蔦屋重三郎はなぜ江戸庶民の心を掴んだのか? 元祖・メディア王の仕事術

■現在のエンタメ産業につながる江戸文化

――当時の江戸時代の文化は、現在のエンタメ産業につながる部分がたくさんあります。多様な出版文化が広まった要因はどこにあったのでしょう。

櫻庭:鬱屈した時代背景が影響しているのでしょう。蔦重の後の文化・文政の時代には鶴屋南北の血しぶきが飛ぶような『東海道四谷怪談』が大流行りしていますし、幕府が潰れるかもしれないという幕末にはエログロが流行しています。退廃化した時代こそ、不適切なものを人々が求めるのです。

――蔦重の時代の本には、千手観音のレンタル業を始める話とか、地蔵菩薩が品川の遊郭で遊ぶなど、かなり罰当たりでコンプライアンスにひっかかりそうな物語も多いですね。

櫻庭:当時の人たちもタブーなことを読んで、ストレスを発散したいと思っていたのかもしれません。令和の時代は不適切なことをやったら、SNSで炎上しますよね。まさに鬱屈している時代に、NHKが大河ドラマに蔦重を持ってきたのは大きな挑戦だと思います。

――蔦重は何かと忖度しがちな現代の本と違い、タブーを侵すことを厭わなかったように思います。

櫻庭:ただ、蔦重は吉原の出身だったので、黄表紙にしても人情本にしても、遊女を貶める本を出していません。身分が低い人たちを馬鹿にする話は見当たらないのです。そのかわり、貶められているのは、身分が高い人たちや偉そうにしている人たちです。そこが庶民の心を掴んだ要因でしょうね。

■あの松平定信が京伝のファンだった!?

――それにしても、武士と庶民はまったく異なる身分のように思えますが、共鳴し合う部分もあったのですね。

櫻庭:下級武士はそんなに豊かではありませんから、もともと庶民の感覚と近いものを持っていましたし、江戸っ子たちと似た文化を共有してきたと思います。江戸の人たちも武士を見て憧れていましたし、お互いの文化や考え方に共感しあっていたのかなと思います。“いき”、“張り”、“いなせ”は武士の心得を江戸っ子っぽくしたようなものですし、蔦重の「全部責任を取る」姿勢は武士道につながりますからね。

――櫻庭さんは、当時の町人文化は武士にとっても憧れの存在だったと説いています。

櫻庭:単純にかっこいいなと感じていたと思います。武士は子どもの頃から難しい教育を受けさせられていたので、歌舞伎役者のようにちょっと派手で悪い恰好をしたいという憧れがあったでしょうし、それこそ八丁堀同心のように、格好つけて雪駄をちゃらちゃらさせて歩いていたのでしょうね。

――幕府のなかにも町民文化の愛好家はいたのではないかと思いますが、どうでしょう。

櫻庭:寛政の改革を進めた松平定信は、京伝のファンだったという説があります。老中の立場で出版統制をしたものの、隠居してからは浮世絵を集めていたらしいのです。定信は町人文化に憧れていたかもしれませんよね。京伝の黄表紙を読んでみたら、結構いいじゃん、と思ったのかもしれない(笑)。

――それはあり得ますよね。現代でも、警察官がヤンキー漫画を読んでいたりすることがよくあります。

櫻庭:定信もエンタメを楽しみたかったのに、老中という立場が、彼を出版統制に向かわせてしまったと思うとなんだかかわいそうに思えます。春町のようなあからさまに幕府を批判する内容は受け付けなかった可能性はありますが、京伝が書いたものは主人公が庶民だったりするので、純粋に楽しめたのかもしれませんよね。

■吉原で人脈を構築する

――蔦重は吉原で生まれて成り上がった人物です。吉原とはどんな場所だったのですか。

櫻庭:当時の人々の粋が集まったのが吉原だった、と言っても過言ではありません。もちろん女性の体を買うところなので、あってはならないものです。とはいえ当時は、江戸の重要な文化発信の拠点といえる場所でした。そんな吉原で、蔦重は人脈を作り、美意識、さらには人権に対する考え方も培ったのです。

――吉原という環境だったからこそ、人脈構築が可能になったと。

櫻庭:吉原で狂歌の会をやれば、作品をまとめて本にできるし、その場で挿絵も依頼できる。吉原で出版のすべてが済ませられるのです。それに、お金持ちもくるし、タニマチもできるし、お金もできると、いいことづくめだったのでしょう。蔦重は『吉原細見』を出して吉原の宣伝をして客を呼び、そこで人脈を作って、本にして有名にしていったのです。

――昭和初期の喫茶店や戦後の新宿のゴールデン街のようですね。

櫻庭:一種のサロンだったと思います。集まったみんなで切磋琢磨もしたでしょうからね。吉原も“いき”と“張り”の世界でしたから、女と寝るためだけに行くのは野暮なのですよ。遊女もいるけれど、自分たちは知的で通な遊びをしにきたんだと、かっこつけるのが粋だったと思います。もちろん、本心は知りませんが(笑)。

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