『アーヤと魔女』で宮崎吾朗の真価が試される? フル3DCGで父親の影から脱却なるか

『アーヤと魔女』宮崎吾朗の真価が発揮?

 宮崎吾朗とは何者だろうか。

 世界のアニメーション界に名を轟かす大巨匠の息子、と答えることはできる。しかし、血筋の話ではなく、一人の作家として吾朗監督はこういうタイプだと明快に答えられる人はどれだけいるだろうか。

 この年末に、ようやくその答えが得られるのかもしれない。12月30日に吾朗監督の最新作であり、スタジオジブリの最新作でもある『アーヤと魔女』がNHKにて放送される。

 本作は、すでに発表されている通り、ジブリ初のフル3DCG作品だ。業界最高レベルの手描き職人たちによるハイレベルなアニメーションで世界を魅了してきたジブリがフル3DCGでどんな作品を作ったのか、国内のみならず海外からも注目度が高い。カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションに選ばれたこともあってか英語圏でも数多くの紹介記事を見かける。

 ジブリにとっても、吾朗監督にとっても本作はこれからの方向性を示す試金石となるはずだ。どんな作品になるのか、これまでの吾朗監督の歩みと発言を振り返って検討してみたい。

吾朗監督の苦難の歩み

 吾朗氏が突如監督に抜擢されたのは2006年公開の『ゲド戦記』だった。当初はオブザーバーという立場での参加だったが、候補だった若い演出家が撤退したことで、監督をやることになったという。(※1)父殺しから始まるこの作品は、芳しい評価は得られなかったが興行的には78.4億円の大ヒットを記録した。アニメ制作については門外漢と言っていい状況での抜擢で、現場のベテラン職人に怒られることもあったそうだが、なんとか作品を作り上げた。この時、吾朗氏は監督業についてはピンチヒッターのつもりで、続けてアニメ監督をやるつもりはなかったようだ。

 しばらくジブリ美術館の業務に専念していたが、プロデューサー鈴木敏夫の差配で、また新作の企画を考えることとなり、その時アストリッド・リンドグレーンの児童文学『山賊のむすめローニャ』に目をつける。しかし、そこに父・宮崎駿の介入があり、結局手がけたのは父が企画・脚本の『コクリコ坂から』だった。

 『コクリコ坂から』は、アニメ制作初体験だった前作よりも、そつなく出来上がった印象を受ける。だが、この時の制作過程は吾朗監督にとって前作以上に窮屈なものだったようだ。『コクリコ坂から』の舞台は1963年だが、それは吾朗監督が生まれる前の時代で、宮崎駿が就職した年でもある。「書いたシナリオを渡されて、『はい、やれ』という感じ」だったと吾朗監督は語っているが、前作以上に自分のやりたいことができなかったと感じているようだ。(※2)物語上ではデビュー時に父殺しを果たしたが、実際の制作現場では父殺しを果たすことができていなかったのだ。

 そして、3作目の『山賊の娘ローニャ』では武者修行のような形でジブリの外で作品を作ることになる。そして、従来のジブリではできない手法、3DCG主体の作品作りに挑戦する。原作は元々自分で目をつけていたものだし、方法論も父の積み上げてきたものとは異なるものを選ぶことで、お仕着せ的な企画をやらされる状態から脱却。TVシリーズ全26話の絵コンテを全て担当し、3DCGという技術への手ごたえも得られたようだ。

 この3作目でようやく吾朗監督自身がやりたいこと、作り手としての方向性のようなものが垣間見えるようになってきた。

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