なぜ私は旧統一教会問題に異議を唱えるのか ノンフィクション作家・福田ますみが危惧する「異論を許さない空気」


第6回新潮ドキュメント賞受賞作であり綾野剛主演で映画化された『でっちあげ−福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)の著者・福田ますみが、昨年11月『国家の生贄』(飛鳥新社。以下、本書)を上梓した。本書は発売2ヶ月で4刷とよく読まれている。
本書は安倍元首相銃撃事件に端を発する、いわゆる「旧統一教会問題」を扱ったルポルタージュである。しかし、その内容は旧統一教会(現世界平和統一家庭連合。以下、旧統一教会とする)に批判的な主流の論調とは真逆を行く。文部科学省による解散命令請求には疑義を呈し、高額献金裁判や宗教2世問題に沸騰する世論には「魔女狩りだ」と異議を唱える。なぜ旧統一教会の”味方”にも思える立場をあえて取るのか。批判を恐れず、「メディアと世論の暴走の危機」を訴えるのはなぜか。福田に話を聞いた。
「これって魔女狩りじゃね」

ーー本書は月刊『Hanada』での旧統一教会問題に関する連載をまとめた内容です。本書の第一章にあたる最初の記事が掲載されたのは同誌2022年12月号ですね。
福田ますみ(以下、福田):取材を始めたのは2022年8月でした。安倍元首相が銃撃された約1ヶ月後で、メディアも教団へのバッシングで埋め尽くされていた時期です。ワイドショーでは過剰におどろおどろしい演出がされて、まるで教団が日本を裏で操る「悪の秘密結社」かのような報じられ方でした。
ーーそうした時期に世論とは真逆の方向で取材を始めたのはなぜでしょう。
福田:きっかけは前作『ポリコレの正体』(方丈社)の取材で知り合った『世界日報』(旧統一教会と関係が深いとされる日刊紙)の編集委員の方です。アメリカのポリティカル・コレクトネスの事情に詳しい識者を探していたとき、ある月刊誌で彼が対談していたのに目が留まって取材を申し込みました。
本書にも書きましたが、当時、私は宗教全般に興味がなく、その編集委員の方が旧統一教会の信者かどうかにはあまり関心がありませんでした。結果的に彼は現役信者でしたが、むしろ物腰の柔らかさや知識の豊富さ、私の質問に過不足なく回答する明敏さのほうが印象に残りました。
その後、しばらくして安倍元首相の事件が起こります。メディアは旧統一教会の報道で一色になりましたが、私はどうしても違和感が拭えませんでした。取材した彼とメディアが報じる旧統一教会の信者像がどうしても結びつかない。「悪の秘密結社」の一味には、とても思えなかったわけです。
このイメージのギャップには非常に悩みました。そんな頃にネットを眺めていたら、旧統一教会のニュースに「これって魔女狩りじゃね」とコメントしている書き込みが目に入った。教団への批判がほぼすべてを占めるなかにポツンとあった書き込みに、私は目を覚まされたような気がしました。そうか、この状況は魔女狩りだと。メディアと世論が一体となって異論を許さない言論空間を形成している。それはファシズムに他ならないと。そう考えて、先の編集委員にメールを送り、教団を取材させてほしいと打診しました。
ーー本書では、旧統一教会の現役信者の声を数多く取り上げています。しかし、内部から取材をすると「教団の味方をしている」と決めつけられるリスクもあると思います。
福田:連載を続けるなかで、何度も「福田は洗脳された」といわれのない言葉を浴びました。正直なことを言えば、取材以前は私も教団に不気味なイメージを持っていました。初めて教団の本部を訪れた際は、鬼が出るか蛇が出るかと戦々恐々としていたほどです。
しかし、ここは強調しておきたいのですが、実際に現役信者の人たちと接すると、世間的なイメージが馬鹿馬鹿しいと分かります。私が顔を合わせた現役信者たちは、拍子抜けするほど普通の人たちばかりでした。さらに、取材を続けるなかで、信者に対する強制改宗を目的とした拉致監禁の残忍さや卑劣さも知りました。
こうした教団の実像は全くといっていいほど主流のメディアでは報じられません。ならば、取材した事実を世に問うのはノンフィクション作家としての責務です。教団の味方をしているとか、洗脳されたとか、レッテルを貼られるリスクよりも世に知られていない事実を広く届けたいという思いのほうが勝ったのだと思います。
ーー取材を始められた後、教団の関連団体が主催するシンポジウムにも登壇されています。どのようなスタンスでのぞんでいるのですか。
福田:関連団体のシンポジウムの参加者は現役信者の人たちがほとんどなので、取材した内容を共有する主旨で登壇しています。一方で、講演の動画は多くがYou Tubeに投稿されているので、教団をめぐる問題に興味がある一般の方にもぜひ見てほしいとは思っています。とはいえ、一般層にはなかなか届いていないのが実情ではありますが。
信者は「マインド・コントロール」されているのか?
