渡辺えりが共感する、版画家・棟方志功の“祈り”ーー原田マハ新作『板上に咲く』の朗読に込めた思いを聞く
さまざまな書籍を朗読配信している「Amazon オーディブル」で、2023年12月22日から配信されているのは、原田マハさんが書き下ろした最新小説『板上に咲く-MUNAKATA:Beyond Van Gogh』(書籍は後日刊行予定)だ。
主人公は、今年生誕120年をむかえた版画家・棟方志功の妻・チヤ。棟方志功には師匠もなく、青森から上京したあとは材料を買うお金もなく、チヤとはなかなか結婚できず、子が生まれたあとも最初はともに暮らすこともかなわなかった。そんな彼がどうして、“世界のムナカタ”と呼ばれるほど、偉大な芸術家となり得たのか――。
その道程をチヤの視点で描き出す本作を朗読するのは、俳優の渡辺えりさんだ。渡辺さんは、本作をどう読んだのか。お話をうかがった。(立花もも)
棟方志功が作品に込めた“祈り”
――『板上に咲く-MUNAKATA:Beyond Van Gogh』をお読みになって、いかがでしたか。
棟方志功の生涯をたどるおもしろさはもちろんあるんですが、私がまず感じたのは、根底に流れる平和に対する祈りでした。ピカソが『ゲルニカ』を描くきっかけとなった、1937年の爆撃のことを描いたのは、のちに棟方志功がニューヨークでその作品に出会い、感銘を受けたからという理由もあるでしょうが、それ以外にも戦争の痛ましさは随所で描かれる。そもそも棟方志功という人自体が、作品に祈りを込め続けていた人なんですよね。たとえば、これまた作中に登場する『開闢譜東北経鬼門版画屛風』という作品。
――東北の飢饉を題材にした、120枚の版画で構成された絵巻物ですね。
もともと彼が世に出るきっかけとなったのは、『大和し美し』という作品で、版画絵巻という新しいジャンルを切り開き、それが敬愛する柳宗悦と濱田庄司の目に留まったこと。それなのに地元・青森をはじめとする東北への祈りをこめた『開闢譜東北経鬼門版画屛風』は、柳に認めてもらえなかった。でもね、山形生まれの私には、棟方が何を表現したかったのか、わかる気がするんですよ。東北というのは、飢饉のときも補助を与えられず、見殺しにされてきた歴史のある地域なんです。
――鬼門とは東北の同義語で、人々が忌み嫌う方角にある土地だった、という描写も作中にはありました。
もちろん『大和し美し』もすばらしい作品だけど、私は『開闢譜東北経鬼門版画屛風』を見るたび、胸が打たれる思いがあります。でもそこでくさるのではなく「褒められると思っていた自分はいい気になっていた」と自省し、そこからまた発奮する棟方はすばらしいなと。青森人として差別され、版画は油絵よりは格下だとされていた時代に芸術家として差別されていた棟方。そして、そんな棟方に「結婚するからには仕事をするな、養えないと思われるのはいやだ」という理由で家のことをするしかなかった妻のチヤさん。棟方志功が神様のように崇めていたゴッホの絵を焼いてしまった空襲、そして戦争。こうした悲しみや痛みを、ユーモアにあふれた文体のなかで浮かび上がらせる原田マハという作家はすばらしい、と思いました。
――渡辺さんの朗読も、聞いていると心が弾むような、躍動感がありますよね。
自然と、そうなっちゃったんです。朗読なのだから聞きやすさを重視して、あまり入れ込まないつもりだったんですが、さらっと読むには夫婦の存在感があまりにも濃くて、原田さんの文章も密度が高くて、つい気持ちが入っちゃいました。そのぶん、演劇で場面ごとに演出を変えるように、章ごと、場面ごとにテンポを変えるようにしていましたね。ただ、演劇と違って、視界の演出がないでしょう。聴いている人は絵の実物を見ているわけじゃないから、文章の表現がちゃんと伝わるよう、ひとつひとつを丁寧に読むようにはしていました。
「これを読むのは私しかいない」
――棟方志功とチヤをはじめ、東北弁のセリフも多いですしね。
そうなんですよ。彼らが使うのは津軽弁で、同じ東北でも私の山形弁とはずいぶん違うので、方言指導の先生にご助力いただいて、できるだけ忠実なアクセントになるよう、つとめました。私ね、いつか山形弁で朗読したいなって夢があったんです。地元の人だけでなく、日本全国の人に、あるいは全世界の人に、東北弁というものをちゃんと聞いてもらう機会を得たいとずっと思っていた。山形弁ではなかったけど、津軽弁でそれを実現できたのは、本当にうれしかった。
――東北弁だからこそ生み出せる、物語の魅力みたいなものはありましたか?
どんなに不幸なときも、地獄のような目に遭わされても、笑うことができる……笑いに変えられる力をもつのが、他の動物にはない人間だけの特権なのだと思いました。棟方志功とチヤの人生は決して順風満帆ではなく、打ちひしがれようと思えばいくらでもできるくらい、つらいことはたくさんあった。でもね、二人は、決してユーモアの光を失わないんですよね。柳をはじめ、尊敬する先生たちを家に連れ帰ってきた棟方は、独身かと聞かれてとっさにそうだと答える。奥の部屋に授乳中のチヤがいるのに。で、赤ん坊が泣いたら「ネコです!」ってごまかして、けっきょくばれたら「うちのネコさんです」なんて紹介して。
――けっこうひどい話ですが、つい笑ってしまうのは、棟方志功がいつでも懸命で、制作を、そしてチヤを生涯かけて愛しているのが伝わってくるからかもしれないな、と思います。
棟方を語る上で欠かせないゴッホもまた、命を削って絵を描いた人ですよね。私もゴッホは大好きなんですが、彼の絵を見るたびいつも、燃えているなあと思うんです。麦畑も、ひばりも、全部燃えている。あの有名な糸杉も。糸杉だけでなく、ゴッホの描く樹って、その多くが三角形みたいに天に向かうにつれて細くなっていくでしょう。人というのは常に何かに憧れて、天に向かって伸びていこうとする。でも点に近づけば近づくほど細くなってしまうものなんだなあ、と感じたりもするんです。でもそれは、弱く痩せるのとは違う。決してあきらめない不屈の精神も、そこにはある気がするんです。
――棟方志功の生涯も、そうですよね。
諦めないために必要なのは、自分で自分を褒める心だとも思うんですよ。差別されている人は、誰かに認められることも後押しされることも少ない。であれば、自分で立ち上がり続けるしかないんです。それは棟方だけでなく、チヤさんも同じですね。女というだけでたくさんのことを制限されてきた彼女が、そのなかでどう自分らしく生きたか、ということも描かれているのが、この作品の素晴らしいところですね。
――本作を通じて、棟方志功の印象は変わりましたか?
ほとんど変わりませんね。前から作品は好きでしたしね。変わったというか、驚きがあったのはやっぱりチヤさんのこと。どんな人か、ほとんど知りませんでしたから。実をいうと最初オファーを受けたときは「なんで私?」って思ったんだけど、原田さんがこの作品で描きたかったのは、女性のたくましさでもあるんだなとわかったら、これを読むのは私しかいないって思えました。私が若いときは、まだまだ女性の権利がいろんな場所で認められていない時代でしたからね。いまだに演劇は、かなり男社会なところもありますし。チヤさんの苦労には共感するところがたくさんありました。