テリー・ファンク死去、自著に遺したプロレスファンへのメッセージ「8月の風に秋の訪れを感じたら、それはオレだと思ってくれ」
日本のプロレスを心底愛していた
以降、来日した回数は、1983年の引退までにプライベートを除いても計25回。それほどテリーは日本及び、日本のプロレスを愛していたのだ。1983年8月31日のラストマッチが、出身地のアメリカではなく、日本であったことが何よりの証拠だろう。
蔵前国技館の引退試合、スタン・ハンセン&テリー・ゴディ戦を前にして、テリーは本書の最後をこう締めくくっている。
「オレはアマリロの大地を吹き抜けた一陣の風だったのかもしれない。8月31日のリング上でオレは風になる。毎年、8月暑い風の中に爽やかな秋の訪れを感じたら、それはオレの風だと思ってくれ。テリー・ファンクはこれから何十年、何百年か経とうとも、必ず毎年一回、一陣の風になってアマリロから日本にやってくることを約束してペンを置きたいと思う」
有終の美を飾った……のも束の間、翌年1984年にテリー・ファンクは現役復帰。1985年にはWWFと契約し、その後再び引退宣言するも、1989年にまた復帰。さらにはインディ団体を転戦し、ハードコアレスリングの先駆者となっていくのだから、テリーのプロレス人生は、いつ終わるとも知れないエンドレスロードに突入する。その分、身体にかかる代償は小さくなかっただろう。晩年のテリーは認知症を患い、介護付きホームに入所し生活をしていたようだ。
2023年8月23日死去。79歳没。
夏の終わりを感じさせる一陣の風は、ほのかにテキサス州アマリロの匂いがした。