涼宮ハルヒは偏在するーーライトノベル&アニメ業界を席巻した“トリックスター”が今も支持され続ける理由

涼宮ハルヒが今も支持され続ける理由

 涼宮ハルヒは遍在する。いつの時代にも。誰の心にも。11月29日にシリーズ最新巻となる『涼宮ハルヒの劇場』が発売されると告知されるや、ニュースとなって全世界を駆け巡ったことがその証拠だ。「涼宮ハルヒ」シリーズはただのライトノベルではないのか。なにがこれほどまでに世界を盛り上げ続けているのか。

 谷川流が第8回スニーカー大賞に応募して〈大賞〉を獲得した小説『涼宮ハルヒの憂鬱』が刊行されたのは2003年6月のこと。『トリニティ・ブラッド』のシリーズで知られる吉田直の『ジェノサイド・エンジェル:叛逆の神々』、安井健太郎の『ラグナロク』に続く大賞受賞作といった話題性はあったが、バトルアクションなりファンタジーといったライトノベルで主流のカテゴリーとは少し違った内容で、どこまで人気が出るかは未知数だった。

 何しろひねくれていた。語り手となるキョンと呼ばれる高校生の男子が、入学した日の自己紹介で突拍子もないことを言う涼宮ハルヒという名の女子と出会ったことでドタバタとした日常が始まる。いかにもラブコメ的なボーイ・ミーツ・ガールのシチュエーションだが、ストーリーはそうした予想を超えて破天荒な展開を見せる。ハルヒが傍若無人過ぎたと言っても良い。

 「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。そう挨拶してキョンを驚かせたハルヒは、やがて自分で同好会を立ち上げる。ラブコメのヒロインにはないパワフルさだ。

 物語自体の構造もひねくれていた。ハルヒが立ち上げた新しい同好会に無口な長門有希という少女を文芸部員であるにも関わらず引き入れ、ただ可愛いからという理由で上級生の朝比奈みくるを無理矢理引きずり込み、5月という半端な時期に転校してきたからという理由だけで古泉一樹に声をかけてメンバーにしてしまう。キョンはもちろん最初からメンバーだ。

 おかしな言動をみせるハルヒに皆がよく従ったものだという違和感が、やがて長門や朝比奈や古泉の正体が明らかになったことで驚きに変わる。なおかつその正体が、誰よりも邂逅を望んでいたハルヒ本人に伝わらないというシチュエーションが、先頭に立って仲間を引っ張るヒーローなりヒロインといった立ち位置からハルヒを外し、トリックスター的なポジションに鎮座させた。

 こうしたズレを面白がれるのは、ラブコメやSFやファンタジーといったジャンルについて幾つも作品を読み込んで、ありがちな展開やキャラクター像をある程度想定できる人たちだろうといった評価が最初の頃はあった。ところが、そうした冷めた見方を超えて、『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まるシリーズは読者を広げていった。鍵はやはりハルヒというキャラクターの強烈さであり、そのハルヒによって引き起こされる事態の面白さだ。

 物語の進行に決して自覚的には絡まないが、結果として激動をもたらすことになるハルヒというキャラクターの立て方や動かし方に工夫があった。すべての出来事の中心にいながらも本人だけがそのことに気づかないという条件の上で、ハルヒのせいで異変が起こったり時空が歪んだりといったとんでもないことが起こっては、キョンや仲間たちが解決のために繰り広げる言動を面白がれた。つまりは小説として優れて革新的だったということだ。

 刊行順で4冊目にあたる『涼宮ハルヒの消失』など、ハルヒがキョンの前からいなくなり、宇宙人も未来人も超能力者も見当たらない普通の世界になってしまったところから始まって、そうした事態がどうして起こったのか、どのようにして解消するのかといった探求と行動のストーリーが繰り広げられる。時間を前後させて因果を逆転させるようなトリッキーな仕掛けも入れ込んで、SFとして読んで楽しい作品になっていた。

 『涼宮ハルヒの暴走』に収録の短編「エンドレスエイト」など、繰り返される同じ日常からの脱出という、ガチガチのSF設定の中にハルヒをはじめキャラクターたちを入れ込んで、解決までの道筋を辿らせた。そうかと思えば『涼宮ハルヒの動揺』に収録の「ライブアライブ」のように、学園祭のステージに立てなくなったボーカルの代役をハルヒが務めて大活躍する、いかにも青春といった風景を見せた。万能で傍若無人だが傲慢ではないハルヒというキャラクター像に触れられた。

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