菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第1回(後編)
菊地成孔が『ロマンス』に見た、エンタメと作家性の狭間ーー意外なエンディングが示すものとは?
連載タイトルに関して
この連載は“アルファヴェットを使わない国々の映画批評”ということで、邦画から『ロマンス』(8月29日公開/タナダユキ監督)をさっき観てきました。
と、いきなり物凄—く長い余談なのですが、先日、読者の方から「アルフェ<ヴェ>ット」ではなく「アルファ<ベ>ット」では?という投書があったそうで、最近はどのメディアもこうしたお声に敏感なので、ワタシに無断で「アルファベット」と改訂したのですが、ワタシのリクエストにより、約10時間後に「アルファヴェット」に戻させて頂きました。
言うまでもありませんが、読者の方のご指摘のが正しい訳ですし、また、ワタシは実質上ほぼ中卒に等しい学歴ですが、さすがにalphabetのスペルは知っております。しかしながら連載タイトルは「アルフェヴェットを使わない国々の」に戻させて戴きます。本当は「アルファヴェート」ぐらいにしたいのです。「プライヴェート」と似てるし、ゴダールの「アルファヴィル」という映画が好きなので。
と、ワタシはこの件を独自に「BとVだけかよ問題(以下「BVD問題」)」と呼んでおりまして、詳しくは拙著「時事ネタ嫌い(文庫版)」のP214にある「結構良いですよ。メガネ外して観れば」というエッセイをお読み頂けると有り難いのですが、これは読者の皆様の記憶にも新しいであろう、ジャームス・キャメロンの「AVATOR」を、配給会社が「アヴァター」ではなく「アバター」として公開した件をとっかかりに「カタカナ表記のVとBにだけ神経質になる人々は生真面目でであり、悪人ではないが、考えの足りない人々である」という筆者の考えを述べております。
この「BVD問題」は歴史的に根深く、古来の我が国にはVとBに関して、カタカナ表記の使い分けがありませんでした。全部「バビブベボ」、つまり「は行」だけだった訳です。
「フェスティヴァル」は「フェスティバル」、「ヴァイブレーション」は「バイブレーション」、「ヴォイス」は「ボイス」、「ムーヴィー」は「ムービー」、「ヴァレンタインデー」は「バレンタインデー」「ライヴ」は「ライブ」、「ヴォーカル」は「ボーカル」「ヴォランティア」は「ボランティア」「ヴァラエティ」は「バラエティ」といった具合で、現在でも、一種の名残のようにして使用されています。
ところが、90年代当たりから「ヴ」という表記が一般化し(やや厳密に言うと「小っ恥ずかしくなくなり」)、「Bはブ、Vはヴ」という表記が「正しい表記」となりました。
ここに、「Vをブとするのは昔の名残だからまあ許すけれども、Bを「ヴ」とするのは絶対にまかりならん」という、一種の、限定的な厳格主義者達が誕生します。
彼等は「ベッド」を「ヴェッド」、「ラベル」を「ラヴェル」、「バイブル」を「ヴァイブル」、「ロボット」を「ロヴォット」等とする誤記に対しては羞恥的だと嘲笑し、怒り、訂正します。
彼等は勿論正しいです。しかし、あくまでワタシの個人的な考えでは、彼等の方が数段恥ずかしく、みみっちいし、ぎりぎりでバカなのでは?とさえ思っております。
何故なら、英語のカタカナ表記で問題にすべきはBとVだけである筈が無く、LとR、THとS等々、、、、というより、そもそも外国語をカタカナで書いている段階で(英語以外でも)、それは実写がアニメーションになっているのと同じようなもので、BとVだけ目くじらを立てるのは、おおらかな巨視観や、根本的で徹底的な思考をしないまま、単に制定25年目ほどの現行法に関して恥ずかしさに敏感になっているだけのせせこましい行為だからです。
極論的に、ですが、「外国語のカタカナ表記」は、発音記号ごりごりの厳格にやるか、好きなようにこっちのセンスでいじくりまわしてしまうか(中国語はそれの極点的言語でしょう)二者択一しかなく、ワタシは後者の立場です。
「アルファヴェット」に敏感になる人は一生「パソコン」と言ってはなりません。何故なら「パースナゥ・カンピューラ」が近似値的に最適格なので「パスカン」というべきだし、「ツィッター」という名称の撲滅運動に出ないといけない。あれは「トウィター」です。
「トンネル工事」は「タノウ工事」、黒人のジャズミュージシャンの多くは「POP」を「パ」と発音します(「ユープレイパッ?マダファカ」と言われた事があるので「パ?ワティズパ?」と聞いたら「パッ・イズ・パッ!ノーウェイ!!」と言われました)。「フジロックフェスティバル」にはVとBだけでなく、RとLも誤用されており、正しくは「フゥジィ・ゥロック・フェスティヴァウ」である筈です。「バレンタインデー」なんて単語は、世界中で日本のカタカナ表記にしかない(それは、ワタシにとっては素晴らしく豊かな事です)。ぎりぎりまで追いつめても「ヴァレンタインズ・デイ」まででしょう。このイズムの終着駅が「英語は英語でしか表記しない」という、逆の厳格主義であることは言うまでもありません。
ワタシは前述の自著で「アヴァターってPC検索すると<ひょっとして「アバター」?>って出て来て、ちょっと恥ずかしいぞ」と書きました。繰り返しますが、カタカナで書く限り(アルヴェベットで書いたり、英会話の際は、ワタシとて厳格にやっています)、書き手の文責で、好きなようにして良いとワタシは考えます。
ヒップホップのミュージシャンなんか、80年代から「NIGHT」と「NITE」、「THE」を「DA」と、スペルをスラング化して来ましたし、今、楽曲名等で使われる「YOU」は数的に「U」のが上位にあると思われます。ワタシはネット上で「ナルタソ」と表記されていた時期があったと聞いていますが、これを「正しくはナルタ<ン>では?」とガチで訂正したらどうなるのでしょうか?想像もつきません。
「BVD問題」はこうして、歴史的な理由によって、独自に問題化していますが、やがては「LRM(LとRも)問題」を引き起こすでしょうし、「AやIの発音が不規則変化するのはどうしたらいいの問題」も引き起こすでしょうが、前述の通り、究極の行く先はもう決定しています。
という訳で、改めまして連載のタイトルは
「アルファヴェット」にさせて戴きます。読者の方からのご意見に対し、誠実であらんとするあまり、ついつい長々と書きましたが、要するに書き手が自分の文責でやっているのだからそんで良いのです。カタカナで表記してる限り、それは英語ではなく、日本語なのですから。 例えば「菊地成孔の<今月のノンノン・だめだめアーファヴェッド・チネマッド>」というタイトルだったら、バカか?とかクソサムいとかは思われるでしょうが、さすがに「アーフェヴェッドではなくアルフェベットでは?」という訂正は来ないでしょう(来たら凄い。感動します)。
と、この件に関し、反論、御意見、等々がございます方々はリアルサウンドではなく直接ワタシにメールください。今回は投書者が紳士的であったという報告、並びにマス向けである意味も含め紳士的に対応させて戴きましたが、誰にも見えないタイマンだったら容赦も手加減もしません(笑)。
さぞやお疲れでしょう。お茶でも飲んでから本文をどうぞ。