『ガンダムZZ』が描くべきはコメディタッチの活劇か、それとも生々しい戦争かーー見どころはその“葛藤”

『ガンダムZZ』第十六話レビュー

 『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて、何かと不遇な『ガンダムZZ』。はたして本当に“見なくていい”作品なのか? 令和のいま、ミリタリー作品に詳しくプラモデルも愛好するライターのしげるが、一話ごとにじっくりレビューしていく。

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【連載第一回】第一話から「総集編」の不穏な幕開け
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第十六話 アーガマの白兵戦

[あらすじ]

 ムーン・ムーンでの戦いを経て、再度ラビアンローズでの補修が必要になってしまったアーガマ。艦内では、エルにおちょくられたブライトが、エマリーとただならぬ雰囲気になっていた。捕虜となったキャラは洗濯をやらされており、そこにリィナの救出を焦るジュドーが艦内放送で檄を飛ばす。ジュドーがビーチャとモンドを裏切り者と呼んだことでエルと喧嘩になり、この状況にブライトは苛立ちを隠せない。ルーはアーガマの訓練が行き届いていないことに、強い危機感をおぼえる。

 

 グレミーは補給のため、ミンドラをアクシズへと帰還させていた。その道中、グラナダからアーガマへと補給に向かうランチを発見、拿捕する。ゴットンはこのランチを囮にしてアーガマを強奪する作戦を立て、旧エンドラのクルーを中心にしてミンドラから出撃する。

 

 アーガマは近づいてきたランチの受け入れを開始。ジュドーがZガンダムで迎え入れる。しかし土壇場でランチのクルーであるミリィがゴットンたちを妨害するために制動をかけ、ランチにぶら下がってきたバウは行動不能になってしまう。

 

 バウを使えなくなったものの、ゴットンらはアーガマ艦内への侵入に成功。正々堂々とモビルスーツを奪い取ろうとするが、ジュドーたちは使える手をすべて使って撃退しようとする。ゴットンはブライトを人質にブリッジへと入ろうとするが、突っ込んできたエマリーを捕獲する。

 

 艦内ではキャラがゴットンと合流。しかしバウが放ったミサイルがアーガマの外壁に穴を開けてしまい。ゴットンとエマリーは宇宙へと放り出される。そのままゴットンはエマリーを拘束してバウへ搭乗。機体が挟まっていたアームからの脱出に成功し、アーガマのブリッジを破壊しようとする。

 

 そこに止めに入ったジュドーのZZガンダム。アーガマの船体を挟んだビームライフルの撃ち合いになるが、ジュドーは一手先を読んでいたゴットンに肉迫される。ゴットンの猛攻をなんとかしのいだジュドーはそのままとどめを刺そうとするが、アーガマから逃げ出そうとバウに向かって生身で飛んでいく兵士たちを目撃して、攻撃をためらってしまう。

 

 その隙を利用してゴットンがバウのコクピットに兵士たちを詰め込もうとした際、エマリーは脱出に成功。ブライトは自らエマリーを助けに向かい、エマリーは涙を浮かべる。ジュドーは二人を回収し、リィナ救出への決意を固めるのだった。

強い印象を残した「ムーンムーン」

 『機動戦士ガンダム』の第20話「死闘! ホワイト・ベース」の回では、ランバ・ラル率いる部隊がホワイトベースへと肉迫攻撃を仕掛けた。大型艦に生身の兵士が攻撃を仕掛けるという点では、今回の「アーガマの白兵戦」とよく似た内容である。

 が、銃撃戦による両軍の兵員の死亡や、ベテラン軍人とホワイトベースの少年少女との邂逅、ランバ・ラルの自死といった重たい内容が描かれた「死闘! ホワイト・ベース」に比べると、「アーガマの白兵戦」の内容はずいぶん軽い。ジュドーたちは相変わらず仲間内でケンカをしているし、旧エンドラのクルーたちがエンドラ隊と名乗って特攻に志願するのを聞いたゴットンのリアクションも、明確にギャグとして演出されている。

 ランバ・ラルと違いマシュマーは一旦退場しているが、「リーダーのもとに集まった血気盛んな兵士たちが大型艦に肉迫攻撃を試みる」「艦内で子供達と絡む」といったストーリーの共通点と、前述の"軽さ"を盛り込んでいる点を鑑みるに、「アーガマの白兵戦」は「死闘! ホワイト・ベース」のセルフパロディといった趣がある。

 セルフパロディっぽさを強く感じるところが、艦内に侵入したエンドラ隊の兵士がジュドーと殴り合おうとするシーンだ。「補給を運んできたランチを囮にして侵入しようとする」という充分卑怯な手を使っているにも関わらず、相手を射殺するのではなく殴り合いで正々堂々敵機を奪おうとするのは、どうにも筋が通らない。おまけに騎士道精神などとは無縁なジュドーに出し抜かれてしまい、激昂して子供と鉄パイプで殴り合う始末である。

 つまり、実のところエンドラ隊の兵士たちには確固たる信念など対してなく、同じ土俵に乗っていない子供が鉄パイプで殴りかかってくれば「正々堂々」などという建前はすぐ捨ててしまう人々なのである。ホワイトベースのブリッジの風防を爆破しようとした際に子供を避難させようとしたクランプや、いかにも武人然とした死に際を見せたランバ・ラルに比べると、ゴットンたちは兵士としても人間としてもいいかげんに描かれている。

 思えば「マ・クベによって捕球を差し止められたため、やむなく肉迫攻撃を仕掛けた」という背景のあったランバ・ラルたちの特攻に比べると、「偶然アーガマに向かうランチを拿捕したから」という理由で始まったゴットンたちの作戦は勢い任せの運頼みに見える。この時点では、『ZZ』の悪役であるネオジオンの兵士たちは「やたらと上にへつらい、組織の論理には従順なくせに、根本的に行き上がりばったりで適当でいいかげん」という、ダメな大人として描写されているのだ。

 そんなダメでいい加減な大人たちを、子供達が出し抜いていくところを痛快に描く……というのが『ZZ』の狙いだったはずで、今回でも「兵士ではない」ことを理由に相手の誘いに乗らず、好き放題にエンドラ隊と殴り合ったジュドーの姿に、子供が主人公ならではの痛快なテイストは現れている。

 が、どうにも歯切れが悪いのが、ジュドーが生身のエンドラ隊をZZガンダムで直接射撃するのをためらうシーンである。今回に関して言えば、ジュドーたちが好き放題に活躍して、間抜けなエンドラ隊の大人たちをやっつけ、ゴットンたちはほうほうの体で逃げ帰る……という全編コメディタッチのストーリーにすることもできたはずだ。しかし『ZZ』はそうせず、あえてジュドーに「強力なビームライフルで、ほとんど生身の人間を直接撃ち殺せるか」という葛藤をさせた。

 このシーンで、ジュドーには「どうしたジュドー! 撃たないか! 戦争なんだぞ、これは!」という指示が飛んでいる。実際、戦争状態ではあるのでこの指示は正しいわけだが、しかしジュドーはあくまで「兵士ではない」という立場でZZガンダムに乗っており、軍の命令系統から外れた存在であるがゆえに、命令に従わなくてもZZガンダムから降ろされたりしない(背景としてアーガマの人手不足という理由も配置されている)。だからこそ、ジュドーは迷う。兵士でない自分が生身の相手をモビルスーツで撃ち殺すのならば、上官からの命令ではなく自分の意思で撃ち殺したことになるからだ。

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