M-1、ナイツ・塙宣之「ダンビラムーチョは寄席で一番ウケるネタ」の真意は?『東京漫才全史』が紐解く歴史

「しゃべくり漫才」は王道ではなかった?

 中でもこんな芸人がいたのかと驚きだったのが、著者が東京漫才に興味を持つきっかけにもなったという東喜代駒(あずま きよこま)だ。この男、芸においても自己プロデュースにおいても、あらゆる東京漫才師の源流といえる存在なのである。

 1899年に群馬県館林市で生まれた喜代駒は、館林尋常高等小学校を卒業後に上京。神田の米問屋に奉公して20歳で独立し結婚もする。だが関東大震災で店も家財も失ってしまい、元々好きだった演芸の世界へと飛び込むことになる。

 誰かに弟子入りもしないまま芸人を始め相方を何度か変えつつ、上方漫才を東京風にアレンジした漫才、コンビで紋付き袴とフロックコートを身にまとい高級感を演出したハイクラス漫才、女性優位漫才など、新しいスタイルを生み出しては人気を得ていく。さらにはデビュー間もなくの芸能事務所立ち上げ、大劇場でのリサイタル開催、新聞・ラジオなどメディアに売り込みを図る手法といったマーケティング戦略においても最先端を走る。東京漫才の地位を自らの手で確立しただけでなく、「東一門」を形成して弟子からも慕われていた。

 これだけの偉人が忘れ去られてしまうところに、人気商売である芸の世界の儚さを感じるが、儚いからこそ本書の書かれる意義のあることにも気付かされる。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「カルチャー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる