『ゲームの歴史』はなぜ炎上している? ゲーム初心者でも読んでわかった通史企画の難しさ
『ゲームの歴史』に厳しい指摘相次ぐ
最近、東京書籍の教科書に約1200ヶ所もの間違いがあったことが大問題になったが、書籍の信頼を揺るがす事件が多発している。昨年11月に出版された『ゲームの歴史』(岩崎夏海、稲田豊史/著・講談社/刊)が間違いだらけということで、ゲーム愛好家や業界人から指摘が相次ぐ事態となった。
記者も購入したが、ゲームにそれほど詳しくない人でも突っ込みができるほど初歩的な間違いが多い。著者の思い込みや又聞きをもとに書いたとしか思えない記述も散見され、白紙に戻して作り直したほうがいいレベルの本であった。具体的な事実誤認や間違いについてはすでに多くの人が指摘しているので、ここでは触れないでおくが、なぜこうした本が出来上がってしまうのだろうか。
そもそも、『ゲームの歴史』という企画自体がかなり無謀なものだったといえる。通史の執筆は一朝一夕でできることではなく、ある分野のエキスパートのような書き手であっても難しいのである。
立花隆が日本共産党の通史『日本共産党の研究』を書いた際は、膨大な資料をかき集め、編集部内にチームを結成して執筆にあたった。ゲームの通史を書くとなれば、それこそ一政党の歴史よりもはるかに広範囲を扱うことになる。資料集めだけでも一苦労で、相当な手間をかけなければ書けないテーマといえる。
話が逸れるが、記者はこれまで何人もの漫画家やアニメーターにインタビューをしてきたが、ネットに流れている情報と事実がまったく違うということがままあるのだ。誰かが流布した俗説が定説化してしまったケースが多いように感じる。そもそも定説は正しいのか。通史の執筆の際は検証が不可欠である。そのためには何人もの関係者に会い、内容のすり合わせを行う必要があるのだ。
そして、校閲が十分に機能していたかどうかが問われている。『ゲームの歴史』は校閲がしっかりチェックをしていれば発見できたレベルの間違いが多い。今後、出版社側が編集体制の検証を行うと思われるが、通史であればなおさら、丁寧に一字一句確認が必要である。誤植や間違いを完全になくすことは難しいが、減らす努力はできる。今一度、本作りの原点に立ち返る必要があるだろう。
ゲームの通史は絶対に必要である
問題が多すぎる本ではあったが、『ゲームの歴史』は一度白紙に戻してでも、作り直す意義はあると考えている。間違いなくゲームの通史は必要だからである。ゲーム業界のキーパーソンへの丹念な取材と資料集めが行ったうえで編集されていれば、間違いなく歴史に残る本になったであろう。非常に残念である。
ゲーム業界の黎明期や、成長期に大きな足跡を残した関係者も、いよいよ高齢になりつつある。美少女ゲーム『さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜』を制作した長岡建蔵が、2021年に行われたトークライブのポスターに「ほら、開発陣全員もう歳で…、いつ死ぬか…わからないから…」と綴っていたが、本当にその通りだと感じる。
日本の近代建築の通史を執筆した建築史家の藤森照信は、関係者が存命なうちに話を聞いておくことの重要性をたびたび説いている。ゲーム業界も同様ではないだろうか。さらに言えば、記者がインタビューをして感じるのは、人気のあるクリエイターほど多忙だった時期の記憶が薄れていることが多い。後世に正確な歴史を伝えるためには、今こそ話を聞いておく必要がある。
日本のゲームが世界に誇る文化であることは間違いない。その通史を書くことは、後世の研究者が論文を書いたり、研究を行うための情報を残す、極めて意義深い事業でもある。20年後、50年後の人々に興味深く読まれる本になるはずだから、ぜひ『ゲームの歴史』は作り直しにチャレンジして欲しい。このタイミングでやり直せば、後世の評価は一変するはずである。