『月下の盤』睦月準也が語る、ミステリで読者を飽きさせない仕掛け「そこにある物語を掘り起こしている」

アガサ・クリスティー賞大賞受賞後の第1作『月下の盤』(早川書房)を刊行した睦月準也。謎の人物からの依頼は、4日後に閉館する東亜ホテルに滞在する「ゴウダトオル」を探すこと。調査開始直後に男の死体を発見した探偵が対峙する真実とは――。一人称私立探偵小説と本格ミステリが融合した圧倒的完成度を誇る本作。ゼロからの着想、私立探偵というモチーフへの葛藤、読者を飽きさせない物語論まで、執筆の裏側をじっくり伺った。
企画を捨ててゼロから始動、『月下の盤』誕生の裏側

――『月下の盤』(早川書房)は一人称私立探偵小説と本格謎解きミステリの要素が融合した作品です。運び屋の少女を主人公にしたデビュー作『マリアを運べ』(早川書房)はいわゆる冒険小説の要素が強い作品だったので、ジャンルとしてはかなり毛色の違うものを書かれたな、と思い驚きました。
睦月準也(以下、睦月):当初、デビュー二作目として考えていた物語は全く別のものでした。ある実在の人物が最期に残した言葉をモチーフにした小説を書こうと思い、担当編集さんにプロットをしっかりまとめた企画書も提出していたんです。ですが結局その作品を書くのは止めて、ゼロから別の物語に取り組み始めて出来たのが『月下の盤』です。
――最初に考えた作品を止めたのはなぜでしょうか?
睦月:予定調和の物語しか出来ないな、と感じたからです。企画書を書いたわけですが、「話の最初から最後まで予め決まっているものをなぞっていくだけなのか」と考えるとストレスを感じてしまったんです。自分は書きたいものの形が最初から決まっている事の方が不安になってしまうタイプなのかもしれません。だから、物語の先をしっかりと決めずに別の物語を真っ新な地点から書き始めようと思ったんです。
――真っ新な地点に戻った後、『月下の盤』の着想はどこからスタートしたのでしょうか?
睦月:「もし居どころが分かっている人間を探す依頼を受けたら」というところから着想を始めました。そういうシチュエーションがあったら面白いな、と感じたんです。そこから「人探しの依頼を受ける人間と言えば、まあ私立探偵だよな」となり、自然と主人公が私立探偵であるという設定が決まりました。元から一人称私立探偵小説を書いてみようという意識があったわけではありません。
チャンドラーや原尞の影

