなものは感じなかったっていう(笑)。

――(笑)。

森:確かにそうだったかも(笑)。僕も劇場で初めて観たロメール作品は『春のソナタ』だったんですけどね。ちなみに大阪の国名小劇という映画館。今はすっかり様変わりしたけど、当時は座席36席という試写室みたいな規模のアートシアターでした。

宇野:「四季の物語」シリーズの4作品は、公開年としてはいずれも90年代の作品だけど、同時代ならではの痕跡みたいなものは、特に作品の中にはないんだよね。そこがロメールのすごいところなんだけど(笑)。もちろんパリの街中にある広告とかは確かに90年代なんだけど、そもそもパリって中心部は2020年代の今でもまったく変わらないくらい景観や建物の保存とかに厳しい、東京とはまったく違うルールで運営されてる街だからさ。それと、その当時の世相みたいなものは、「四季の物語」連作の合間に撮った『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(1993年)には大いに反映されているけど、それもあってかこの4作においては希薄で。もし80年代の作品って見せられたら、80年代の作品にも思っちゃう。だから、本当に日本公開が追いついた感がほとんど無かったっていう(笑)。

――なるほど。

宇野:まあでも、クラシック、古典と言われる作品の佇まいって、そういうものだよね。あと、ちょっと細かい話をすると、『恋の秋』だけはシネヴィヴァンではなく、日比谷シャンテシネ(現・TOHOシネマズ シャンテ)で公開されたんだよね。東京だと、ロメール作品を初めてスクリーンで観たのって、ほとんどの人がシネヴィヴァンだったはずで。じっくりと時間をかけて、ロメール作品のファンを育てていったんですよ。

――シネヴィヴァンは1999年に閉館するので、ある意味、そのあたりで時代的な役割を終えたというか……。

宇野:そういうことも言えるかもしれないし、まだシネヴィヴァンが閉館する前から『恋の秋』がシャンテに流れていったのは、その頃にはロメール作品が一部の映画ファンの間だけで盛り上がるような映画ではなく、より広い層に共有されるような存在になっていったというのもあると思う。ちょっと記憶が朧げなんだけど、深夜のテレビとかではスポットとかも流れていたはず。

森:前回、宇野さんがおっしゃっていた、ロメール映画とオリーブ少女たちの関係みたいなものって、やっぱりあったわけじゃないですか。でも、この時期になると、もうそのトライブの枠組みから外に出ちゃうんでしょうね。もっと一般化して、岩波ホールとかに行くような人たちにも、『恋の秋』は、受け入れられたと思うし。例えば『キネマ旬報』で佐藤忠男先生が、年間ベストの第2位に『恋の秋』を選出されていたのを覚えています。『恋の秋』は、ヴェネチア国際映画祭で脚本賞を受賞していたり、実はめちゃめちゃ王道的な評価が高いんですよね。

宇野:そうなんだ。ちょっとそれは「功労賞」的な意味合いもあったんじゃないって気がするけど。でも、『恋の秋』は特にそうだよね。登場人物たちの年齢がそこでグッと上がって、もはや若者を描いた映画ではない。というか、「四季の物語」シリーズの4本は、主要人物たちの年代が、それぞれ微妙に違うところが面白いなって思って。

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『恋の秋』(c)Les Films du Losange

――『恋の秋』では、40代の女性が主人公になります。

森:そう、そこが「四季の物語」シリーズのひとつのポイントだと思っていて。『春のソナタ』は、その前の「喜劇と格言劇」シリーズに、ちょっと近いんですよね。時代的な区切りで言うと、最初の「六つの教訓話」シリーズは、全部大人の男性の自意識の話。その前に撮ったデビュー作『獅子座』も、実はそういう話じゃないですか。

宇野:特に『獅子座』はロメールの自画像みたいなものが反映されてるよね。そっか、そこからもしばらくそれが続くと言うことも可能かもしれない。日本では公開順がグチャグチャだったから、あまりそういう観方はしてこなかったけど。

