平野啓一郎が明かす、三島由紀夫への共感 「虚無のなかから文学的な美を創造することに自らの存在意義をかけた」
三島をだしにして自分の主張をする気もない
――『三島由紀夫論』は『仮面の告白』、『金閣寺』、『英霊の声』、『豊饒の海』をめぐる四つの論考からなり、そのなかで他の多くの三島作品にも触れる構成です。メインの四作は、三島を論じるうえでの定番という印象もあります。
平野:それがいけないという人たちもいます。三島は、これが自分の文学者としての仕事だという作品と、「婦人公論」などに書くエンタメ寄りの中間小説的な仕事を媒体によって区別していました。でも、ポストモダンの時代には、中間小説的な作品こそ評価すべきで、僕が選んだような作品ばかり強調するのは三島の可能性を狭めるという批判がありました。それには一理あると思います。今では純文学作家がエンタメ的なものを書くことも珍しくないですが、当時は高い壁があった。だから三島は、これは中間小説だと断ったうえで書き、普段文学を読まないような若い読者、女性読者との接点を持った。最近、フランスでも『命売ります』が翻訳され、売れたんです。
ただ、三島は自分の思想として特に存在論にこだわって考えていた。それを読み解こうとした時にとりあげる作品となると、やはり今回のようなラインナップになると思います。
――『三島由紀夫論』のあとがきに「鏡に映っている自画像」ではなく「〈他者〉として理解しようと努めた」とある通り、三島の作品や人生に沿った記述になっていますよね。同時代の作家との比較にページを割くわけでもないですし。
平野:僕はこれを書いている期間に世界的な三島シンポジウムに3回くらい出たんです。すると、若い海外の研究者は、三島由紀夫と宮崎駿の比較などをするんですね。それはそれでいいのですが、効果的なアプローチなのかどうかは疑問がありました。テクスト批評が一般化した結果、作者本人がなにをいいたかったかは関係なく、こんな読み方もできますよというアプローチがどんな方向からもできるようになった。三島の可能性を拡張する意味はあるでしょうけど、他者としての作家を理解する力が、弱くなってしまったと感じています。
ロラン・バルトがいう「作者の死」は、深みのない単純な議論です。様々な影響関係でテクストは織り交ざっているものだからそれを分析するのが読書だというような話ですが、さすがにそれは作品読解の極々一部でしょう。フーコーはもっと重要な議論をしていますが。他者は確かにわからない存在だけど、それをわかろうとするところに人間同士のコミュニケーションの意味があるし、それでもわかろうとすることに読書の醍醐味があったはずです。
三島文学をいろいろな方向に拡張しようとする人はたくさんいて、ただ、それはあまり僕の関心ではないんです。自分のいいたいことは小説で書いているので、三島をだしにして自分の主張をする気もない。僕の関心は、三島が本当はなにをいいたかったのか、また、そのこととはべつに時代状況や彼が影響を受けた本などのなにが彼にそういう思考をさせたのかを理解することです。それを書くのが、『三島由紀夫論』の目的でした。
――ただ、あとがきでは、三島の死を問うことが、平野さんの分人主義(人は1つの「個人」ではなく、対人関係ごとの様々な自分=「分人」からなるとする考え方)の構想に意味を持ったとさらっと書かれていて、読者としてはそこを詳しく聞きたいのですが。
平野:戦後の資本主義社会に生きていて、戦争直後は特に虚無感が強かったでしょうが、それは今に至るまで続いていると思います。いったいなんのためにこの世界に生きているのか。『「カッコいい」とは何か』にも書きましたが、身体的な生の充実感を求めるなら一は出世主義、余暇ではスポーツや音楽やダンス、あとは三島がそうだけどエロティシズムがある。それでも満たされず、最終的に自分を支えてくれる場所として三島は天皇、大江さんは四国の森とその神話へ回帰した。でも、僕には帰る場所がないから、この世界に実在する実感は、他者との分散されたコミュニケーションの現実に認めていくしかない。それが、分人主義です。
なんだかんだでポストモダンの洗礼を受けた世代ですから、20世紀のニーチェ、ハイデガー以降の形而上学批判が身に染みついていて、この世界を生きなければいけない時に天皇のような形而上学的なものに穴埋めしてもらうのは間違っていると、考えてきました。それで、他者との関係性のなかに現実の実感を探るべきだという立場になったんです。それは僕自身の実感と一番合致している。
そもそも三島がいう日本はとてもイマジナリーなもので、今の保守派にも共通しますけど、実態としていつどこにそんな日本があったのか、曖昧です。そこに抵抗を感じます。
――平野さんは『日蝕』でデビューした頃は三島からの影響がわかりやすかったと思いますが、その後の自身への影響をどのようにとらえていますか。
平野:作品内容というより、早くデビューした作家として、30歳になる時に自分の代表作を書きたいと強く思い、念頭にあったのが大江さんの『万延元年のフットボール』と三島の『金閣寺』でした。そうして書いた長篇が『決壊』です。その頃には多くの作家の影響が複雑に混じりあっていましたが、レトリックやアフォリズムが好きなところ、体言止めを用いるタイミングなどには、三島の影響が残っているところはありますね。
――三島由紀夫作品のかつての新潮文庫版のデザインにならった今回の本のデザインは、平野さんのアイデアですか。
平野:そうです。最近の人文系の本はタイポグラフィに凝ってゴチャゴチャしていますけど、そういうのは、この本にはどうかな、と。だから『決壊』を装幀してもらった菊地信義さんにお願いしたかったのですが、亡くなられた。それで表紙は『三島由紀夫論』と僕の名前だけにしたいと話していたら、10代の頃に愛読した文庫のデザインを踏襲することになりました。今の新潮文庫の装幀は絵が入っていますけど、以前のシンプルなものに思い入れがあったんです。
――三島は自分が自決する時までに『豊饒の海』を書きあげると決意し、実際にそうしました。一方、平野さんは、自身が三島が死んだ45歳になるまでに『三島由紀夫論』を書きあげようとしたそうですが……。
平野:人間が鬱的になる理由は、大まかに分けて2つだと思います。1つはパワハラ上司がいるとか個人の努力ではどうしようもない人間関係。もう1つは締切。三島の享年と同じ45歳で『三島由紀夫論』を出せば切りがいいし、間にあわせようとしたんですけど、1日何枚書けばいいか、どう計算しても間にあわない。無理をすると精神的にも辛くなってきて、その計画を断念しました。三島は11月に自決するというのに、四部作からなる『豊饒の海』の最後の長編『天人五衰』を『新潮』の7月号から連載してます。だから、締切に追いつめられる感覚を多少追体験したところはあります。でも、新潮社が「せっかくだから、じっくりやったらどうですか」といってくれたので当初予定より3年後の刊行になりました。僕は自決を覚悟しているわけではないし、日程や体調をいろいろ考えあわせて先延ばししてもいいんだというのも、三島の生涯に対する1つの批評になったかなという気もしています。
■書籍情報
『三島由紀夫論』
平野啓一郎 著
発売日:2023年4月26日
定価:3,740円
出版社:新潮社
新潮社サイト:https://www.shinchosha.co.jp/book/426010/