組長と直談判、喧嘩上等、シンナー厳禁…… 伝説のレディース総長・かおり、硬派すぎるエピソード

レディース総長・かおり、硬派すぎる伝説

 伝説のレディース「貴族院・女族(じょぞく)」の2代目総長を務め、暴走族雑誌「ティーンズロード」に登場するや爆発的な人気を獲得した伝説のレディース総長・かおり。そんな彼女が、壮絶な半生を振り返る本『「いつ死んでもいい」本気で思ってた…』(大洋図書)を出版した。今回は本を出版したばかりのかおりに直撃インタビュー。インタビューには「ティーンズロード」の編集長だった倉科典仁も同席した。

伝説のレディースを立ち上げるまで

――かおりさんが、レディースのチーム「貴族院・女族」を立ち上げたのは16歳の頃だそうですね。

インタビューに応えるかおりさん。ユーモアを交えながらも凛とした硬派なスタイルは現在でも健在だ

かおり:私はそれまで雇われママのような仕事をやっていたんですが、そこを辞めて地元に戻ったら、昔の不良仲間がみんなバラバラになっていたんです。シンナーだの、男だの、いろいろとあったらしくて、このままじゃつまんないなと思ってしまったんですよ。そこで先輩に相談したら、「レディースを作ったら?」と提案されたんです。そうか、レディースという手があるんだ、面白そうだなと思って、小山にいたタメから1個、2個下くらいまでのヤンキーを招集しました。すると、みんな「やりたい~」「やろうやろう」と集まってくれたんです。そして、「ヘッドはどうする?」「かおりが言い出したらかおりがやれば」という話になって、2つ返事で私が総長に決まったんです。

――なんと! その場のノリでチームの骨格ができあがったんですね。

かおり:チームとして、ある程度の形ができたのはそれから1ヶ月後くらいかな。私の家に20人くらいが集合して、高校のサークルみたいにチームの名前や特攻服のデザインを紙に書き出しながら、考えたんですよ。特攻服の色はチーム全体のイメージカラーだから、大事なんです。私がベースの色に黒を提案したときは「ダサい」といわれたんだけど、私は「いいじゃん、かっこいい黒で!」と、半ば押し切って決めました。

――「貴族院・女族」というチーム名の由来はなんだったのでしょうか。

さらしを巻いて気合いの入った表情を見せるかおりさん。この1枚の写真がかおりさんの人生を大きく変えることになった

かおり:同じ小山に「北関東硬派連盟貴族院・神風連」というチームがあったので、その女バージョンという感覚で決めました。女の暴走族だし「女族」でいいじゃないと。読み方は、「にょぞく」や「おんなぞく」は変だし、「じょぞく」がかっこいいじゃんということで。チームの旗は、字が上手い子に絵の具で描いてもらったかな。高校の文化祭でクラスの旗をつくるようなノリですね。みんなバイクに貼るカッティングシートなどを扱ったりしているし、案外、手先が器用なんですよ。

花火大会の日に一触即発に!

――女族結成のときにたくさんの仲間を集めることができたのは、やはりかおりさんの人望なのでしょうか。

かおり:どうでしょう。でも私は中学校の時から、自分はのし上がって小山を仕切りたいと思っていたし、喧嘩もさんざんやっていたので、名前が広まっていたんですよ。それこそ、地元では「かおり」という名前が知らない人がいないくらい。だから、女族を作るときも苦労はしなかったですね。それに私は誰も来なかったら来ないでもいいし、来た仲間内で楽しくやりたかったという軽い気持ちでしたから。でも、小山の中学校の間にも横のつながりがあって、ヤンキーたちはお互いに連絡先を知っているんですよ。だから、私が1人の子に呼びかけたら、どんどん伝わって20人も集まっちゃったわけ。

――凄いネットワークですね。でも、その頃はまだまだレディースの存在はマイナーだったといいます。レディースのチームは身近に結構いたのでしょうか。

かおり:私が知る限り、女族を作ったときは、近隣には他のチームはいなかったはずです。あったら耳に入ってきますからね。でも、後からどこそこに新しくレディースができたみたいなので潰しに行きましょうよ、と後輩に言われたことはあったな。でも、レディースを作った頃の私は、そこまでは望んではいなかったですね。私は仲間内で楽しみたかっただけなので、そっちはそっちで楽しくやれればいいし、喧嘩をしてでも制覇しようとかは思わなかったんです。でも、向こうが喧嘩しに来ちゃったら、そのときはねえ……という感じで(笑)。

