重要文化財の木造建築、大敵の災害ーー現存する建物の貴重さをあらためて考える

■重要文化財、木造建築がゆえの問題点

  2024年7月29日、奈良県安堵町にある重要文化財の「中家住宅」が火災に遭い、主屋の茅葺き屋根が燃えている。しかし、内部も相当に燃えてしまっていると思われ、修復できるかどうか気がかりだ。枯草を燃やしていた火が燃え移ったという証言もあり、現在、出火原因を調査中とのことである。

  日本の建築は木造が主体であるため、火に非常に弱い。そのため、火災で失われた文化財が多い。特に多数の文化財が失われたのは戦時中で、もし残っていれば間違いなく世界遺産に登録されていたであろう「名古屋城」の天守や本丸御殿群、「広島城」「大垣城」「福山城」「和歌山城」「岡山城」などの天守が空襲や原爆投下などによって一気に失われた。

  戦後になっても文化財の焼失は相次ぎ、特に1949年は文化財の受難の年であった。役場の家事の火が燃え移って「松前城」の天守が失われ、松山城では筒井門など3棟を不審火で焼失、そして世界的な仏教美術であった「法隆寺金堂壁画」を不審火によって焼損してしまった。なお、この法隆寺金堂壁画の焼損事件は社会を震撼させ、翌1950年に文化財保護法が成立・施行されたことは有名である。

  しかし、1950年には室町時代の北山文化の象徴である「鹿苑寺金閣」が放火によって失われている。この金閣放火事件をもとに、三島由紀夫は小説『金閣寺』を執筆したことでも知られる。1954年には、京都・鴨川の河川敷で行われた花火大会の残火が屋根に燃え移り、京都御所の小御所が焼失している。

■残されている文化財の尊さ

『TOKYO名建築案内 東京の国宝・重要文化財建築を網羅』(山内貴範/著、朝日新聞出版/刊)

  東京の文化財ガイドの決定版『TOKYO名建築案内 東京の国宝・重要文化財建築を網羅』(山内貴範/著、朝日新聞出版/刊)は、タイトル通り、東京にある国宝・重要文化財に指定された名建築を“網羅”した一冊であるが、もし幕末の戦火や、戦時中の空襲などがなければ、東京にはもっと多くの文化財が残されていたと考えられる。

  例えば、「増上寺」は現在、三解脱門が重要文化財に指定されているが、かつては周辺に絢爛豪華な徳川家霊廟の建築群が立ち並んでいた。これらはほとんどが戦時中の空襲で焼失している。明治神宮も創建当時の社殿の多くが戦災で焼失したが、戦後に再建され、再建されたものも含めて重要文化財指定されている。

  文化財の所有者に話を聞くと、国は指定はするものの、予算が潤沢というわけではなく、修復も順番待ちになっている状態になっているという。文化財は国民の宝であり、地域の歴史を語るうえで欠かせない存在だ。いかにして後世に伝えていくか。文化財への関心を高めることと、地域一体となって文化財を守る防火体制の整備は急務といえよう。

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