SNSと虚構の時代を生きるためにーー「デス・ゾーン」「ヤンキー 母校に恥じる」河野啓に訊く、私たちができること

河野啓インタビュー

  アメリカ大統領選や兵庫県の知事選挙を挙げるまでもなく、SNSは個人の投稿をするものに止まらず、政治に利用されるほど巨大なメディアとなった。選挙の候補者や関係者がメディアを利用してイメージを作り上げ、過激な発言で世論を惑わせることがある。

 普段、筆者はビデオゲーム関係の取材を主としているのだが、気になることはある。このジャンルではSNSや動画サービスが密接に繋がっている。そこで一部のクリエイターや関係者がSNSで自らのイメージを作り上げ、出資を募る姿も少なくない。たとえば「世界一面白いアクションRPGを作る」と極端な発言で興味を引くようなクリエイターなどが登場している。簡単に参入できるSNSの台頭以降、ある意味で自分の実力以上の「虚像」を作ることが容易になったことで、むしろ本人が混乱する問題が身近になったように思える。

  教育者の鳥羽和久氏は「政治と演技性についての考察」にて「若い世代は演技的であることがデフォルト」であり、昨今の政治に関して「嘘と欺瞞に満ちていながら普通の人としてふるまうあの演技力が買われている」、「ある種の現実性を見て共感的に熱狂しやすい」と指摘している。「演技的である」の背景には、一人一人がSNSなどのメディアを持てることも無関係ではないだろう。

  こうした問題に関して、何らかのヒントを読み取れる書籍がある。2018年に亡くなった登山家・栗城史多氏に迫るノンフィクション『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(以下、デス・ゾーン)、そして政界引退が報じられた、義家弘介氏ついて書かれた『ヤンキー 母校に恥じる ヨシイエと義家氏』(以下、ヤンキー母校に恥じる)である。

  この2冊の著者である河野啓氏は、北海道放送のディレクターとしてテレビ業界に関わっていた。その際に栗城氏と義家氏を取材し、番組で取り上げている。今回、河野啓氏にメディアで作られた「虚像」によって自滅してゆく問題、そしてそこから我々は何を学ぶべきを伺った。

栗城史多と義家弘介。ふたりの「虚」と「実」を見つめて

河野啓氏

ーー私は普段、ビデオゲームを中心とした媒体のライターとして活動しています。そこで気になるのが、会社に所属せずに、一人や小さなチームでゲームを開発できる時代になっているということです。その中でSNSから投資を募るためにクリエイターが実力以上のことをアピールしてしまい、やや追い詰められるケースを目にするんです。これはビデオゲーム業界だけではなく、そうした方が目立つようにも思えています。

河野:今のお話を聞きながら、私も「デス・ゾーン」の事を思い出しました。

『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社文庫)

ーー河野さんの著書「デス・ゾーン」と「ヤンキー母校に恥じる」では、今の問題を書いているように読めました。それは、SNSをはじめとしたメディアによって自身の実力以上に存在感を拡大させ、それを演じるうちに行き詰まってしまう問題です。

河野:いまおっしゃったように、メディアが取り上げることによってその人の人生を彩る側面もあります。けれど、その人のその後の人生に大きな影響を与えてしまうというのは、このふたりを取材して実感し、反省している部分でもあります。 私自身はメディアに取り上げられて脚光を浴びたことがないので、その感覚は当事者じゃないとわからないものはあると思うんです。おそらく、自分が何者かわからなくなるんでしょうね。あくまで想像でしかありませんけども。

――河野さんは北海道放送の番組ディレクターとして、栗城さんや義家さんを取材されていますね。

河野:はい、栗城さんとは2年くらい関わっていて、、単純にすごい人だと思っていたんですよ。 栗城さんの最初のエベレスト挑戦のときに、いろんな人に話を聞いて、「いやいや、メディアで持ち上げられているけど、彼はそんな人じゃないよ」と皆さんがおっしゃっていました。その後、彼とは色々とあり決別をして、彼の登山にも一切の興味をなくしていたんです。だけど10年後に栗城さんへの取材を再開しようと思ったのは、彼が山で死んだことに単純に驚いたからです。登山家とは呼べないようなエンターテイナーだと思っていましたし、彼自身も「僕は山でなんか死なない」みたいな表現をしていましたから、エベレストで滑落死したという最後には「登山家みたいな最後じゃないか」とみたいに感じたんです。

