【伊集院静さんが好きすぎて】気鋭の放送作家・澤井直人が綴る「食」の流儀
私生活のすべてが伊集院静「脳」になってしまったという放送作家の澤井直人。彼がここまで伊集院静さんを愛すようになったのは、なぜなのか。伊集院静さんへの偏愛、日々の伊集院静的行動を今回もとことん綴るエッセイ。
伊集院静さんの随筆を読み進めていくと、“食”に関するお話が、時折顔を出す。今回は、その“食”を通じて、伊集院静さんから学んだ流儀を書かせて頂く。
伊集院静さんは、好みの食やお店のことを、贔屓(ひいき)という言葉で表現される。
(※私もこの言葉を知ってからは、使わせて頂いてる。)
「贔屓」と言うのは、その人のよい事だけを取るのでは無くその人が世間から受けた、悪い評価を感じる時も「いや、それは何かの間違いだ」と言えることだという。
「美味い、不味いじゃない。行き着くところは、味より人である」
今、世の中には、数多くのグルメ雑誌、グルメサイトが存在する。確かに、仲間とご飯に行く際は、“食事の味”を軸にお店を選ぶことが大半だ。
しかし、どんな名文と評判の文筆家でも、こと食に関しての文になると、そこに卑しさを感じるものだと伊集院静さんは言う。
「まったりとした味わいだ。」「ソースと食材がハーモニーを奏でてる」など。。。
何年も修行をした職人に対して、昨日今日出てきた素人が、食通ぶって易々と評価をするのは失礼以外の何物でもない。
では、一体どういう基準でお店を選ぶのか? そんな伊集院さんのエッセイの中で出てきた 印象的なお店とエピソードを紹介する。
そのお店は……伊集院さんが青森にある行けば必ず立ち寄るという、『天ふじ』というお鮨屋さんだ。鮨としては、北ではピカ一の勢いのある鮨屋だという。勿論、ネタも豊富で、主人の目が利くから美味この上ない。酒も絶品が揃えてある。カウンターの隅で、肴と酒をやるのがたまらない。
『天ふじ』を訪ねると、いつも驚くのは、北の漁場で獲れる食材の多さ。
しかし、このお店の魅力は………それだけではない。
この店は伊集院さんが競輪を打ちに行った際に訪れた。ある日、準決勝前にオケラになり、鮨代だけは残っていたのでカウンターに座った。
元気のない彼に店の主人は、「そうか。じゃ今夜はしこたま飲んでうちの座敷で寝て、それで帰りゃいいよ」と言われ、その言葉に甘えることになった。
翌朝、目を覚ますと枕元に一見の客で知り合って数日の青二才に渡すような金額ではない封筒が置かれていたのだという。
しかも、急いで、ひと晩でかき集めた様子が伝わった。“遠慮無く、明日使ってください。” と店主からの手紙まで添えられていた。
つい数日前に知り合った鮨屋の主人と女将である。伊集院さんは、その金を握って競輪場へ走り、結局はまたオケラになったそうだが、店との付き合いはそこからはじまったという。
二十数年の付き合いにまでなった今でも季節になると仙台の家に酒の肴が届くという。
たまたま入ったお店から、何十年も付き合いが続くって素敵だな。私利私欲を抜きにして、そんなお付き合いで世の中が溢れたらいいのにな。
骨太くて、荒れているが、実に温かいそんな店主の手は伊集院さんの記憶に残り続けている。
今では少年時代に野球に夢中で、修業から戻った倅(せがれ)が引き継いで、鮨を握っているという。いつか私もこのお店に行って“鮨”はもちろん“人の味”を味わってみたいと思う。
伊集院さんはエッセイの中で、「鮨屋の職人が好きだ。」と書かれている。
鮨屋には、いい顔をした男が多いのだという。それは、修業時代に辛苦を味わったからだと。叩かれた顔には味が出るのだという。
そんな鮨職人が多く店を出す街が都内に存在する。都内の一等地“銀座”だ。昔の遊び人は銀座にご飯を食べに行ったり遊びに行くことを“中(ナカ)に入る”と言った。色んな繁華街があるが、銀座は中、それ以外は全て外(ソト)と呼んだそう。