ーー本書では「洗脳」や「マインド・コントロール」といった世間的な見方に疑義を呈していますね。
福田:今や一般にも浸透したフレーズですが、「マインド・コントロール」が心理学的にも精神医学的にも根拠薄弱な概念であることが、あまりにも知られていなすぎます。実際に欧米では、マインド・コントロールの理論はほぼ否定されています。
イギリスの宗教社会学者のアイリーン・バーカーは、1979年から1983年にかけてイギリス統一教会へのフィールドワークを実施していますが、修練会(教義の学習や交流などを行うイベント)の参加者のうち入会したのは全体の13%、1年後に教団に残っていたのは7%、2年後には5%、4年後には4%でした。時間を経るごとに脱落者がどんどん出ており、布教の過程でマインド・コントロールなど出来ていないことが分かります。
それにもかかわらず、世間では現役信者が心理操作を受けているロボットであるかのような物言いがまかり通っている。そもそも人がどのような信仰を持つかは、憲法に基づく内心の自由に保障されています。他人を「マインド・コントロールされているんだ」と決めつけて、不当な扱いをする権利など誰にもありません。それは自由の迫害であり、紛れもない人権侵害です。
ーー本書でも、誇張されたマインド・コントロール論が拉致監禁による強制改宗を正当化したと指摘しています。
福田:教団のまとめによれば、1966年から2014年までに4,300人以上の信者がマンションの一室などに閉じ込められ、外部との通信や移動の自由を奪われたうえで、強制的に改宗を迫られました。なかには、武器や手錠などを用いて拉致監禁が行われたケースや、12年5ヶ月という長期間に渡って親族や脱会活動を支援する人物に監禁されたケースもあります。ちなみに、その12年5ヶ月間に渡って監禁された男性は、2011年に拉致監禁の関係者を相手に民事訴訟を起こし、2015年に総額2,200万円の損害賠償命令という判決を勝ち取っています。こうした問題が、高額献金などの問題に比べて報道で取り上げられないのは極端な偏向です。
どのような理由があろうとも、身体の自由を奪い、強制的に監禁する行為が肯定できようはずがありません。しかし、マインド・コントロールがマジックワードになって暴力や人権侵害が正当化される。「信者はマインド・コントロールされているのだから聞く耳を持つ必要はないのだ」と。
皮肉なことですが、教団の調査によれば、信者への拉致監禁による改宗率は60%を超えます。バーカーの調査と比較すると一目瞭然ですが、教団側が行なっているとされる”マインド・コントロール”より、拉致監禁による強制改宗のほうがよっぽど効力があります。物理的な暴力を用いているのだから当然ですが、私には「洗脳しているのはどちらの方だ」と思われてなりません。
「反カルト」が「カルト」に陥るとき
ーーそうした行為を本書では「反カルトのカルト性」と批判していますね。
福田:カルトを攻撃するためならば何をしてもよいし、どのような手段も肯定されるという発想、それこそがカルト的です。
残念なのは、脱会活動の支援者らに煽られ、信者の親族が拉致監禁に手を染めていたことです。旧統一教会を巡っては「宗教2世」の問題がクローズアップされましたが、国連の採択する自由権規約は、父母が自らの信仰に基づいて子どもを教育する権利を認めています。もちろん子どもには従わない権利がありますが、信仰継承そのものは国際法に保障された権利であり尊重されるべきです。
一方で、拉致監禁のほとんどは成人した信者に対して行われていました。成人は独立した個人として尊重されるべきであって、いくら親族とはいえ信仰や自己決定には立ち入れないはずです。それなのに「宗教2世」の問題ばかりが、親による子どもへの権利侵害だと騒がれる。あまりにも不均衡な状況だと思います。
ーーおっしゃることは理解できます。ただ一方で、旧統一教会の教義や合同結婚式のような行事、高額な献金などが、一般の感覚とかけ離れているのも事実です。その乖離が世間からの批判を強めている側面はあります。
