捉え方で評価が変わる? 『ザ・プレデター』は「ドン詰まりの男子のバカ騒ぎ映画」として満点!

『ザ・プレデター』は捉え方で評価が変化?

 『ザ・プレデター』(18年)上映終了後、左右に座るカップルが絵に描いたように真反対の反応を示した。右は絶賛の言葉と共に笑い合い、左は――海外の方だったらしく、英語だったので正確には聞き取れなかったが、とは言えファッキング・プレデターくらい分かるよと私の中の北野武が呟いた――酷評の言葉をぶつけ合っていた。どちらの意見も分かる。賛否両論、問題作。『ザ・プレデター』は、そういう反応がハッキリ分かれる映画であり、いわゆる「刺さる人には刺さる」映画である。ちなみに、私には刺さった。以下、ネタバレを含むので、予告編以上の事前情報を入れずに観たい方には、読み進めることをオススメしない。

 まずハッキリ言うと、本作はSFホラーではなくブラック・コメディ色が強い。もちろん人は死ぬ。プレデターの武器によって、人体はバラバラに引き裂かれる。ところが、それが怖いかと言われれば……特に怖くはない。何故なら映画全編を通じてギャグが飛び交っているからだ。『プレデター2』(90年)でも、「バスルームからプレデターが飛び出て、お婆ちゃんがビックリ!」というコテコテのギャグはあったものの、基本のトーンはシリアスだった。しかし今回は確実にコメディ要素の方が多い。「とにかくプレデターをカッコよく見せる!」という意味では、『エイリアンvsプレデター』2部作の方が優れていると思う。1のスカー・プレデターの大ジャンプ、2のウルフ・プレデターのコンクリートぶち抜きアッパーなど、AVPは忘れ難い名シーンが盛りだくさんだ。しかし本作は何より当のプレデター本人もギャグを飛ばすなど、“強くてカッコいいプレデター”を期待すると肩透かしを食らうことになるかもしれない。

 また、本作の主役は完全に人間サイドだ。しかも、そのキャラクター性はこれまた1作目の『プレデター』(87年)とは大きく異なる。全員が戦争で心を病んでしまっており、命知らず/怖いもの知らずと言うより、(全ての面において)失うものが何もなく、開き直っているという表現が似合う。いつ死んでもOKというヤケクソなテンションなので、命がかかっているような場面でも『こち亀』、あるいはドリフのようなコテコテのギャグを連発し続けるのだ。こうした姿勢は、いわゆる「緊張が走る!」的な状況でも変わらず、シャレにならない状況でもとんちんかんな発言が連発するので、間が抜けた雰囲気が終始漂う。こうした点は確実に人を選ぶだろう。何しろ予告編では完全にSFホラーアクション風味であり、そもそも『ザ・プレデター』を観に来たのであって、オッサンのワチャワチャを観に来たのではないと思う人も多いだろう。『エイリアン:コヴェナント』(17年)でエイリアンの恐怖を楽しみに来たら、マイケル・ファスベンダーが縦笛を吹き始めた時のような困惑を覚えるのは致し方ないことだろう。

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