――『月下の盤』は、かなりジャンルの形式を意識して書かれたものではないかと思ったので、少し意外です。
睦月:一人称私立探偵小説に関しては、いち読者として好きな作品はありますが、書き手としてはむしろ敬遠していました。
――何故でしょうか?
睦月:一人称の語りに自分自身が投影されてしまうのではないか、と感じたこともありますが、一番の理由は私立探偵というキャラクターが日本の土壌に合わないのでは、という不安があったからです。ただし人探しの物語を書く以上、しっくりくる登場人物は誰か、となって結果的に私立探偵小説になった感じですね。
――なるほど。とはいえ作品を読むと先行する私立探偵小説を幾つか想起させるような描写も多かったです。知らず知らずの内に様々な作品から影響を受けている部分も多いのでは、と思いました。
睦月:影響を受けた私立探偵小説を挙げるとするならば、定番ではありますがレイモンド・チャンドラー作品かな、と思います。特に体系立てて私立探偵小説を読んでいたわけではないのですが、海外の小説は元より好きで色々と読んできました。その中で強く惹かれたのはチャンドラーですね。何よりも文章が魅力的で、文章から立ち上がる世界観そのものに酔いしれました。
――『月下の盤』の主人公を読んでいて一番、頭に思い浮かんだのは原尞氏の『私が殺した少女』(ハヤカワ文庫JA)などに登場する私立探偵・沢崎でした。
睦月:原さんの<沢崎>シリーズについては、担当編集さんからも最初に原稿を読んでいただいた時に言われました。「沢崎を思い出しました」って。確かに原尞さんの作品は好きですが、そのような指摘をいただいた時には意外だなと思ったんです。『月下の盤』の主人公については特定の先行作品に出てくる私立探偵キャラクターを意識して書いたわけではなかったので。ただ、無意識のうちに作品から受けた影響が滲み出たのもかもしれませんね。
映像コンテンツ時代に「読者の時間を拝借する」ための仕掛け
――本書は舞台が高級老舗ホテルの屋内に限られている点が特徴です。私立探偵小説では主人公が調査のため、あちこちを訪ね回るのが定型的な展開になっていますが、本書はその空間が限定されているところが面白い。依頼を完了するまでの期限が決められている点も物語を盛り上げていますね。
睦月:舞台をホテルに限定しようと思ったのは「居場所が分かっている人物の捜索を行う」というシチュエーションを思いついたのとほぼ同じタイミングでした。探偵が人探しを行う期限がホテルの閉館まで、というタイムリミットを設けたのもシチュエーションと舞台を考え付いた直後くらいです。
――物語の設定は書きだしてから思いついていった感じなんですね。
睦月:そうですね。なぜ高級老舗ホテルが舞台になったのか、なぜタイムリミット型スリラーの要素も入ったのか、という理由を問われると「何となく思いついたから」以外の答えが出てこないんです。書き進めるうちに主人公を活躍させるための条件が自然と思い浮かんでいった、という感覚ですね。最初から空間的にも時間的にも限定されたミステリを書こうと決めて書いていたわけではないです。
――限られた条件の中で依頼を完了しなければならない主人公、という点はデビュー作『マリアを運べ』と共通した部分がありますね。『マリアを運べ』は仕事を遂行するため目の前の障害を越えていく冒険小説の興趣が非常に強い小説でしたが、その興趣は本作にも込められています。その意味では『月下の盤』も冒険小説に近い読み味が一部に含まれています。
睦月:これについては冒険小説の興趣を意識していたというより、主人公が次々と障害を越えていくという形式じたいがあらゆる物語の基本形であると思っているから、というのが理由です。主人公が何か困りごとに遭遇し、それをどのように解決していくのか、という興味で読ませるのは物語の基本ではないかと考えています。本作もデビュー作もそのような形式の物語になっている理由としてはもう一つ、自分に度胸がない面があるからだとも思っています。
――「度胸がない」とは?
睦月:魅力的な謎や主人公がクリアすべき課題を常に提示して惹きつけておかないと、読者は本を閉じてしまうのではないか、という不安がいつもあるんです。特に現代は小説以外にも例えば動画配信など、強い刺激を絶えず受け手に提供するコンテンツが多く存在しますよね。書き手として私が意識してしまうのは同時代の小説よりも、そうした小説以外のメディアなんです。如何に読者を飽きさせないような物語を書いて、小説以外のメディアで受け手が使う時間を「拝借する」ことが出来るのかが大事なのかな、と。ただし現在の自分の力量ではふつうに書いていても読者を引っ張る自信が無いんですね。だからこそ読者から見て明確なミッションや障壁を主人公に用意して、分かりやすいフックで読ませていく傾向があるのではないか、と自分で振り返って思います。
予定調和を拒絶する作家が、次に掘り起こす物語とは
――先ほど「一人称私立探偵小説と本格謎解きミステリを融合した作品」と言いましたが、お話を伺っていくと謎解きの要素も「謎解きミステリを書こう」というジャンルの形式への意識ではなく、主人公のクリアすべきミッションの一つとして睦月さん自身は書かれたように思いました。
睦月:その通りですね。確かに『月下の盤』には探偵が論理的に謎を解く、いわゆる本格謎解きミステリと呼ばれる興趣はありますが、それはあくまでも読者を飽きさせないための一つのギミックとして入れ込んだに過ぎないんです。
そもそも私自身、読者として本格謎解きミステリにそれほど親しんできたわけではありません。アーサー・コナン・ドイルやアガサ・クリスティー、横溝正史など古典として有名な作品は一通り読んでいるつもりではありますが、『月下の盤』を書くにあたって特に影響を受けたものなどは思い浮かばないですね。もっと正直に言ってしまえば、「本格ミステリ」という言葉が一体どういう物語を指すのか、あまり理解できていない気がします。
――『月下の盤』で展開される謎解きの要素はたいへんに密度が高く、よく作り込まれたものだと感じました。ですが私立探偵小説の要素同様、特別にジャンルを意識したものではなかったんですね。
睦月:今回の作品で謎解きの部分を高く評価いただくのはたいへんに嬉しいです。他方で「自覚的に謎解きを作り込んだ」という思いはあまり無いんですよね。謎解き部分の構築も、書き進めていく内に思い浮かんでいったものです。辻褄が合わない箇所が出てくれば少し前に戻って修正する、ということを繰り返して書いていったという感覚で、謎解きを成立させるために設計図のようなものを細かく作ったわけではないです。
――それでも結果的に私立探偵小説と本格謎解きミステリ、双方のジャンルファンを唸らせるような作品が出来上がったというのが面白いです。
睦月:先ほども申し上げた通り、私は予定調和の物語を書いていくことに対して忌避感が強いんです。やや抽象的な話になりますが、自分は物語を作っているというより「そこにある物語を掘り起こしている」という感覚で小説を書いている気がします。つまり小説を書いている途中ではどういう方向へ物語が行くのか、自分自身でも見当がついていない。でも何が起こるのか作者自身でも分からない状態にこそ、物語を書く意味があるのではないかと思っています。
次作以降の執筆予定については、具体的な案はまだ何も浮かんでいません。『月下の盤』を書き上げたばかりという思いが強く、頭を切り替える状態にないということもありますが、それ以上に「掘り起こすべき物語」がまだ見つかっていないという気持ちがあるからです。ただ掘り起こしてみたい物語が見つかれば、自然と第三作が出来上がってくると思います。
■書誌情報
『月下の盤』
著者:睦月準也
価格:2,530円
発売日:2026年9月3日
出版社:早川書房
