森:まさにそういうことで、「六つの教訓話」シリーズまでは、大人の男性というか、ロメールの自画像が反映されているところがあるんだけど、そのあとの「喜劇と格言劇」シリーズになると、それが一気に若者たちの話になるんです。10代とか20代の話ばっかりで。

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――しかも主人公が、ほとんど女性になるという。

森:だけど、世代のレイヤーみたいなものが、実はそこでは描かれていないんですよね。親とかもあまり出てこなくて。

宇野:なるほど。ロメールのティーンムービー時代だ(笑)。

森:そうそう(笑)。ほとんどティーンムービー、あるいはガールズムービーくらいの勢いがあって、「喜劇と格言劇」シリーズでは、学生だったりOLだったりが、主人公として描かれる。『春のソナタ』は、まだそれを引きずっているところがあるというか。高校の哲学教師をしている20代の女性が主人公なんだけど、彼女と音楽学校に通う10代の少女の交流がベース。ただ後者のお父さんも恋愛模様に絡んできて、複数の世代が描かれている。『冬物語』になると、もう20代のシングルマザーの話だから、家族だったり、恋人である中年男性だったり、世代のレイヤーみたいなものが、ちゃんと描かれるようになってくる。

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『冬物語』(c)Les Films du Losange

――『恋の秋』は、主人公たちに娘や息子がいたりしますもんね。

森:そうなんですよ。

宇野:そういうところも含めて、やっぱり「四季の物語」シリーズは、それまでのシリーズとは、ちょっと違うというか。今言った登場人物たちの年齢のバラつきも関係しているんだろうけど、「四季の物語」シリーズは、「人生の四季」みたいなものと、ちょっと重ね合わせているようなところが、やっぱりあると思っていて。『夏物語』になると、やっぱり若者の話に戻るし。

森:それは、絶対あると思います。

宇野:ある種の集大成というか、これまでのものを統合していきながら、それを人生の春夏秋冬みたいなものに重ね合わせていく感じだよね。

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――まあ、90年代と言えば、ロメール自身は、もう70代になっていたわけで。

宇野:そうだよね。まあ、どの作品も、とてもじゃないけど70代が撮った映画には思えないけど(笑)。でも、確かにこのシリーズは、登場人物が重層的だよね。若い世代の話もあるけど、中年の話もあるっていう。

森:あと、僕が今回改めて4本観直して、ちょっと思ったのは……『冬物語』って、基本的には冬の話だけど、最初は夏のシーンから始まるじゃないですか。そのプロローグに当たるパートが『緑の光線』のラストシーンにすごく近いんですよ。『冬物語』は『緑の光線』の後日談っぽいところがあるような気がして……それは今回初めて思ったんですけど、「連作」という意味で言うと、実は『緑の光線』のあとが、『冬物語』なのかもしれない。

宇野:『緑の光線』が1986年で『冬物語』が1992年だから、時期的にも、実はそこまで離れてないんだ。

森:そう。『冬物語』って、冒頭の夏のシーンが終わったあと、いきなり「5年後」の話になるじゃないですか。そういう意味でも、『緑の光線』の後日談的な観方は、まんざら間違ってないと思います。

宇野:確かに。「5年後」というと、ほぼ公開時期のインターバルと同じだ。そう考えると、『冬物語』のあのエンディングの嘘みたいな多幸感はさらに感動が増しますね。まるで、映画作家ロメールのグランドフィナーレみたいな趣さえある。人生とは、それ自体が奇跡だという。

森:だから、「喜劇と格言劇」シリーズと「四季の物語」シリーズのフェーズの違いって、その2つの映画の違いに、割と明確に出ているような気がします。「喜劇と格言劇」シリーズは青春の話だったけど、「四季の物語」シリーズは、さらにそのあと、青春が終わってからの悲喜交々を生きる大人たちの話にシフトしている。