福田:本書のあとがきに紙幅を割いて書きましたが、私自身も旧統一教会の教義には違和感を持っています。詳しくは本書に譲りますが、世俗にいる私にはどうにも理解し難い内容が少なくない。
しかし、よく考えると、キリスト教の教義も額面通りに受け取ればかなり現実離れしています。処女懐胎や十字架にかけられたのち三日で復活したといったエピソードを事実だと思っている人は日本には少ないでしょう。そもそも宗教は世俗の常識や社会通念を超越しているからこそ現代社会へのアンチテーゼとして機能するのであって、一般の感覚と乖離しているのは当然です。
ところが、キリスト教の信者に「その教義は嘘だ」「あなたは騙されている」と迫る人はほぼいません。キリスト教は2000年もの歴史を持つ世界宗教だからです。それは裏返せば、新興宗教の信者には偏見や差別が向かいやすいとも言えます。宗教マイノリティへの偏見や差別は、社会的な迫害にも繋がるリスクがある。実際に、戦前の日本では、「国家神道」体制のもと大本やひとのみち教団(PL教団の前身)といった新興宗教が弾圧されています。日本国憲法における信教の自由は、国家による宗教弾圧の反省のもと定められたはずでした。
だから、仮に特定の宗教団体の教義や行事が、世俗の私たちの目に奇異に映ったとしても、否定したり、あまつさえ罵倒したりするのは厳に慎むべきです。もし法律違反などがあれば、その都度、個別の行為を罰すればよいのであって、宗教の教義や世界観を否定するのは世俗の傲慢に他なりません。
昨今、「マイノリティへの配慮」という言葉が巷には溢れていますが、宗教マイノリティに対しては配慮がまったく欠如してる。この状況はおかしいと強く訴えたいです。
現代社会は「被害者」を疑うことができない
ーー福田さんは著作の『でっちあげ−福岡「殺人教師」事件の真相』が2025年に映画化されました。福岡県のある小学校での出来事がメディアの報道をきっかけに苛烈な体罰事件にでっちあげられていく過程を描いています。本作のテーマも「メディアと世論の暴走」ですね。
福田:この事件の状況と、旧統一教会を巡る状況は確かに似ています。メディアが一定の方向に暴走しはじめると軌道修正ができず、当初想定したストーリーに反する事実は報道できなくなる。その結果、実態とかけ離れた巨大な虚像が出来上がってしまいます。
「メディアと世論が同じ方向を向いている」という点でも、二つの事件は共通しています。昨年、「オールドメディア」が流行語になりました。もっと露骨なものでは「マスゴミ」という言葉も定着している。それほどメディアに対する懐疑や不信が高まっているのに、こと旧統一教会の問題については、メディアの報道に世論が完全に追随しました。これは『でっちあげ』の事件の構図と非常に似ている。こうした状況では異論を挟むことすらできない異様な空気が醸成されます。まるで言論統制国家のようです。
ーーそうした抑圧的な空気には抗わなければいけないと。
福田:少なくとも、立ち止まって考える必要があると思います。ただ、難しいのも分かります。現代は「被害者」を疑うことができない時代です。ある訴えに対して、客観的に事態を検証したり、中立的な立場を取ろうとしたりすると、「被害者を疑うのか」と非難の声が山のように飛んできます。
しかし、事実を見極めるには「それは本当の被害者なのか」と疑う視点も同時に持たなければいけない。でなければ、被害者を自称すれば何でもありの「言ったもの勝ち」になってしまう。本書でも、高額献金の被害を訴えている元信者たちの一部が「被害者」とされるに至る仕組みを検証しているので、ぜひ読んでほしいです。
いずれにせよ事実を検証するには、被害者の言い分を聞き、加害者の言い分にも耳を傾け、客観的な証拠を収集して、冷静な視点で評価をしなくてはいけません。被害者や加害者を初めから決めつけてかかるのが最も危険です。それが現代における基礎的なメディアリテラシーではないでしょうか。
■書誌情報
『国家の生贄』
著者:福田ますみ
価格:2,420円
発売日:2025年11月22日
出版社:飛鳥新社
















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