孫悟空を上手く描ける子どもは人気者 ――90年代『ドラゴンボール』世代に与えた大きすぎる影響
■孫悟空の絵が上手い男子はクラスに必ずいた
鳥山明の『ドラゴンボール』は、1980年代後半~90年代前半、小学生の話題の中心であった。現代の漫画界はメディアミックスが盛んであり、ネットニュースでもテレビ番組でも漫画やアニメのネタが紹介される。90年代はそんなものはほとんどなかったが、子どもたちの間では「ジャンプ」が経典のようなものであり、「ジャンプ」が流行や文化を創造していたのである。
『ドラゴンボール』の人気が絶頂期だった頃、筆者は小学生時代を過ごした。多分、同じ体験をしたことがある人はいると思うのだが『ドラゴンボール』の孫悟空の絵を上手に描けるクラスメイトは必ず1人はいて、しかも人気者であったはずだ。「そうだった、そうだった」と頷く人はぜひエピソードとともにコメントを寄せて欲しい。
筆者は今では漫画のコラムやレビューを書いているが、もともとまったく漫画に興味がなかった。それに加えてスポーツなんかろくにできないいわゆるモテない“陰キャ”だったのである。それとは対照的にクラスで一番人気のある男子は、とにかく『ドラゴンボール』の絵が上手かった。超サイヤ人になった悟空をあまりにカッコよく描くので、男子たちの羨望の眼差しであった。さらにスポーツも万能で勉強もできるという、小学生の理想と憧れを詰め込んだようであった。
それを見かねて、クラメートの女子が絵の描き方を教えてくれた。それを機に親に頼み込んで「ジャンプ」を定期購読してもらい、『ドラゴンボール』を真っ先に読んで孫悟空の絵を必死に“勉強”した。そうしているとクラスの男子が認めてくれるようになり、彼らの輪の中に入っていけたのである。『ドラゴンボール』は、男子たち皆の共感・共通・共有する作品だった。理科や社会の用語はわからなくても『ドラゴンボール』の技の名前は全員回答できるほど、絶対的な存在であったのだ。
筆者レベルの人間ですらこれほど影響されてしまうのだから、当時を過ごした漫画家志望の子どもたちが受けた影響は計り知れないだろう。戦後間もない時期、手塚治虫が描いた『新寳島』が、藤子不二雄の2人や石ノ森章太郎など、後世の偉大な漫画家に影響を与えたといわれるが、鳥山明の『ドラゴンボール』も計り知れない。尾田栄一郎、岸本斉史ら、現代の漫画文化を担う漫画家が鳥山に憧れ、漫画家を志した。これほどの影響力をもつ漫画家は、今後現れるのだろうか。漫画がある限り、鳥山明の大きすぎる影響は決して失われることはない。
【写真】鳥山明が描き下ろした悟空、クリリンや、ミスターサタン、チチなど新作主要キャラ