平成生まれの僕は、銀座で飲んだという記憶がほとんどない。飲食をする際は、集まりやすい渋谷や、中目黒、恵比寿などが相場なのだ。要は、これまで飲食をしていたのは全て“外”だったということなのだ。伊集院さんきっかけで銀座を調べてみると、多くの文豪たちが銀座という街に繰り出した歴史がある。
“伊集院静さんと銀座” この歴史も追々は研究していきたいと思っている。
放送作家になって初めて私も回転寿司じゃないカウンターのお鮨屋さんに行った日がある。四谷三丁目にある “鮨 和さび”さんだ。
東京に来て、バイトをしながらも放送作家の活動をしていた時分。初めてテレビ番組の構成のお仕事を頂いたときに、知り合いがお祝いで連れて行ってくれたお店だ。
確かな目利きで仕入れた、新鮮な食材を使った江戸前鮨は絶品。ひとネタごとのクオリティに感動は止まらなかったのだが、それ以上に心地よかったのは大将の放つ雰囲気だった。
ゆったりとくつろげるカウンター9席の店内は憩いの空間。そこに集まる客が全員、目で追っていたのは1人の大将。
身なりは短髪で清潔さわやか。コミュニケーション能力も芸術的に上手。そして面白い。(お客さんが気持ちよくなる程度にボケてくださる。)その笑顔は、お店を出た後も余韻として残る。
お店には、コロナのタイミングもあって何年もの間、行けていなかったのだが、このお店を紹介した知人から“澤井君の話をしたら当時の話を鮮明に覚えておられたよ!”と聞いた。
空白の期間、数多くのお客さんがこられているのに……「なんて、丁寧な方なんだ。」
伊集院さんも「綺麗は丁寧に繋がる。」「丁寧は仕事の基本であり、人間の誠実がこれをさせている。」と書かれている。誠実は、生きる姿勢なのである。
全ての人の見本が鮨屋には詰まっている。鮨屋に行けば、人と人との教科書が詰まっていると思う。
ところで、この夏のお盆。飲食店ではないのだが、“人の味”がするお店に出会った。
私は、大がつくほどのサウナ好きで、週に3回以上はサウナ施設へ足を運ぶ。前々から気になっていた、水の都、岐阜県大垣市にある大垣サウナさんへお盆の思い出にと、足を運んできた。
館内へ入ると、昭和から時間が止まっているかのようなレトロ空間。店内を見渡していると、受付の店員さんが話しかけてくださる。
店員「あら、関西の人?」
私「実家に帰省していて、滋賀県からきました!」
店員「あら、滋賀から!話し方聞いてすぐわかったわ。長旅ご苦労様だね。」
当たり前の会話に聞こえるようだが、東京のサウナ施設だとこんな会話には中々出会えない。思いやりの会話に心がホッとする。ロビーで靴をぬぐと、おばあちゃん家の匂いがほんのりと香る。
極上のサウナと、上水質の水風呂に満足し、二階の御食事処へ上がると、常連のおじちゃんたちがカウンターに並んで、店員さんと談笑しながら、テレビで高校野球を観戦しながら
瓶ビールをクイッとやっておられる。この人間味溢れる情景を見るだけで酒の肴になる。
「良い施設だったな」 お店を出て、駅に向かうバスを待ってるときだった。
ママ「バスが1時間に2本しかこないのよね。車で送っていってあげるわよ」
私「1人ですよ?」
女将さんが大垣駅まで車で送迎してくださるというのだ。(駅まで車で10分はある。)
赤信号を待っているときだった。
ママ「あそこで手押し車のおばあちゃんいるでしょ? あの人、昔学校の先生してはったのよ!元気だねえ」
運転しながら、ママの思い出話、大垣の街の解説まで話してくださるサービス精神。別れ際には「体に気をつけてくださいね。」と一言。全てを包み込む女将さんの優しさ。全てがあたたかかった。
自分の贔屓店を振り返ってみると“自分がどう生きてきた”のかを辿れる。そのご飯の味と一緒に店主の笑顔や、かけてくれた言葉が思い起こされる。昔から、田舎から出てきた人が、飲食店の女将や大将に“東京のお母さん、お父さん”っていう言葉を使うけれど、人は、そういうお店を潜在的に探しているのだろう。
結局、私も“味を求めにいくお店選び”じゃなく、“人”に会いに行っていたんだな。この日本に、一軒でも多く“人の味”が深いお店に出会っていきたいと思うようになる。今日も伊集院静さんを求めながら。