大前粟生×吉田恵里香が語り合う、対話する物語の必要性「一人ひとり違うのは当たり前だし、違う意見を持っていてもいい」

〈現代社会では、自分を守るために、弱くいることが求められるんです。みんな、チワワのようになりたいんですよ。弱くなりたいんですよ。〉――小説『チワワ・シンドローム』で大前粟生さんは「人を傷つけないようにする」社会の動きを利用して生まれるひずみを、鋭くえぐりだした。
新作『物語じゃないただの傷』(河出書房新社)もまた、みずからの「傷」を利用して生き抜こうとする二人の男の物語。“男のくせにフェミニストやポリコレにおもねった”発信でメディアに引っ張りだこの後藤と、彼をある秘密を盾に脅す片脚の悪い男・白瀬のいびつな同居生活を描き出す。
「増幅していく差別と偏見と絶望を受け止めた先に、大前さんは一筋の光を見出す。」と同作にコメントを寄せた脚本家・小説家の吉田恵里香さんとの対談が、6月7日に行われ、6月末までアーカイブ配信中だ。その一部を、ここに抜粋する。
「察して」ではなく対話する物語の必要性

大前粟生(以下、大前):(『虎に翼』は)ジェンダーとか、セクシャリティとか、家族の問題とか、「まあ、そういうもんだよね」みたいにされてきたものを、主人公の寅子はそのまま終わらせることを絶対にしない。その場にいる人が、全員が損をしない形になるまでずっと対話を重ねている。今、放送している吉田さん脚本の『前橋ウィッチーズ』もそうなんですけど、対話というものを骨格としてエンターテイメントを作るスペシャリストだなと思いました。
吉田恵里香(以下、吉田):『物語じゃないただの傷』で描かれているのも対話ですよね。私は、対話をしないことには始まらないと思っているというか、「察して」が嫌なんですよ。「察する」って結局、自分の中の偏見や邪推でその人を構築していくから。『物語じゃないただの傷』の主人公・後藤も、最初の方は伝えたいことや信念はあるけど、結局は切り捨てている人がいっぱいいるじゃないですか。でも突如、白瀬が来たことで、すごい嫌悪感をむきだしにする。それがすごく面白いなあと思って。今、世の中で話されていることの三歩ぐらい先を行くテーマだなと思いました。訴えることで消費されてしまうものとか、男性性とかも含めて。
大前:書いたきっかけとしてはすごくシンプルで。立場や収入の違う男性同士って、大人になると関わるどころか話す機会自体が全然なくなるなと思って。それがすごくもやもやしたんですよね。それにSNSを見ていると、意見が違うこと=分断みたいになっているというか。意見が違うだけで、本人たちにはその気がないのに、勝手に切り抜かれたりすることで、対立軸とさせられてしまうことが多いと思ったんです。一人ひとり違うのは当たり前だし、違う意見を持っていてもいいのにな、みたいな感じで、シンプルなもやもやをまずは書きたかったんです。
吉田:なるほど。
大前:で、どうせならちょっと極端な登場人物を出したかったんですよね。普段、生活している我々と地続きだけど、極端だと感じられる考えを持つ人として、インセルっぽい登場人物の白瀬が生まれました。世の中に対して、なにか強い憎しみを持っているなら、それを知りたいというか、書くことで迫っていけたらなと思って。そんな彼が対話する相手はどんな人だろうと考えたときに、白瀬に対して説教する人物にはしたくなかったんですよ。考えていることがどうであれ、上から否定するような描き方をすると、現実にいる白瀬みたいな人には、たぶん届かなくなっちゃうと思ったから。
それで、できるだけ対等というか、白瀬とちゃんと喧嘩ができる相手として後藤が生まれました。まあ、対等と言っても、弱みを握り合うようなちょっといびつな関係なんですけどね。後藤は、あることがきっかけで男性性を告発するような活動をしているんですけれど、いつのまにかそれが「大衆にウケる」こととしてテレビに出るようになり、その発言や考えが台本として回収されていって、そのこと自体に自分でむなしく思っている。そんな、ちょっと複雑な感情を持った人をペアにしてみました。
「こういう人になりたい」のか「こういう人に見られたい」のか
吉田:物語の登場人物にする時に、本当はシンプルな設定にするのが一番、わかりやすいし間口が広くなるんですよね。でも、過去を含めて内包的な部分をあまり均(なら)さない、その人物造型が私はすごくよかったと思います。私も普段、イベントや講演会に参加していろんな人たちの前で話すんですけれど、みなさんの辛いと感じていることに寄り添って、「怒っていいんだよ」と言っていきたい気持ちはありつつ、そうすること自体が私の生業になってしまっていることの葛藤もあって。なりたい理想の自分と、求められている自分を行ったり来たりしながら、どうにか自分の納得したものを出していくしかない立場なので、後藤の気持ちも「めっちゃわかるなあ」と思いました。
大前:ニッチなキャラクター造形ではあるんですけれど……ただ、今は単にSNSをしているだけの普通の人も芸能人化してきている気がして。実際に晒されている人もいますし、今は大丈夫でも何か失敗したら晒されるかもしれない、だからあまり無茶なことはできないという恐怖はある。たぶん、SNSが週刊誌的な役割を持ち始めていて、誰もが「蹴落とされたらどうしよう」とか「ウケなきゃ」という意識を内面化しちゃっているよなあ、と。だから後藤の感じも、実際には人前に立つ立場でない人にも、ギリギリ伝わったらいいなと思いながら書いていました。
吉田:後藤側の人間でいたい、と思ったときに、自分の行動が後藤的でありたいと思うのか、それとも後藤みたいな人間だと思われたいのかで、ちょっと変わってくるじゃないですか。後藤自身が「こういう人間だと思われたい」という部分が出てきたところから、実際の自分との間にギャップが生じてしまう、というのがすごくリアルだなあと思いました。
SNSで、匿名で発言している人は、よくも悪くもその場所でしか自分を体現できないから、「こういう私/僕なんです」ってことを主張するしかなくなっていくんだと思うんですよね。人となりと発言がどうしてもダイレクトにリンクしてしまう。だから、思っても言わないことが増えたり、逆に思ってもいないことを発言して極端になっていったり、両面が生まれてしまう。それが匿名性の限界だなあ、とも思います。直接対話することでしかわからないものがある、ということが可視化されてしまったというか。そんなことを考えていたときにこの小説を読んだから、後藤はもちろん、白瀬の気持ちも、すべてではないけど、よくわかるなあと思ったし、今はSNSにまったく触れたことのない人のほうが少ないから、何か伝わるものがあるんじゃないでしょうか。
矛盾する内面性をもった、キャラ化できない登場人物を書きたい
大前:物心ついた時から、教室の雰囲気とかで「あいつはこういうキャラだから」「自分はこういうキャラじゃない」っていうふうに、生きてるだけで「キャラ」にまみれている気がしていたんですよね。人って本来はとても複雑な存在なのに、というか複雑だからこそ、コミュニケーションにおいてはキャラ化が求められてしまう。それがすごく、嫌だったんですよね。僕は、自分を一貫性のあるキャラクターとして打ち出すことができないし、他の人もしんどいんじゃないかなあ、と。それは物語を書くうえでも同じで、登場人物をキャラクターとして加工しないといけないことにも抵抗がある。できるだけ生っぽくしたいし、矛盾した人物像にしたいと思っているんです。荒々しい登場人物を描きながらも、物語として破綻しないギリギリのラインを見極めながら書きたいという気持ちが、今作はいちばん強いかもしれません。
吉田:カテゴライズしないと疲れちゃう、っていうのもあると思うんです。繊細で多感な人ほど、できるだけカテゴライズしないように、一つひとつのことに向き合って考えるからこそ、しんどくなってしまう。そうならないために、いいことではないんだけれど、誰かをキャラクター化したり型に当てはめてしまうことって、あると思うんですよね。でも、その過程でふるい落とされたり漏れてしまったりするものにこそ、大切な何かがあるんじゃないかと思うし、大前さんの小説でも、そこを掬いとろうとしているのが伝わってきます。
最近、主人公のいい部分しか書かない物語が増えている気がするんです。もちろんそのほうが、ストレスなく安心して読める、というのはわかる。及第点をとれる間口の広い作品を生み出すためにも、それがベストだということもわかるし、そういう作品を否定するわけではないんだけれど、どうしても私は「どんなに良い人でも悪いところはあるだろう」と思ってしまうんですよね。「こんなにかっこよくても、洗濯機にティッシュを入れて回すこともあるだろう」「ペットボトルのゴミ箱に可燃ゴミを入れたこともあるだろう」みたいな(笑)。そういう積み重ねが大事な気がして、物語を書いているから、大前さんのおっしゃることは、すごくよくわかります。
※続きは配信動画にて
■配信イベント詳細
大前粟生×吉田恵里香 『物語じゃないただの傷』刊行記念トークイベント
出演者:大前粟生、吉田恵里香
配信期間:2025年6月7日(土)~6月30日(月)※リクエスト多数のため、配信期間を延長しました。
小説『物語じゃないただの傷』単行本付き配信チケット価格:2,500円
配信チケット価格:1,000円
主催:リアルサウンド ブック編集部
協力:河出書房新社
参加対象者:下記webサイト『blueprint book store』にて、配信チケットを購入した方
■書籍情報
書名:物語じゃないただの傷
著者:大前粟生
仕様:46判上製/144ページ
装丁:川名潤
発売日:2025年3月21日
税込定価:1,892円(本体1,720円)
ISBN:978-4-309-03950-3