『全裸監督』内田英治監督は“海外”を意識 配信プラットフォームに見るローカル言語ドラマの力

Netflixなどローカル言語ドラマに勢い

 内田監督はこの動きについて、「『多様性』こそが映画。そして、それが世界的に、面白い作品が次々に生まれている要因」と述べつつ、日本の現状への危機感も滲ませる。「日本ではとても画一的な作品が多く、ひとつのジャンルを何度も使い回す金太郎飴のような作品がとても多いと思います。それはそれでお客さんが入るからいいとは思いますが、同時にもっと様々な個性があってもよいと思います。とくに、政治的なものや、ジェンダー、人種など、もっとジャンルミックスが進み、社会性と娯楽性の融合が進むことを期待します」。

『全裸監督』

 また日本に限らず、「これだけ、様々な国の人間があちこちに存在するのに、映画やドラマには、相変わらず美男美女だけが登場して、背景である社会や時代性はまったく描かれない」という点にも触れる。「『全裸監督』では時代を描くということを意識しました。時代があり、そこに生きるキャラクターたちが浮き出てくるのだと思います」。こういった思いが、『全裸監督』の中で描かれている1980年という時代と、それを生きる人々の特異性を生き生きと描くことにつながったのではないだろうか。

 ところで、アメリカのコンテンツが世界のエンターテインメント市場を圧倒する中、これまで海外の人々の目に触れる機会がなかった優れた各国のクリエーターの存在を知ることができるようになったことで、彼らがハリウッドをはじめ、自国以外のマーケットで活躍するきっかけになる可能性も今後は大きくなる。彼らがどのような仕事をし、作品が世界の各国でどのように受け入れられるかを、以前よりもはるかに簡単に知ることができるのだ。そして、それは国境の垣根を取り去り、クリエイターやタレントの動きをより活発にすることにつながる。

 そして「世界に進出する」というところで言えば、上で述べたような全世界で観ることのできるローカル言語のコンテンツをローカル市場で作ることと、一人物理的に日本を離れて世界の舞台に出ることは、同じ「世界」をターゲットにしていても、似ているようで全く違う。日本は、映画の興行収入はアメリカ、中国に続いて世界第3位、年間70本以上のドラマと、劇場公開される作品でも600本以上の映画が作られる国である。無理して海外を意識しなくても、十分にやっていける市場と言える。

内田英治監督

 そんな中、海外の市場に出ることに見いだされる意味とは何か? そんな問いに内田監督は、「確かに、日本は内需でほぼやっていけるプチ映画大国。でも、実際に生活していけるのは、ほんの一部かと思います。多くが、やっていけません。それは、アニメ大国でありながら、アニメーターのほとんどが生活苦であるのと一緒かと。よい仕事はベテランに集中するので、若手はさらに厳しい状況です」と、そこで残された選択肢が海外しかない現状に警鐘をならす。

 「海外に出るというよりは、海外で評価され、お金にもなる映画が増えればよいと考えるだけで、決して『ハリウッドに行きたい!』というような発想ではないです。例えば、韓国映画が海外で成し得てきた道はやはり羨ましいですね。自国映画で、自国の言語で、自国の文化を描いて、世界でヒットした作品がたくさんあります。よいところは、学んでいく必要があると思うのです」と、日本を出て海外に出る、という大げさな考え方ではなく、外にある機会を掴み、学べるところは学ぶ、という冷静かつ謙虚な姿勢を崩さない。

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