【追悼・稲盛和夫】安藤忠雄、黒川紀章……建築界にも与えた大きな影響

令和4年(2022)8月24日、京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫が、京都市内の自宅で老衰のため死去した。90歳だった。

 稲盛といえば一代で京セラを築き上げた伝説的な経営者であり、第二電電(現在のKDDI)の設立者としても知られ、晩年には破綻したJALの立て直しにも力を注いだ。その独自の経営術や語録をまとめた本はこれまでも多数出版され、ベストセラーになっている。今回の死を機に、その業績が改めて注目されている。

不朽の名著として知られる『生き方』(サンマーク出版)。2004年の発売以来、数多くの経営者やビジネスパーソンが今でも影響を受けているミリオンセラーだ。


 稲盛は幅広い分野に造詣が深いが、特に思い入れの強かったもののひとつが建築だった。特に、建築家・安藤忠雄と稲盛のエピソードは有名だ。鹿児島大学にある「稲盛会館」は、同大学のOBである稲盛の寄付で1994年に整備されたホールである。この設計に際し、稲盛は安藤が1988年に発表していたアイディアに目をつけた。

 それは、建物の中にコンクリートで卵状のホールを挿入するというもの。このアイディアは、安藤が大阪の中之島にある「大阪市中央公会堂」の改修案として、構想していたものであった。歴史的建造物である中央公会堂は、老朽化に伴い、改修か解体かの議論になっていた。安藤は斬新なアイディアで、保存再生を図る方法を提示したのだ。

大阪市中央公会堂は中之島のシンボルだが、保存か解体で議論を呼んでいた。写真=山内貴範

 紆余曲折あった末に中央公会堂は保存が決まり、安藤の構想は実現しなかった。しかし、稲盛は自身がパトロンになることで、安藤の夢を実現する機会をつくったのである。この卵のアイディアは、後に安藤が手掛ける東急電鉄の渋谷駅でも実現している。それに先駆けて依頼をした稲盛の先見性は、確かなものといえるだろう。

 また、稲盛はメタボリズム建築を牽引していた巨匠である黒川紀章とも親交が深かった。京セラ関係の仕事では、黒川が手掛けた建築も数多い。京都郊外に聳え立つ「京セラ本社」や、鹿児島県霧島市にある「ホテル京セラ」も黒川の作品である。特に京セラ本社は黒川が好んだ落ち着いた色合いで、高層ビルでありながら周囲の景観になじんだ建築となっている。

黒川紀章が設計した鹿児島県霧島市にある『ホテル京セラ』。写真=山内貴範

 稲盛が好んだ安藤忠雄や黒川紀章には共通点がある。独自の建築像を追求し、果敢に挑戦し続けた人物である点だ。稲盛は彼らのデザインはもちろんだが、設計に臨む姿勢や、人物像も含めて評価していたのではないか。稲盛は経営塾「盛和塾」の塾長として多くの経営者を育てたが、建築家のパトロンとして挑戦を後押しした意味でも、唯一無二の人物であったといえるだろう。

稲盛和夫の最新作『経営12カ条 経営者として貫くべきこと』(日経BP 日本経済新聞出版)

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