速水健朗のこれはニュースではない:松岡正剛の話ーーファンと利用者、どちらを大事にするべきか問題

速水健朗が綴る、松岡正剛についての話

 ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。

 第15回は、2024年8月12日に永眠した知の巨人・松岡正剛と「ファンと利用者の違い」について。

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熱狂的なファンがアンチに転じる「反転アンチ」なるケース

 先日、“知の巨人“、松岡正剛(2024年8月12日死去)の訃報が伝わってきたのだが、Twitterでは、彼を「知の巨人」として見ることへの懐疑の声も少なくなかった。このタイミングでそれを言うのはなぜか。ある種の怨念のように見える。まず、知性の代名詞的立ち位置への嫉妬を感じる。または「反転アンチ」という面もあるかもしれない。

「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」

 『ピープルVSジョージ・ルーカス』(2010)という映画は、スター・ウォーズのファンたちを題材にしたドキュメンタリー。スター・ウォーズの熱狂的なファンは『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999年)の公開に沸いたものの、のちにアンチに転じていった。求めていた内容と違っていた。過度の愛情は、反転して憎悪に変わることがある。松岡正剛が「知の巨人」ではなかったと否定し出した人たちもそうだったのではないだろうか。

 いまどきのファンベースのマーケティング、ファンダム革命、推し時代、これらに少しずつ違いはあれど、単なる消費よりも熱量を持つ応援者が重要といわれる風潮がある。僕自身は、その傾向に懐疑的である。その理由は、熱量の強いファンの厄介な側面が気になるからだ。

 fanboyにfangirl、believerにfollower。ファンや推しの時代というのは日本の独自の状況ではない。ちなみに、“信者“的なファンを持つことで知られるアップルのユーザーが「アップル信者」と見なされていることを題材に、アップル信者と宗教の何が違うのかを研究した「iReligion」という題名の論文があり、岡本亮輔の『創造論者vs無神論者 宗教と科学の百年戦争』(講談社)という本の中で取り上げられている。

 スティーブ・ジョブズが伝道者なのか創造主なのかはともかく、彼を中心とした神話の体系ができあがっている。ガレージからパーソナルコンピューターが生まれた創世の物語、信者イベントとしての新製品発表プレゼン、普及する寺院としてのアップルストア。信仰体系、儀礼、神聖なイメージ、信者の共同体の4つが宗教の構成要素だという(エミール・デュルケム)。アップルのユーザーグループは、現代の典型的な信者の共同体。定義の上で宗教に「伝統」は必須ではない。むしろ岡本の本の中では、「ポケモン」や「マラドーナ教」などが、現代の信仰の一形態として論じられている。

 ちなみにアップルには大勢のアンチもいる。僕が90年代に勤めていたパソコン雑誌の編集者に多かった。その職場は、例外的な人々の集合体ではあるので一般化はできないが、世間ではあまり見かけないビル・ゲイツの信者もいる。反転アンチのアップル嫌いもいる。ちなみに、アップル嫌いとスタバ嫌いは一定数重なっている気がする。

 さて、ファンや応援消費的な話が今のように普及する少し前に、岡田斗司夫の「評価経済」の話があった。あれ、記憶違いかな。最近の岡田斗司夫は、自分にはファンなんていないということをしきりに話している。ただ利用者が多いのだという。教祖としていろいろつらい思いをしたのかもしれないが、腑に落ちる話だった。

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