「月刊少年マガジン」編集長インタビュー「“らしさ”は編集長でなく連載陣がつくるもの」

「月マガ」編集長インタビュー

 『ボールルームへようこそ』『め組の大吾』『DEAR BOYS』など誰もが知る人気作品を擁する一方で、連載開始後すぐマンガ賞にノミネートされたことでも話題の最新作『サンダー3』を生み出すなど、常に漫画好きを熱狂させる「月刊少年マガジン」。今年の2月には「あなたの『好き』が見つかる『秘密基地』」を合言葉に、新しい漫画ポータルサイト「月マガ基地」をリリースさせたことでも注目が集まった。

 今回はそんな「月刊少年マガジン」で編集長を務める三村泰之氏にインタビューを敢行。編集長に至るまでのキャリアを振り返りつつ、漫画誌をめぐる状況、紙とWEBの現在地をどう捉えているのかなど話を聞いた。 (ちゃんめい)

決して順風満帆ではなかった……新人時代の挫折と成長


――まずは若手の頃の話をお伺いしたいのですが、入社当時から漫画編集者志望だったのでしょうか。

三村:当時は文芸編集者が第一志望でしたが、適性がなくて。それなら漫画編集者かなと考えていたのですが、いうほど漫画を読んできたわけでもないんです。強いていえば「ヤングマガジン」が好きだったので志望したら、なぜか「モーニング」配属になるという……予想外のスタートでした。ちなみに、当時「モーニング」志望だった同期は、僕と逆で「ヤングマガジン」に配属されていました。

――入社1年目はどんな編集者でしたか?

三村:ヒット作品を生み出そうと意気込んではいたものの、当時はすごく生意気でした(笑)。思い返せば、先輩はもちろん、作家さんにもすごく失礼なことをしていたなと。初めて担当させていただいた作品も半年経たずに降ろされましたし、決して順風満帆なものではありませんでした。

――その後の若手編集者時代はどのように過ごされたのでしょうか。印象的な出来事がありましたら教えてください。

三村:20代の頃に経験した「モーニング」は、大変でしたが本当にやりがいのある仕事でした。若手だから未熟なところはありましたし、たくさん失敗もしました。それでも、自分なりに、下手くそなりに、とてつもない熱量で担当作と向き合っていました。

 当時はもちろん、その後に異動した「イブニング」での経験も本当に勉強になったと思うのですが、『バカボンド』の井上雄彦さん、『働きマン』『さくらん』の安野モヨコさんには、たくさんのことを教えていただきました。お二人の作品を担当させていただく経験がなかったら、きっと“打ち合わせのできない編集者”になっていただろうと思います。

大物作家二人から学んだ“編集者の仕事”

――“打ち合わせのできない編集者”とは、どういったことを指すのでしょうか。

三村:そもそも漫画家の仕事って絵を描くことではなく、人をつくることなんです。神が土塊から人間をつくり出したように、漫画家は線を引いて人をつくるのだと。井上雄彦さん、安野モヨコさんと一緒に仕事をした時にそう感じたんです。

 例えば、お二人とも打ち合わせをする際は、新人の僕のアイデアも聞いてくださるんです。でもそのアイデアに対して「ストーリーとしては成立するけれど、本当にそれで良いのか」と問いただす。当時は意味がわからなくてひたすら困惑していたのですが、結局、お二人は人を生み出すために作品を“立体”として見ていた。だから、そう僕に尋ねたのだと思うんです。

――立体として見る……!?

三村:漫画って結局は、嘘なんです。作中で起きる出来事や事象は、嘘をつかなければ成立しない。でも、出来事や事象には嘘をついても、なぜそれが起きたのか、それを起こした人の気持ちを読者が人間としてリアルに見られなかったら、読者は面白いと感じないし、その世界に入ってくれないんです。作品の世界に入ってもらえるように、キャラクターの動作や発言一つとっても極限まで考え抜く……そういった、作品を立体として捉えることの大切さを学びました。

――作家が作品を立体化させようともがいている時、編集者にはどういったことが求められるのでしょうか。

三村:この作品の世界は、あなたが思っているよりもっと魅力的かもしれないよと。そういった提言を作家さんにできるのか……つまり、作家さんの意識をいかに拡張させられるのかが編集者の仕事だと思っています。反対に作家さんから「この人何も考えていないな」と思われてしまう提案をしてしまったり、「これが売れる型です!」とか一般化された漫画論を説いてしまうのは、“打ち合わせのできない編集者”そのものだなと。

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