平野啓一郎が語る、疲弊した社会に必要なこと 「知的になることで感情的な苦しさから解放されることはあるはず」

平野啓一郎が語る、疲弊した社会の行末

 拡大する経済格差、急速に進む少子高齢化、世界中に災害をもたらす気候変動、AI技術の進化と浮き彫りになる問題点。予想を遥かに超えるスピードで変化し続ける世界において、小説が果たす役割、そして、読者に与えられるものとは何か? 平野啓一郎の新作『本心』は、その理想的な答えの一つだと思う。

 福山雅治、石田ゆり子で映画化され、累計58万部以上のヒットを記録した小説『マチネの終わりに』、人間のアイデンティティの在り処を描いた『ある男』に続く最新作『本心』は、“自由死”(死を自己決定できる権利)が合法化された2040年代の日本を舞台にした近未来小説だ。主人公は、“自由死”を希望していた母を交通事故で亡くした独身男性、朔也。彼は母親の“VF”(ヴァーチャル・フィギア)の制作を業者に依頼、ヴァーチャルな空間で母親と会話を重ねながら、自ら死を選ぼうとしていた本心を探ろうとする。その過程において彼は、母の友人だった元セックスワーカーの女性、VFのアバター・デザイナーとして成功を手に入れた若者、かつて交際していた老境の作家と出会い、母と自分自身の関係を根底から見つめ直すことになる。

 貧困、ギグワーク、社会の分断といった現代的なテーマを重層的に織り込みながら、まるでミステリーを読んでいるようなスリリングな読書体験をもたらしてくれる本作について、平野啓一郎に聞いた。(森朋之)

突き放すような書き方はできなかった

平野啓一郎『本心』(文藝春秋)

——新作『本心』の舞台は2040年代の日本。主人公の朔也はリアル・アバター(依頼者の分身として外出するギグワーク)として働いていて、経済的に不安定な立場に置かれています。さらにAI技術、格差、気候変動なども含めて、現在と地続きな世界が設定さていますね。

平野:近未来小説やSFのなかには、「絶対にこうならない」という世界を描いた作品もありますが、僕はそういうものにあまり関心が持てないんですよ。もちろん、あり得ない世界でこそ描ける物語もあると思いますが、僕自身は、今現在の社会を考えるということが根本にあるので。『本心』のストーリーも、ある程度リサーチしたり、「こうなるんじゃないか」という現実的な未来予測をもとにしています。

ーー現在の社会の状況はかなり深刻だと思いますし、この先、良くなっていくビジョンを持ちづらいのでは?

平野:そうですね。今の状況であんまり希望のない話をするのも何ですが、不確定な未来予測のなかで、世界的な気候変動と日本の少子高齢化は必ず起きることですよね。特に少子高齢化は、相当な数のカップルが3人以上子供を作らないと人口は減っていくわけですから、きわめて高い確率で起きる。あとはそのスピードがどれくらいか、ということですよね。経済的な格差もどんどん開いてますし、この30年くらいの変化、そして、この10年くらいの政治、社会の状況でほとんどとどめを刺された状態だと思います。ここから立ち直っていくにしても、どこからどう手を付けていいかわからないほどダメージを負っているし、どうしても悲観的な予測にならざるを得ない。ただ、僕には小学生の子どもが二人いるんですよ。彼らの世代が大人になって、社会の中心になって活躍するときのことを考えると、夢も希望もない物語を描く気にはなれなかったんです、心情的にも。

——今が絶望的であっても、その先にある希望を見出したいと。

平野:ええ。自分自身がいわゆるロスジェネ世代、団塊ジュニア世代であることも影響しています。経産省が「老後は2000万円以上の貯金がないとやっていけない」などと言ってますが、そんな貯金は出来てない人が大半だと思いますし、年金制度も破綻寸前。最近は国が税金を何に使うかに意識的になっている人が増えていると思いますが、社会的弱者に使われそうになると「そんな連中に使うべきではない」とヒステリックにがなり立てる人が表れますよね。そのことを踏まえると、僕らの世代が高齢者になったとき、「いつまで生きるのか」という問いが突きつけられるのは目に見えていると思うんです。そういう状況を迎えた時期の、一人の母親と一人の子どもの物語を作りたいと思ったのも、『本心』を書いた一つの動機ですね。

——朔也の母親は、70才という年齢で「自由死を選びたい」と言い出します。これは死を自分で決定できる権利ですが、新聞連載時には“安楽死”という言葉が使われていました。あえて“自由死”という言葉を使ったのはどうしてなんですか?

