寡作ながらすべての著作が文学賞を受賞 小田雅久仁の最新刊『禍』唯一無二の面白さ
さらに注目すべきは、主人公が別の世界に行く媒体として、肉体の一部(もしくは肉体そのもの)が使われていることだ。口・耳・目・豊満な肉体・鼻・髪・裸。このような統一性に、どのような意味があるのか。おそらく誰もが持っている肉体感覚を呼び起こし、生理的な不快感や恐怖を引き立てているのではないか。本書を読んでいて、面白いと思う一方で、落ち着かない気分になるのは、そんなところに理由がありそうだ。
他に留意したいのが、小説や物語に対するこだわりである。たとえば「食書」の小説家は、「魔女」の冒頭を読んで〝このぽろぽろとしきりに改行する兎の糞みたいな文体に気が散って、早々に投げ出したのだ〟と思う。作者の文章は改行が少なく、文章が詰まっている。とすればこの小説家の意見は、作者の意見であるのだろう。
あるいは「喪色記」にある〝物語ってのは、思いついたからっていつ書いてもいいってわけじゃない。自分のまわりを漂っている物語が、彗星みたいにいちばん近づく瞬間を待たなきゃならないんだ〟という一文を読むと、作者が寡作である理由が分かる。ストーリーの端々から浮かび上がる、作者の作家としの姿勢や意見が興味深い。
『増大派に告ぐ』から、作者の著書はすべて文学賞を受賞している。おそらく本書も、文学賞を獲得するのではないか。しかしそれがどの賞になるか、さっぱり予想がつかない。そこに小田作品の魅力がある。寡作でかまわないのでこれからも、私たちを見知らぬ新たな世界に連れて行ってほしいものである。