『キッパリ!』から『全裸監督』までベストセラー多数! 穂原俊二が明かす編集者人生「本は今生きている現実と必ずつながる」

穂原俊二が明かす編集者人生

良質な企画を生み出すために

ーー編集者として、普段から心掛けていることはありますか。

三浦佑之 日本古代文学入門
三浦佑之『日本古代文学入門』(幻冬舎) 装幀:守先正デザイン室

穂原:それが好きだからですが、常にたくさんの本を読んでいると思います。本は今生きている現実と必ずつながります。音楽や映画やアートともつながります。勉強するのは本を面白く読みたいから。著者が大学などで講座を開いている場合は、仕事になろうがなるまいが、できるだけ参加しています。今年の前期も東京大学の加治屋健司さんのゼミに参加していました。

 例えば、三浦佑之さんは千葉大学で古事記を教えていらっしゃったので1年間通い、『日本古代文学入門』(幻冬舎/のち角川ソフィア文庫)に結実しました。宮台真司さんが首都大学東京(東京都立大学)でやっていた宮台ゼミにも3年くらい通いました。当時、宮台さんは一日、朝から晩までぶっ続けで講義するということをやっていて、脳がしびれました。そこから、宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)ができました。見田宗介さんの私塾には、5、6年通い、合宿などもあって濃密な時間を過ごしました。最後、編集した開沼博『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版)での取材を元に、福島第一原発について3時間発表、絶賛してくださったので、合格をもらったと勝手に思っています(笑)。

開沼博『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版) 装幀:Asyl

 かねてから放送大学もよく利用していて、その時々で手がける本についての概要を得るために関連する授業を受講しています。長期にわたって受講しているので、卒業が目的ではないのに、いつのまにか卒業となってしまい、すでに2巡目です。例えば、美術史なら、稲賀繁美さん、佐藤康宏さんらの見事な講義がありました。いちいち挙げませんが、日本古典文学、外国文学、英語などなど非常に充実しています。放送大学は全科履修生になると面接授業というリアルな集中講義も受講できて、これが素晴らしいのです。美術史なら、神野真吾さん、佐藤直樹さんらが丸2日間全日、西洋美術史をみっちりやった日のことなど忘れられません。原武史さんが2日間で日本政治思想史を非常にハードに講義したりとか、きら星のような先生方がおられますね。試験もあるのでそれが復習になります。

 また朝日カルチャーセンター新宿の講座も数え切れないほど通いました。昔は年齢制限のない学割(放送大学)があったので気軽に受けまくっていました。柴田翔さんの「ゲーテ『ファウスト』を読む」に3年、斎藤環さんのラカン講義に2年、高山宏さんのマニエリスム講義に1年半とか。藤田一照さんとティク・ナット・ハンに関する講座で出会い、『アップデートする仏教』(幻冬舎)を編集しました。ここは編集中の著者とも重なっているので、打ち合わせや原稿の催促にも行ったりしてもしていました。

 他に福山哲郎さんが主宰されていた「新しいリベラルを考える会」にも誘われて2年ほどオブザーバーとして通いました。宇野重規さんをはじめ第一線の政治学を中心とした学者の小規模でクローズドな勉強会ですが、それをきっかけに福山哲郎&斎藤環『フェイクの時代に隠されたもの』(太田出版)が生まれました。

ーー座学も重視していると。それほど勉強するようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

穂原:面白いからとしか言いようがないですね。私淑している呉智英さんが論語と荘子を読む「以費塾」に80年代末に通っていたのですが、これは浅羽通明さんの企画によるものです。彼は「見えない大学本舗」を主宰されていて、その影響はあるかもしれません。勉強というより楽しみで長く友達と読書会をやっているのですが、どこか秘密結社めいたところがあるのはそのせいでしょう。また別に読書会として候補作を読むという直木賞予想会もやっていますが、これは『オール讀物』に選評が出るので、答え合わせをするようにする読むのが楽しい。「プロはこんな風に読むのか」と驚きます。東野圭吾さんや三浦しをんさんなど凄い書き手は凄い読み手でもあるということがはっきりわかります。

ーー穂原さんの仕事は、80年代はいわゆるサブカルが中心ですが、その後は人文、アート、文学と、どんどんジャンルの幅が広がっている印象です。

穂原:私はサブカルという言葉はもともと使っていません。自分が心から面白い、天才だと思う人と仕事をするように心がけていて、その結果としてさまざまなジャンルの本をお手伝いすことになっただけです。彼らの知性は、どこかで繋がっていますね。ジャンルには垣根がなく、突き詰めて考えると同じだということです。

本は現実と繋がっていく

ーーこれまで出会った方々の言葉で、印象に残っているものは。

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス) 装幀:鈴木成一デザイン室

穂原:たくさんありますが、橋本治さんが2階建ての家で話してくださった「小さな事でも面倒くさがらずに徹底的に考えろ」という言葉かもしれません。呉智英さんも同じことを言われています。わかりやすい大きな物事の捉え方に依拠するのではなく、ズルをしないでその都度、一つひとつを自分で考えるという姿勢が大事だと。晩年の橋本治さんは、世界がどんどんバカになっていくとしか言ってなかったように思います。私が橋本治さんの系譜に連なる書き手だと思っていた小田嶋隆さんも、小さな事を徹底的に考えるコラムニストで、彼もまた日本語がどんどん貧しくなっていることを憂いていました。雑誌に発表するようなコラムを書いていると、読者は気がつかないが、書き手はいつのまにか言葉が貧しくなっているということに気がつくのでしょう。長く編集者をやっている私も当然大きな変化が起こっていることに気がつかされます。格差が広がり分断が進んで、日本も世界も悪くなっていくばかりの世の中に対して、私の場合は、卯城竜太さんが言われる「アクション」として、本を作っていくしかありません。

ーー本の魅力はどんなところにあるのか、改めて教えてください。

奈倉有里 夕暮れに夜明けの歌を
奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス) 装幀:鈴木成一デザイン室

穂原:教えるなんておこがましいことはできないですが、個別の本の楽しみは語れます。例えば、BTSの兵役問題は、まだ終わっていない朝鮮戦争があるからであり、朝鮮戦争は日本の植民地支配や、日本のポツダム宣言受諾が遅れたことに直接関係がある。現在の韓国文学の面白さと、そのおどろくべき豊穣の理由が、斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』を読むとわかります。当然ながら、我々の現実と深く結びついている。また奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』を読めば、ウクライナ戦争がはじまる前の、プーチンの専制、テロ・貧富・宗教により分断が進み、状況が激変していくロシアがどうだったかを美しい文章で読むことができる。「分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を探す文学ということの重みがしっかり伝わってきます。そして、卯城竜太『活動芸術論』を読むと、Chim↑Pomの活動と作品が、生きるか死ぬかを賭けるほどのチャレンジによって、「個を突き詰めると公になる」(自己実現を突き詰めると結局は社会の役にたつことが目的となる)ことを証明してきたこと、「ローカル/グローバル」を超えた「ドメスティック=プラネタリー」という、我々の生きる社会の次の地平に挑んでいることがわかります。

 どの本もまた、現実とつながっていて、本当に興味はつきない。本というのは長い歴史の中で究極ともいえるほど練り上げられてきた形態で、とてつもないパワーを秘めている。我々はまだそれに気がついてないかもしれない。いつもそう思って本を読んでいます。

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