聖徳太子はなぜ「超能力者」として語られるようになったのか? 偽史言説や陰謀論のメカニズム

聖徳太子、なぜ「超能力者」のイメージに?

1970年代のオカルト・ブームにおける聖徳太子

――本書では、1970年代に聖徳太子がオカルト化していった経緯も詳細に書かれています。そのあたりが、読んでいて非常に面白かったです。


クラウタウ:1970年代の日本で巻き起こった、いわゆるオカルト・ブームですね(笑)。そのあたりのことも近年になってから少しずつわかってきているのですが、聖徳太子については、やはり彼が梅原猛(1925-2019)に語られることによって、新たな物語の可能性が開かれたと見ています。


――1972年に出版されてベストセラーとなった梅原猛の『隠された十字架―法隆寺論』(新潮社)ですね。

クラウタウ:梅原は同書にて、法隆寺=太子鎮魂の寺院であるという「聖徳太子の怨霊説」を展開して、大ベストセラー作家になりました。その影響は今も続いていて、YouTubeなどで“法隆寺の謎”を検索すると、梅原説をベースにしたような動画がたくさん出てきます。梅原自身は歴史学者でも考古学者でもなかったけれど、京都大学で哲学を修めた人ではありました。『隠された十字架』は、今もオカルト文化をはじめとする「サブカルチャー」に影響を与え続けているけれど、梅原の出自が「サブカルチャー」ではなかったからこそ、説得力があったんです。


――実際、『隠された十字架』は、知る人ぞ知る本ではなく、一般書のベストセラーとして、当時の書店では平積みされていたわけで……。

クラウタウ:そうなんです。梅原は京大を卒業後、龍谷大学で教えて、その後、立命館大学に移りましたが、この本を出したときは教職を離れていたのです。しかし、そのあと復帰して京都市立芸術大学で教鞭を取るようになり、1987年に国際日本文化研究センターが創設されたときには、その初代所長に就任します。


――いわゆる“偉い学者先生”であることは、当時から間違いなかった。


クラウタウ:そこなんですよ。『隠された十字架』は、毎日出版文化賞を受賞するなどして、世の中的にも権威付けられてしまったんです。もちろん、『隠された聖徳太子』にも書いた通り、この本は出版された当初より古代史の専門家から「この説はまったく根拠がない」と批判されていました。でも、やっぱりわかりやすくて、人々に面白がられていたんですね(笑)。


――物語として、非常に魅力的だった?

クラウタウ:そうですね。現象としての『隠された十字架』を理解するには、内容の信憑性よりも、それを消費する人々がどう感じたかの方が重要かと思います。作品としての『隠された十字架』の一種の“成功物語”は、偽史が生産されていくメカニズムとすごく似ていて、私はそこに興味があります。たとえば、漫画家の山岸凉子の梅原に関する“語り”を見ると、70年代の日本という独特な状況の中で『隠された十字架』が当時、どう消費されたのかがよくわかります。


――漫画家である山岸凉子さんが、梅原猛の『隠された十字架』に触発されて『日出処の天子』を書き始めたというのは、ご本人も認めていますね。

クラウタウ:『隠された十字架』には、聖徳太子の超能力みたいな話は出てこないんですけれどね(笑)。ただ、やっぱり超常現象を起こす人物として解釈されていくんです。

――強いインパクトを持った新しい説の登場によって、新しい想像力の扉が開かれてゆくという流れがある。


クラウタウ:もちろん、山岸凉子は最初からフィクションとして描いているので、それはそれでいいと思います。しかし、五島勉などは一連の書籍を“ノンフィクション”として書いているものだから、どんどん境界が曖昧になっていきます。ただ、私は彼らを批判するつもりで本書を書いたわけではありません。内容がトンデモだとか、ここが間違っているとか無視しようと主張しているつもりではなくて、その物語がどのようにできていったのかの過程と、その時代背景に何があったのかを明らかにしようと思って、今回の本を書いたわけです。

 偽史言説だけではなく、アカデミズムにおける史学に関しても言えることですが、いわゆる“正史”や通説もまた、何らかの政治性の中で動いています。たとえば学界全体の中で流行っているテーマがあるとして、なぜそのテーマが流行っているのかを考えることは、実は偽史の発生の過程を考えるのと、方法としてはそれほど変わらないものだと思います。つまり“正史”であれ“偽史”であれ、過去とはいつも“今”という時間によって、構想されているものです。

偽史言説や陰謀論を研究する意義

――先ほど、70年代のオカルト・ブームの中で聖徳太子像が変化していったという話がありましたが、その後の90年代には、歴史学の世界でも新しい動きがありました。大山誠一さんの“聖徳太子虚構説”が、歴史学者たちのあいだでも、かなり注目を集めたんですよね?

