村井邦彦 × 北中正和『モンパルナス1934』対談 「芸術に関係した仕事をする人は、人間の可能性を追求することを考えるべき」

村井邦彦×北中正和『モンパルナス1934』

ロバート・キャパとの友情

ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』(ダヴィッド社版)

北中:写真家のロバート・キャパの話もたくさん出てきますね。個人的な話で恐縮ですが、自分の父親が奈良市で小さな写真屋を営んでいたんです。家にロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』があったのを思い出しました。

村井:ロバート・キャパ著の『ちょっとピンぼけ』は、川添浩史さんが翻訳した本です。ロバート・キャパがインドシナで地雷を踏んで亡くなったすぐ後、1956年に川添さんはロバートキャパ著の『ちょっとピンぼけ』を翻訳してダヴィッド社から出版しています。あとがきには亡き友をしのぶ言葉が書かれていて感動的です。ダヴィッド社は音楽評論家の遠山一行さんの弟・遠山直道さんが作った出版会社でした。作曲家のロベルト・シューマンは文筆家でもあり、雑誌『新音楽時報』を出していましたが、彼がやっていた会社「ダヴィッド社」から採った名前なんですね。

北中:それを僕は子供の頃に見てたんですね。当時は中身が分からないので、写真だけ覚えてました。第二次世界大戦の時期の写真とか、そういうのがいっぱい掲載されていましたね。いま読むと、ロバート・キャパの人となりがよく分る本だと思います。

村井:小説を書く前から『ちょっとピンぼけ』は僕の愛読書でした。第二次世界大戦当時のキャパの体験談が書かれていて、すごくいいんです。戦争のちょっと前にハンガリーからパリに出てきて、21歳で川添浩史と親友になる。本当に学生時代の友達みたいな関係でした。それからスペイン戦線に行って有名な写真「崩れ落ちる兵士」を撮って、一躍スターになります。1938年には日中戦争も取材してるんですよ。

 蒋介石や周恩来、さらには黄河で日本軍に襲われる中国の民衆の写真なども撮っています。若い頃にパリで仲が良かったのですが、どちらかというと中国寄りの写真を世界に向けて報道していたため、二人の間に距離ができてしまう。しかし、終戦後の1954年4月に来日。それから川添浩史と1カ月間、毎日一緒に過ごすことで旧交を温めるんですね。

 その直後、キャパは東京からベトナムに行くんです。フランスに対するインドシナの独立戦争の末期でした。キャパは撮影中に地雷を踏んで亡くなるんです。羽田空港で別れてから間もなくのことでした。そんな国際的な二人の交流がいいなと思ったので、ぜひ本に残したいと思いました。

北中:日本の戦前の若い文化人で、軍国主義的な思想じゃなくて自由な精神を持った川添さんのような方がたくさんいたんですね。お坊ちゃま的なディレッタントに見えるけれども、実は非常に大事なことを言おうとした人たちだった。

村井:それを知らせたかったので、一生懸命書いたわけです。最初の方で植民地の話をしましたが、西洋の文明が世界を席巻し世界中に植民地を作った時に、世界中のさまざまな場所で矛盾が生じました。その矛盾は今もなお政治問題や社会問題となって残っています。だからこそ、こういう人たちがいたことを記した方がいいのかなと思いました。特にコロナの時期のあたりには「Black Lives Matter」の運動もありましたし。

北中:『モンパルナス1934』にも出てくる、小島威彦さんについて図書館で調べたんですけど、当時のアフリカやアジアなど世界各地に調査紀行されてるんですよね。

村井:小島威彦さんは、川添さんの養子先である深尾隆太郎の娘と一緒になった人です。だから川添さんとは義理の兄弟になるんですよ。東大から京大に行った、西田幾多郎門下の哲学者です。小説の中では、アフリカの植民地を調査してからパリにやってきた彼に、川添さんが自分のアパートを開け渡して住まわせた、と書いていますが、これはフランス文学者の丸山熊雄のパリ時代の回想録や小島さんの回想録に書かれている事実です。

 小島威彦は実際に戦争前夜から戦中にかけて、色々な思想運動や講演会をやって、東条英機などにも睨まれて牢屋にぶち込まれてるんですよ。罪状は戦艦大和を作る話に対して「大きな戦艦なんか作ったってダメだ。飛行機でなければいけない」と持論を展開した時に、戦艦の排水量が何トンかと機密漏洩したということでした。『モンパルナス1934』を読んだ小島さんのお嬢さんから連絡があり「ヒリヒリとするぐらい神経質な父でした」と教えてくれました。

北中:そんなこともあったんですね。

川添浩史から学んだこと

「アヅマカブキ」のアメリカ・フィラデルフィア公演(1954年4月)のチラシ。

北中:小説の後半に吾妻徳穂による「アヅマカブキ」の話がありますね。彼女は天才舞踊家として知られていますが、早くから洋楽的なサウンドで踊っていたと。

村井:僕も生では見てないんです。ただ日舞をやっていて詳しかった母親が「吾妻徳穂って人は本当に天才ですよ」と言っていたので、すごい人なんだろうなと思っていました。

北中:YouTubeなどで調べても映像は出てきませんでした。

村井:「アヅマカブキ」の始まりは、まだ日本が占領下の1948年に日比谷の有楽座で上演された舞踊詩劇「静物語」に遡ることができます。制作・川添浩史、脚本を哲学者・仲小路彰、音楽はピアノを原智恵子と箏(こと)を宮城道雄、舞台美術に藤田嗣治。主演が吾妻徳穂、そして初代・中村吉右衛門が共演しました。「静物語」については『モンパルナス1934』にも書きました。日本が独立したのは1952年で、吾妻徳穂さんは54年から二回にわたってフランスやイタリアなどのヨーロッパ諸国やアメリカをツアーしたんです。「アヅマカブキ」と名付けたのはソル・ヒューロックという伝説のインプレザリオで、徳穂さんたちは「私たちがやっているのは日本舞踊で歌舞伎ではありません」と抗議をしたのですが、ヒューロックは「日本舞踊ではタイトルにインパクトがない」と抗議を却下しました。ロンドンのロイヤルオペラハウスなどの欧米の一流劇場で大成功したのは「アヅマカブキ」という名前が良かったせいもあると思います。そのツアーでイタリア語と英語のナレーターをやった梶子さんと川添さんが出会って結婚して、帰国後に始めたのが「キャンティ」というレストランなんですね。僕はそこに15歳くらいの頃から出入りしていた。

北中:15歳からですか(笑)。

村井:友達のお父さんとお母さんがやってる店に遊びに行ってただけだからね。お客として行ってたわけじゃないです(笑)。

北中:そこで村井さんは川添さんとお話しするようになって、日本文化を新しい形にして海外に紹介したアヅマカブキにヒントを得て、YMOの海外進出を夢見るようになったんですよね。

村井:まったくその通り。僕たちが子どもだった1950年代、外国の人と付き合うってことは少なかった。キャンティとか川添さんの周りにいると、まあ年中イタリア人だ、フランス人だ、アメリカ人だって集まってくるわけです。それに彼らは偉いアーティストなのに、言葉が下手でも僕が何か言うとちゃんと返事してくれるんですよ。これはすごいことだなと思いました。当時、キャンティで国際的な交流の現場を見ていて面白そうだなと思い、日本の音楽を外国へ、反対に外国の音楽を日本へ、という仕事を始めました。

北中:川添さんは自身のことを「インプレザリオ」だと言っていたそうですが、それを村井さんも受け継いでいるところがある?

村井:ありますね。17、18歳の頃に川添さんが梶子さんに「あいつは最高のインプレザリオだ」と話していたんですよ。そのあいつというのは「アヅマカブキ」のソル・ヒューロックのことです。その印象が強烈で「インプレザリオって何なんですか?」と聞いたんです。要するにプロデューサーみたいなものですね。昔はそういう風に言ったらしい。

 では、歴史上最大のインプレザリオが誰かっていうと、セルゲイ・ディアギレフというロシアバレエをフランスに持って行って大成功をおさめた人です。ストラヴィンスキーやラヴェル、エリック・サティなど、その時代の最高の作曲家を軒並み雇った人です。だから「モンパルナス1934」では、ディアギレフに憧れた21歳の川添さんに「俺は彼のような仕事をやるんだ」と言わせたのです。

北中:プロデュースは金銭的にも、人との付き合い方にしても非常に大変だし、ストレスのかかる仕事じゃないですか。それを儲けを度外視して、感覚で信じたものをやり続ける姿勢を持ち続けている人がいたという歴史が、我々にとっても励みになります。

村井:レコード業界は「何をやったらいくら売れるか?」ということばかりで、「どうやっていい音楽を作ろうか?」と考えている人は、残念ながら少数です。音楽や文学などの芸術に関係した仕事をする人は、経済も大事ですが人間の可能性を追求することを考えるべきだと思います。いい作品ができてそれが売れるというのが理想ですね。

北中:音楽業界では、アーティストのように表に出る人ばかりに注目が集まりがちですけど、実は裏で支えている人たちがいてこそ成り立つ仕事です。裏方で活躍した歴史的な人物に光を当てたという意味でも、本当に貴重な本だと思いました。

■書籍詳細
タイトル:『モンパルナス1934』
村井邦彦 吉田俊宏 著
発売日:2023年4月30日
※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:3,080円(税込価格/本体2,800円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ハードカバー/384頁
ISBN:978-4-909852-38-0

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