『鬼滅の刃』“職務としての鬼狩り”に従事した3人の「柱」が炭治郎に伝えたものとは?
現在好評放送中のTVアニメ『鬼滅の刃』柱稽古編が、6 月30 日(日)の放送分でついに最終回を迎える。そこで本稿では、あらためて同作における「柱」たち――それも、“職務としての鬼狩り”に従事した柱たちに焦点を当ててみたいと思う。
なお、「柱」とは、政府非公認の鬼狩りの組織「鬼殺隊」における最高位の剣士たちのことであり、物語の序盤においては、水柱、炎柱、風柱など、9 人の柱が存在している(「9」という数字は「柱」の画数に相当する)。
また、その多くはかつて鬼に家族を殺されるという陰惨な過去を持っており、それゆえ鬼に対する激しい怒りが彼らの“強さ”の原動力にもなっている。逆にいえば、客観的な立場で、すなわち、復讐ではなく職務として鬼と戦う覚悟を決めた柱は少数派ということになるのだが、もちろんその種の柱たちにも別の形での“強さ”がある。果たしてそれはいかなる“強さ”だろうか。
※以下、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)のネタバレあり。
煉獄、宇髄、甘露寺――3 人の柱たちが戦う理由とは
まずは、炎柱・煉獄杏寿郎。「炎の呼吸」の使い手である彼は、歴代の炎柱を輩出してきた名門に生まれた剣士であり、もともと鬼への個人的な憎しみはない。しかし、亡き母の、「弱き人を助けることは 強く生まれた者の責務です」という言葉が、彼の心には深く刻み込まれている。だからこそ、彼は上弦の鬼・猗窩座との死闘においても、“他者を守ること”と“人間らしくあること”にこだわり、最後まで己の信念を貫くことができたのではないだろうか。
また、音柱・宇髄天元も、復讐ではなく職務としての鬼狩りに従事した剣士の1 人だ。特殊な戦闘術を伝える家系の生まれという点では、煉獄と共通する部分もなくはないのだが(注・宇髄は忍の一族の生まれである)、彼の場合は個人の意志が尊重されることのない無機質で理不尽な“家”を捨てた。そして、自らを認めてくれた「お館様」こと産屋敷耀哉(97 代目鬼殺隊当主)への恩返しのため、「様々な矛盾や葛藤を抱え」ながらも、これまで培ってきた忍の術を「人の命を守るため」に使うようになったのだ。
それはある意味では、恋柱・甘露寺蜜璃が鬼殺隊へ入隊した動機ともやや重なる部分があるかもしれない。
甘露寺蜜璃は、常人の8 倍の筋肉の密度を持った少女である。その「特殊な肉体」(とそれを維持するための旺盛な食欲)のせいで、彼女は、かつて一方的に見合いの席で破談されるという辛い経験をしていた。
また、のちに別の男性から求婚されるようなこともあったが、その頃の甘露寺は食欲を抑え、か弱い女性を装っていたのである。彼女は自問自答する。「いっぱい食べるのも 力が強いのも(中略)全部私なのに 私は私じゃない振りするの? 私が私のままできること 人の役に立てること あるんじゃないかな?」
この甘露寺の想いに応えてくれたのが、(前述の宇髄の時と同じように)産屋敷耀哉であった。「素晴らしい 君は神様から特別に愛された人なんだよ 蜜璃 自分の強さを誇りなさい」――この産屋敷の言葉に胸を打たれた甘露寺は、鬼殺隊でその異才を発揮。彼女が使う「恋の呼吸」とは、守るべき人々を愛しく想う熱い気持ちの表れに他ならない。
いずれにせよ、この3 人に共通しているのは、自らの恵まれた肉体や鍛錬で極めた技を、「職務」として、名もなき人々を守るために役立てようという陽性のアティチュードである。それは、“純粋な正義”といってもいいだろうし、復讐や憎悪といった負の感情に突き動かされている他の柱たちとは大きく異なる彼らの“個性”だともいえるだろう。