――栗城さんの存命中は、「いずれ登山家以外のキャリアに進むだろうな」というイメージはありましたか。「デス・ゾーン」では転身の可能性について書かれていました。

河野:ビジネスマンになるか、もしくは担がれて政治家を一期くらいやるか。そんなイメージでした。YOSAKOIソーラン祭りを始めた自民党の長谷川岳さんと懇意にしていましたし、「エベレストに登れても登れなくとも、近い将来そっちに行くんだろうな」という風には思っていましたね。だからこそ、エベレストで亡くなられたことは意外でした。

——逆を言えば、栗城さんもメディアの中で作り上げた登山家という虚構のなかで行き詰まる道には行かず、もっと賢くキャリアを立ち回れる方だと思っていましたか。

河野:栗城さんが求めている世界は政治ではなかったんだな、と思いました。 あくまで“人々に夢を与える”こと。彼は “夢”って言葉が大好きでしたから。「いつか山を下りた後は、夢を持つ人と、それを実現させるために出資する人を結びつけるアプリの開発をしたい」と言っていたそうです。 “夢”という言葉に魅了され、そこに殉じた人だと思うんですね。

——栗城さんについて調べていると、彼の活動の根底には純粋なところはあったのは確かだと思うんです。だからこそ、どこでキャリアが狂い、行き詰まってしまう瞬間があったのかが気になっていました。

河野:栗城さんは「エベレストに登れない」と自覚したところから、おそらく行き詰ってしまったんだと思います。それでも彼は多面的なところがあって、「信じれば登れるんだ」と、死ぬ直前まで言っていたという証言もあります。虚実皮膜というか、自分でも自分がよくわからなかったと思うんですよね。

——メディア向けに作られた姿ということでしょうか。

河野:それも8割くらいあるんじゃないですかね。「純粋に夢見る人間だった」というのがベースにあるとは思うんですが。でも「夢を見ていれば成功するんだ」っていう話って、最初のうちはいいかもしれませんがメディアも観る人も飽きますよね。自分が求められているものを見誤ったところもあったのかもしれません

——「虚」を演じるうちに、栗城さんは出口がなくなったように思えます。

河野:登るも地獄、下りるも地獄だったのかもしれないですね。彼は登山の資金自体はクラウドファンディングで稼いでいたんですよ。最後まで残ったスポンサーさんからの支援もあり、なんとか登っていたんですけど、これ以上は無理だというのは自覚していたんじゃないですかね。

——義家さんについてはいかがでしょうか。「ヤンキー母校に恥じる」では、北星余市高校の生徒であり、その後に教師となった時代の義家さんを「ヨシイエ」と記述し、政界に転身して以降の義家さんを「義家氏」と書き分けるほど、人間性が変わってしまったことへの失望が書かれています。

『ヤンキー 母校に恥じる ヨシイエと義家氏』(三五館シンシャ)

河野:彼についていえば、栗城さんとは取材する動機が逆です、安倍晋三元首相が亡くなったとき、義家氏のホームページを見たら、「第二の恩師が亡くなった」という記述がありまして、「北星余市高校の、第一の恩師がこれを読んだらどんな思いがすると思うんだ。あなたはどこまで自己中なんだ」と思ったことがきっかけです。「ヤンキー母校に恥じる」は、彼や学校を知る、50人くらいの人に向けて書いた本なんです。

——「デス・ゾーン」と比較すると、「ヤンキー母校に恥じる」は河野さんの個人的な思いがいくつも記述されています。義家さんを学生時代から教師時代まで長く取材し、「ヤンキー母校に帰る」(2003年4月9日全国放送)というを制作されました。その後の政界転身から、汚職の発覚、そして今年の政界引退までを見届けてどう思いますか。

河野:そうですね……。見届けたというか、政治家の彼は私の取材を拒否したので、何を考えていたのか、何を成し遂げたのか何もわからないんです。ただ、少なくとも私が知っているヨシイエとは別人なんですよ。

——河野さんは義家さんをお近くで見てきただけに、政界転身後の変貌には相当な衝撃があったようにも思えます。

河野:政治家になったときは衝撃もありましたが、その後の変貌ぶりには呆れるばかりで、いつしか別人と割り切るようになりました。でも責任はずっと感じていました。。「ヤンキー母校に帰る」を作ったことによって、北星余市高校=ヤンキーの母校にしてしまったことです。

——あの番組をきっかけに、義家さんはメディアに大きく登場しましたからね。

河野:私も北星余市高校の番組を40本も作りましたけど、「ヤンキー母校に帰る」ほど視聴率を取った番組はないんですね。

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