――他のレディースと、栃木県にある小山駅の前で一触即発になったことがあるそうですね。

かおり:そう、花火大会があった日のことです。小山駅前に特攻服で、確か悪女会だったかな、10人くらいを連れて来たレディースがいたんです。私たちにとって、特攻服を着ることはチームの看板を背負ってくる行為。そこまでの覚悟がないなら、別に私服で来ればいいわけですからね。まさか地元に来るなんて話も通っていなかったから、行くじゃないですか、当然(笑)。そのときにも「何やってんの?」「ここをどこだかわかってる?」「私を誰だかわかってんの?」とガンの飛ばしあいになって、「これは…くるな」と思ったけれど、先に手を出すわけにはいかないじゃない。だから、「わかっているなら、10秒数えるうちに帰れ」と言ったら、向こうはあっさり帰っちゃったんだよね(笑)。せっかく小山に来たんなら、お祭りで買い物でもして地元にお金を落としてくれればいいな、と思ったけど(笑)。

かおりに手を出したら300人集まる!?

――女族は結成当初から、シンナー厳禁で、恋愛にも厳しいルールを課していたそうですね。

かおり:私は『花のあすか組!』『ビー・バップ・ハイスクール』みたいな、ちゃらちゃらしていないヤンキー漫画が好きで、硬派を目指していたんです。『花のあすか組!』は大勢いる中に一人で立ち向かう場面がカッコ良くて、私の理想の硬派はそれだったんですよね。薬物は私がシンナーの怖さを知ってしまったこともあって禁止しましたし、恋愛についてはまずヤリマンはありえない。ヤリマンを蔑んでいた時期でもあったからです。とにかく私の中では、硬派で一途がかっこいいという感覚でした。もちろん、クラブやディスコにも行きたいと思ったことはありましたけれどね。

――恋愛にルールがあったといいますが、かおりさんは名前も知られていたでしょうし、当時の写真を拝見すると美しくてなおかつかっこいいですよね。周りから相当モテたんじゃないですか?

ロングスカートを穿きポーズをとるかおりさん。その美貌は当時でも相当なインパクトがあったはずだ

かおり:それがね、男がぜんぜん寄ってこなかったんですよ(笑)。町を歩いていても、ナンパの兄ちゃんも誰一人声をかけてこなかったなあ。「かおりに手を出したら300人集まる」という都市伝説が流布されていたらしいんですが、私のバックにヤバい人がついていると思われていたみたい。特攻服ができあがった直後に集会をやったとき、周りからみかじめ料を徴収していたヤクザの若い衆がいたんです。私は払いたくないから、断るつもりで直接、組長のところに行ってしまったんです。喧嘩をする時ってそうでしょ。頭さえ押さえておけば、末端はどうにでもなるという考えがあったんだと思います。

――ヤクザの事務所に単身乗り込んだんですか!

かおり:事務所に行って「みかじめ料を払えと言われたけれど、払いません!」と言ったんです。そしたら組長は私に度胸があると思ったようで、「女一人で来るのは根性あるな!」「俺の愛人にならない?」と言われました(笑)。私は「なりません!」とキッパリ断ったけれどね。このときの一人で事務所に行った事実に、いろいろ尾ひれがついて広まっちゃったんでしょうね。

――かおりさんの喧嘩の強さはもちろんですが、芯の強さを感じるエピソードです。

かおり:喧嘩といえば、宇都宮まで友達と遠征したとき、私たちがカラオケボックスから出てきたら、駐車場でちょっと年上っぽいヤンキーな金髪のお姉ちゃんに、「おめえらどこのチームだ」と因縁をつけられたんです。私は「何、やんの?」と応じるわけ。すると、「おまえら小山なのか。小山のかおりって知らねーのかよ。かおりはあたしの友達なんだけどさ、あんた、このあたしに手を出したら小山にいられないよ!」とか、私を目の前にして言うわけ(笑)。笑っちゃうよね。私は「そんな奴、知らねーよ!」と言って、そいつを喧嘩でボッコボコにしたけどね。

――まさか、その子もかおりさんの名前を騙って、本人に喧嘩を売るとは運が悪すぎますね。かおりさんはボコボコにした後、水戸黄門や暴れん坊将軍みたいに正体を明かさなかったんですか。

かおり:明かさなかったね(笑)。明かしたときの反応を見たいという好奇心もあったけれど、言わないのもかっこいいじゃない。後から、喧嘩を売った相手がかおりだとわかったときの相手の顔を想像したら、面白いよね。こんな感じで、私の名前を悪用する人もいたんですよ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる