“戦う女性”がヒットのキーワード? マンガ大賞受賞『ありす、宇宙までも』なぜ心を揺さぶるのか
“戦う女性”を描いたヒット作が次々と誕生
ところで『ありす、宇宙までも』のテーマ性を少し抽象化して、「社会で抑圧されていた主人公の逆襲」と捉えるなら、ここ数年類似したフィクションがいくつも生み出されているように見える。
たとえば映像作品でいうと、ヨルゴス・ランティモス監督が手掛けた映画『哀れなるものたち』が挙げられる。同作は脳が赤子、身体が大人というアンバランスな状況に置かれた女性・ベラが、理不尽に満ちた社会のルールを学び、乗り越えていくというストーリーだ。
また吉田恵里香が脚本を手掛けたNHKの朝ドラ『虎に翼』も、日本で初めての女性弁護士となる主人公・寅子が、理不尽な社会構造を認識していき、“法律”という手段によってそれと対峙する話なので、ある意味では似ているかもしれない。
いずれもポジティブで力強いメッセージが込められているが、これは『ありす、宇宙までも』にも共通する特徴。犬星が主張する“子どもには未来を変える力がある”という信念には、その一端が示されている。社会の抑圧に耐えながら生きている人にとって、勇気と救いを与えてくれる作品と言えるのではないだろうか。
その一方、『ありす、宇宙までも』では、誰かと支え合いながら前に進むという姿勢も丁寧に描かれている。朝日田は両親を失い、何者にもなれないと諦めていたが、犬星との出会いによって自身の新しい可能性を発見。そしてそのサポートを受けることで、徐々に自己実現のための方法を手に入れていく……。
たとえば第4話から始まる「宇宙飛行士選抜ワークショップ」は、印象的なエピソードだった。これは宇宙飛行士としての適性を競い合う模擬試験で、朝日田は優秀な中学生たちに混ざりながら、自身の長所を生かすことで試験を勝ち抜いていく。その長所は元々彼女のうちで眠っていたものだが、それに気づくきっかけを与えたのが犬星だった。
重要なのはここで朝日田が犬星の指示を受けるのではなく、1人でワークショップに挑んでいること。すなわち、犬星はあくまで才能が開花するための手助けをしているだけであって、“人形扱い”していない。
さらに2人の関係は必ずしも一方的なものではなく、逆に朝日田の方が犬星に新たな気付きを与えることもある。いわば二人三脚で自己実現を目指していく“バディ”の関係に近いだろう。
言い換えると、同作は社会に抑圧された子どもが孤独な戦いを強いられる物語ではない。だからこそ、どこかやさしさを感じさせる部分があり、多くの人に受け入れられているのかもしれない。
ここ最近、さまざまなところで注目を浴びている“戦う女性たち”の物語。『ありす、宇宙までも』は、そんな大きな流れのなかで生まれた1つの金字塔ではないだろうか。