平野:それは僕が以前から提唱している“分人主義”とも関係しています。分人主義は、対人関係や環境によって、いろいろな自分になっていくという考え方。そのなかには心地いい分人もいれば、ストレスに感じる分人もあり、それを総合的に客観視しましょうということを言ってきたんですが、自分が死ぬときのことを考えると、できれば、心地よくて幸福感のある分人でそのときを迎えたい。愛する人に看取ってもらいながら、死の恐怖感をシェアしてもらえるのが理想じゃないかなと。ただ、どんなに気を付けていても突如として死が訪れることはあるし、事前に予定調整をしない限り、理想的な死の状況を作ることはできない。そこから発展させて、人生の他の大事なことと同じように、「死を自分のタイミングで決めることは社会的に許せるのか?」ということから考え始めたんですね。

——穏やかな分人で死を迎えるためには、自由死という権利が必要かもしれないと。

平野:それはあくまでも自由な決定であるべきなんですが、世の中が新自由主義に傾いてからは、“自由”という言葉にネガティブな要素が含まれるようになったとも思っていて。もし自由死が法制度化されたとしても、一見、主体的に決定しているように思えても、じつは社会構造や経済的な理由に追い詰められるケースがいくらでも出てくるだろうなと。

——なるほど。実際、安楽死を認める国や地域も増えているし、とても現実的な問題ですよね。

平野:オランダなどでは安楽死が合法化されていますが、条件が厳密に設定されているんです。決して治らない病気や、苦痛が永続的に続く状態などですが、『本心』では当初、それが無限に拡張された状態を書こうとしていたんです。やまゆり園の事件(相模原障害者施設殺傷事件)に象徴的ですが、優生思想に基づいて、社会において救われるべき人、救う必要がない人間に分けようとする動きがある以上、仮に“自由死”が認められたとしても、そういう思想と対決しなくてはいけないと思っています。さらに加えると、現在の日本で「尊厳死」と呼ばれているものには、概念的に安楽死に含まれているんです。積極的な安楽死は医師が注射をうって絶命させることで、消極的安楽死は終末ケアを施し、最後の瞬間を看取るということなのですが、日本ではその「尊厳死」という言葉の導入のせいで曖昧にしたまま進んでしまっている。世界的には、早晩、「死の自己決定権を認めるべき」という議論が出てくると思いますし、繰り返しになりますが、他者が弱者に対して、「いつまで生きるつもりなんだ」という問いを突き付けることがあってはいけない。その前に「そもそも死の自己決定が可能なのか」という哲学的な問いは立てられるべきだと思っています。

——『本心』のなかで朔也の母親は、自由死を希望した理由について「十分に生きた」と告げます。朔也は「母の本心は何だったのか」「経済的に不安定な自分の負担になりたくなかったのでは?」と自問自答を繰り返しますが、そこにも経済格差の影響が感じられますね。

平野:他者との比較からは逃れられないですからね。小説のなかで復員兵の話を少し書いたのですが、僕の祖父は徴兵されて、今のミャンマー、昔で言うビルマで戦争を経験していて。命からがら帰ってきたのですが、祖父の死生観には「本当はあそこで終わっていた命だし、戦友たちはみんな死んでしまった。自分はいつ死んでもいい」という感じが強くあったんです。ある意味、贅沢な生を生きていると言いますか。それ自体は否定できないですが、今後、同じような感覚を持つ人が増えるような気がしているんです。団塊ジュニア世代には、今も厳しい状況で生活している人がたくさんいますし、人生の途中で自死を選んでしまう人もいる。このままいけば近い将来、ある年齢に達したときに、それに比べれば、「自分は十分に生きた」という境地に達する可能性はかなりあるでしょうね。もしかしたら、僕自身もそう思うかもしれないですし。だけどそれは、社会の状況のなかで生じる感情であって、その人の本心なのかと言えば、何とも言えないところがあると思うんですよね。

——母親の本心を知りたいという朔也の思いを巡る物語は、“最愛の人の他者性”という言葉に辿り着きます。これは小説『本心』の核心となる言葉であり、分人主義の考え方とも重なっていると思います。ポイントは“愛する人が自分以外に見せている側面を受け入れられるかどうか”だと感じましたが、現実的にこの考えを受け入れるのは、かなりハードルが高いような気もしました。

平野:“最愛の人”ではなくて、“仲のいい人”くらいであれば、分人の多様性を受け入れることはできると思うんですよ。ネットの浸透からかなり時間が経って、“ひとりの人が、場所によって違う顔を見せる”ということも可視化されていますし。ただ、親の場合は難しいかもしれないですね。自分が知っている姿こそが親だし、その人自身と一体化しているところもあるので。自分が知らない場所で、親がどういう人間だったのかは、生前も、亡くなってからもよくわからないんですよね。もう一つは、愛する人も他者であるということ。相手の考えや行動が理解できないとき、それを受け入れるのが愛なのか、それとも、しっかり関与して考えや行動を変えさせるのが愛なのか。それも非常に難しい判断です。たとえば親が「自由死したい」と言ったとき、それは倫理的に間違っているとは言えないし、こちらとしては「死んでほしくない」という気持ちもあるわけで。僕自身は、文学を通じて、人間がより良く生きることにつながる思想や哲学を語りたいということを常に思ってるんです。単純なことかもしれないけど、文学史、哲学史を見ても、そういう根本的なものがベースになっていると思うので。

——死に向き合うことで、より良い生につなげてほしいと。

平野:死を賞揚したり、美化するのも良くないです。そういう考えは、簡単に利用されてしまいます。あとは、新聞連載中にコロナ禍になった影響もありますね。この時期に読むことを考えると、生きることに前向きになれるような内容、結末じゃないといけないなと。先ほども言いましたが、自分の子どもの世代が大人になった時期のことを考えると、どうしても突き放すような書き方はできなかったですね。

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