クラウタウ:我々が思うような聖徳太子が実際にいたわけではなく、それは『日本書紀』を書いた人たちによる創作であるとする説ですね。虚構説が出てきたことで、教科書の表記が“聖徳太子”から“厩戸王(聖徳太子)”に変わったり、それに反論する学者も出てきたりしました。冒頭で触れた石井公成先生の「聖徳太子研究の最前線」というブログは虚構説に反論する立場で、仏教学の石井先生をはじめ、分野を超えた形で虚構説が批判された結果、学界での影響力を失っていったわけです。そこで重要なのは、従来の理解を否定した大山説が学界における論点となったことで、オカルト太子の語りもまた新たな展開を見せたということです。

――そっち方面の言説にも、大きな影響を与えていったと。

クラウタウ:それこそ、雑誌『ムー』の記事に、大山さんの言葉が引用されたりしていました。聖徳太子というのは我々が思っていたような人物ではなかったということを、偉い学者先生が言っているぞ、と。それによって、さらにいろいろな可能性が開けていくわけです。

――また新しい想像力の扉が開かれてしまったわけですね(笑)。

クラウタウ:そのダイナミズムが、非常に面白いんです。先ほど言ったように、それをフィクションとして創作していくのはいいと思うんですけど、それだけでは人々は物足りないというか、リアリティが欲しくなる。で、そのリアリティの根拠をどこに求めるかというと、学者先生とかになるわけです。ただ、学者先生の説は都合のいいところだけ借りて、それを全面的に受け入れるわけではないですね。例えば、太子の実在を否定する大山説が発表されたあと、「聖徳太子は、実は誰々である」みたいな本が続々と出版されるようになりました。結局、太子の正体はわからないというのであれば、それによって歴史の可能性の中に隙間ができたと言いますか、そこに入っていって、解釈の可能性をギリギリまで拡大して語っていく人たちが、学者以外でも次々と現れるようになっていくんです。

――昨今の陰謀論にも繋がっていきそうですね。ちなみに、そういった偽史の研究というのは、歴史学の世界では一般的になされていることなのでしょうか?

クラウタウ:正直、あまりされてこなかったのですが、近年になって盛んになりつつあり、2017年には小澤実さんという方が編集した『近代日本の偽史言説―歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』という本が勉誠出版から刊行されています。その他に、以前からこの課題に取り組んでいる長谷川亮一さんや、原田実さんもいます。私が今回の本を書く際のインスピレーションのひとつにもなった小澤さんの編著で、日本の話だけではなく、国外も含めたいろいろなテーマが取り上げられています。そこで難しいのは偽史という言葉を、英語でどう表現するかということなんです。


――ちなみに、英語では何と訳すのですか?

クラウタウ:今のところ、普通はスード・ヒストリー(Pseudo History)とか、いろんな訳し方があるのですが、そのニュアンスがやはり日本語とは少し違います。英語圏もそうですが、日本で偽史と陰謀論を分けて使っているようなところもあるじゃないですか。日本の場合は、近代以降の偽書――それこそ天津教の「竹内文書」など、偽史言説と呼ばれるものの伝統があるため、そういうものを想定して「偽史」と呼んでいるところがあります。

  そもそも、偽史という言葉は東アジアにおける伝統的な歴史叙述の枠組みで生まれてきた言葉なんです。正史があって、野史とか稗史があって、偽史などがあるという整理の仕方。日本以外の地域でも、たとえば歴史に多大な影響を与えた『シオン賢者の議定書』のような陰謀論がありますが、これは英語でコンスピラシー・セオリー(Conspiracy Theory)と呼ぶけれど、スード・ヒストリーとは言わないですね。一方で、「竹内文書」の場合は、それを「偽史」というけれど、「陰謀論」という人は基本的にいないと思います。


――日本の場合、偽史=陰謀論ではないと。


クラウタウ:英語圏の場合も、必ずしもそうではないです。もちろん、その言葉の整理自体にもなかなか難しいところがあります。というのも、それは当事者の言葉ではないですから。

――発表する側は偽史とは言わないですもんね(笑)。ただ、いずれにせよ偽史あるいは陰謀論だからといって、それをハナから無視するのではなく、それが生まれる社会状況やメカニズムを解き明かすことは、非常に重要なことであると。


クラウタウ:その通りです。偽史言説も陰謀論も似たようなメカニズムで成立していると私は思いますし、本書にも書きましたが、それは主流とされている物語があって、それに対するオルタナティブを示そうとして出てくるわけです。研究対象としてそれらを考えるときに大事なのは、その内容だけではなく、なぜそれが語られるに至ったのか。そして、それがどのように受容されていったのかということを、当時の社会的な背景も含めて考えていくことなんです。偽史や陰謀論の背景には必ず政治性があり、その政治性はその時代性を語っている。それを読み解くことが、研究者としての我々の仕事のひとつだと思っています。

■書籍情報
『隠された聖徳太子――近現代日本の偽史とオカルト文化』
著者:オリオン・クラウタウ
価格:1,012円
発売日:5月10日
出版社:筑摩書房

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