『チェンソーマン』藤本タツキが認めた漫画『宇宙の卵』が凄まじい! 危険な問いに満ちた作風を考察
ある日、全人類に異能力が備わるという、SFテイストの少年漫画でよく見かける導入部だが、第二次世界大戦後のフィリピンを舞台にして、史実と接続することによって、ドキュメンタリー映画のような生々しさが生まれている。何より最後に登場する「簡易殺人社会」という言葉の禍々しさ。コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、元首相の暗殺といった出来事が次々と起こり、人の死が身近になっている今の時代の気分を、一言で言い表している言葉だ。
本作は「短期集中連載」と銘打たれている。おそらく全一巻か同じ「ジャンプ+」で配信されていた『タコピーの原罪』(集英社)のような上下巻に収まるのではないかと思う。そのため、物語も「宇宙の力」を用いたバトル漫画ではなく、SF的思考実験を用いて、作者の哲学が提示されるメッセージ性の高い作品となるのではないかと期待している。
本作冒頭では、ルイのじいちゃんが語る、遠い未来から見れば「戦争」も「飢饉」も「虐殺」も「事象の連続」に過ぎないという諦念が示される。この「事象の連続」という言葉は、劇中に登場する教科書の年表ともつながっており、本作全体に通底する俯瞰した視点そのものだと言える。
一方で提示されるのが、貧者には「盗むか」「死ぬか」「ただ生きるか」の3つの選択肢しかないと泥棒グループの少年が語る、地べたを這いずり回る弱者たちの視点だ。ここに「宇宙の力」が全人類に備わり、「殺す」という選択肢が生まれた時に、ルイが何を選ぶのか? というのが、今後の流れだろうか?
フィクションだからこそできる危険な問いかけの詰まった『宇宙の卵』は、今こそ読むべき漫画である。