『エヴァ』完結を前に振り返る“1997年” 『Air/まごころを、君に』と『もののけ姫』

「だからみんな、死んでしまえばいいのに…」

「生きろ。」

『もののけ姫』(c)1997 Studio Ghibli・ND

 1997年、夏。対照的なキャッチの2つのアニメ映画が劇場公開された。庵野秀明監督作品『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(以下、『Air/まごころを、君に』)と宮崎駿監督作品『もののけ姫』だ。

 前者は当時社会現象ともいえるブームとなっていたテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の完結編であり、後者はすでに巨匠として評価されていた宮崎駿監督の引退作とされていた。師弟ともいえる2人の大作の同時期公開ということで、アニメファンの話題を集める。実際『Air/まごころを、君に』の興行収入は24億円をこえるヒットとなり、『もののけ姫』にいたっては193億円と、当時の日本映画で最高の興業収入を記録した。

 しかし『Air/まごころを、君に』も『もののけ姫』も、実はかなり異質な作品だ。前者は実写映像さえ取り込んだある種の前衛さにおいて、後者はそれまでの監督作品では観られなかったリアルな暴力描写において、明らかに過剰といえる。

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 こうした作品が、これだけ一般性を帯びることができたのは、公開当時の日本で若者を中心に流れていた、“ある気分”にあるのではないだろうか。

 両作については様々な切り口での解釈が可能だとは思うが、本稿では20代で2作をリアルタイムで鑑賞した筆者の実感としての“ある気分”について、あの頃を知らない世代のために記しておきたい。

 90年代半ば、すでにバブル経済は崩壊したものの、その経済的繁栄を一度知った世間には、身の丈をこえた欲望と閉塞感で覆われた現実との落差に、当時の流行り言葉でいえば「終わりなき日常」に風穴を開ける“何か”を待つ風潮が、漂っていたように思う。

 そして1995年、1月17日未明に阪神・淡路大震災が、3月20日の地下鉄サリン事件を契機に起こった一連のオウム真理教事件が起こる。大災害とカルト集団によるテロ事件という、まるでB級映画が抜け出てきたようなこれらの出来事は、退屈な日常を破壊すると思わせるのに十分なインパクトを持っていた。連日テレビや新聞で報道されるその非日常な光景や情報に、同情や社会的正義感を抱きながらも、その実ある種の祭典のような昂揚感を覚えた人も多かったと思う。正直20代半ばだった自分もそのひとりだ。

 今にして思えば90年代後半は、80年代の狂騒から覚めて現実に向き合うための準備期間、ある種のモラトリアムの時代だったのかもしれない。その後の長く続くであろう不況や不景気、不穏な未来を見つめたくないという恐れが、世紀末ブームの礎である『ノストラダムスの大予言』にならっていえば恐怖の大王を待望する気持ち、ある種の破滅願望という形で漂っていた。

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