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――なるほど。確かにその通りかもしれないです。

森:それで言ったら、『夏物語』は、もう明確に『海辺のポーリーヌ』(1983年)の続編っぽいじゃないですか。

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『海辺のポーリーヌ』(c)1983 LES FILMS DU LOSANGE-LA C.E.R.
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『夏物語』(c)Les Films du Losange

――確かに。『夏物語』は、『海辺のポーリーヌ』でポーリーヌ役を演じていたアマンダ・ラングレが、13年ぶりにロメール映画に出演した作品でもあるわけで。

森:そうそう。で、『恋の秋』は、『緑の光線』をはじめ、ロメール映画の常連だったマリー・リヴィエールとベアトリス・ロマンがダブル主演しているわけで。そういう意味でも、集大成として位置づけられる。

――なるほど。先ほど宇野さんから「人生の四季」みたいな話がありましたけど、「春夏秋冬」ではなく「春冬夏秋」という順番になっているのは、何か理由があったんでしょうか?

森:いちばん最初は「冬」で、「春」、「夏」、「秋」で終える予定だったみたいなんですけど、「春」が先にできちゃったみたいなんですよね。で、「春」と「冬」が逆になってしまったという。ただ、「秋」を最後にしようというのは、最初のコンセプトの時点からあったらしいです。

宇野:なるほどね。だから、「四季」で撮る、そして「秋」で終わると決めていたところも含めて、本人的にも、ここでひとつ締めるという意図は、あったのかもしれないよね。でも、フランス映画全般の話になるけど、今はもうこういうフランス映画ってほとんど日本公開されなくなったし、されてもあまり盛り上がらないよね。「こういう」っていうのはつまり、白人で、そこそこ裕福で、異性愛者で、知識人で、っていうことだけど。

森:そもそも、フランス映画自体が、こういうパリとか避暑地とかの風景を、あまり描かなくなっているような気がしますよね。マチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』(1995年)あたりから、フランスのザラついた社会状況を反映して、むしろラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』(2019年)のような、いわゆる「バンリュー(郊外)映画」のほうがフランス映画の尖鋭として立っていると思う。

宇野:そうだね。数年前に公開されたオリヴィエ・アサイヤスの『冬時間のパリ』(2018年)とかすごい良かったけど、なんか観ていて、すごく懐かしい感じがした。いかにもロメール作品っぽい変な邦題だけじゃなくてね(苦笑)。まさにそのアサイヤスが、裕福な知識人しか出てこない映画を撮ることに葛藤があったってインタビューで言ってました。

森:まあ、そもそも生活のリアリティもだいぶ変化したというか、かつてのロメール映画に出てくるようなフランス人の方々って、今、どれくらいいるのかっていう気もしますよ(笑)。

宇野:いや、いるでしょ。特にフランスでは、映画監督も、映画関係者も、批評家も、いまだにマジョリティはみんなそこそこ裕福な白人じゃん。それが、自分たちの物語を語れなくなっているのが今の時代ということでしょ。そこははっきり「良くも悪くも」だと自分は思ってますよ。

森:そうですね。だから、その意味でも、ロメール映画の希少性は、増しているのかもしれないですよね。

宇野:そうだね。ただ、さっき森さんが言っていたように、ロメール自身も2000年代に入ってからは、それまでに撮り残していたコスチューム劇だったり、敢えてのジャンル映画だったりを撮るようになっていった。いわゆる日常を描いたロメール映画というのは、今回の4本で幕を引いているわけじゃないですか。それはなにか、すごく象徴的なことかもしれないよね。

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※ザ・シネマメンバーズでは今回、この「四季の物語」シリーズの独占配信開始を記念して、「四季の物語」シリーズのオリジナルアートワークのレコジャケ風ポスターをプレゼント中(有料会員限定)

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レコジャケ風ポスター

■配信情報
『春のソナタ』『冬物語』『夏物語』
ザ・シネマメンバーズにて、独占配信中
『恋の秋』
ザ・シネマメンバーズにて、12月22日(水)より配信
(c)Les Films du Losange
ザ・シネマメンバーズ公式サイト: https://members.thecinema.jp/

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