『Away』はなぜアニメーションとして画期的なのか VTuberにも通じる“即興性”を読み解く

『Away』はなぜ画期的な作品なのか

 「即興芝居」という言葉には、特別の響きがある。

 映画には、基本的に脚本があり、脚本に沿って段取りがあり、あらかじめ予定していた通りに撮影が進められる。映画という「プロダクト」は基本的に事前に作った設計図に基づいて予定調和的に作られる。

 しかし、即興はその基本から逸脱し、予定にないものを映画に加える。そうすることで「プロダクト(製品)」に生っぽい感情が加わる。前述した特別な響きというのは、その生っぽさのことだ。

 即興は、「創造的な偶発性」を映画に与える。それは時に綿密に練られたプランを凌駕する効果を作品にもたらすことがある。それは、一回限りの瞬間で再現性がない。もう一度同じことをやらせたら、それはもはや「段取り」であり、即興で生まれた新鮮な感動は失われる。その新鮮さに、脚本に書かれた段取りよりも深い人間の真実が宿ることがある。

 そんな即興が実現できるのも生身の人間がカメラの前で演じていればこそだ。全てをゼロから作り上げるアニメーションには即興はできない。

 これまでは、基本的にそう考えられていただろう。

 しかし、それを覆す作品が現れた。ラトビアのアニメーション作家、ギンツ・ジルバロディス監督が一人で作り上げた『Away』だ。この映画は、脚本も絵コンテも書かずに即興で物語が紡がれた。キャラクターの行動も展開も、ジルバロディス監督が「現場」で全て考えたのだそうだ。

 このアニメーションの新機軸と言える即興重視の作品をジルバロディス監督の証言を中心に語り、さらに近年日本で台頭するポップカルチャーのひとつであるVTuberとも絡めて、アニメーションが即興を獲得したことで何が起こるのかを論じてみたい。

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