写真家・笠井爾示が振り返る、被写体としての母親とドイツでの日々「ジメっとしたメッセージ性を持たせたくなかった」

笠井爾示『Stuttgart』インタビュー

“母親”を撮っていなかった

――ご家族との関係性についても聞かせてください。まず、家族みんなでドイツに移住されたのは、笠井さんが10歳の頃だったんですよね。

笠井:そうですね。当時は急に言われたし、本当は行きたくなかったです。日本の友達と離れたくなかったし、『コロコロコミック』の続きは気になるし、ドイツ語も話せないし……。あと、これは余談ですけど、移住したのが1980年の4月だったんですね。その直前の3月に、テレビでノストラダムスの大予言が特集されているのを見て「どうやら1999年に地球が滅びるらしい」と、噂の触りだけを知ってドイツに行っちゃったんです。どう話が進展しているのか、気になるじゃないですか。でもドイツでは、誰もノストラダムスの話をしていない。今みたいにインターネットもなかったし、続報が何も入ってこなかったから、「1999年」という確かなタイムリミットだけを頼りに、どんどん妄想だけが膨らんでしまって(笑)。

――子どもだと、そういう噂も間に受けちゃいますよね(笑)。

笠井:早く真相を突き止めたくて仕方がなかったですよ。とはいえ、ドイツに移住したのは叡さんの都合だったし、3~4年辛抱したら帰れるだろうと。移住を、冷静に受け止めている自分もいましたね。

――3年後、ご家族みんなが日本に帰国するなか笠井さんだけがドイツに残られたそうですが、それはなぜ?

笠井:「日本に帰るよ」と言われたとき、自分でも不思議なことに、「もう少しここにいてもいいかな」って気持ちになっていたんですよね。現地で学校生活を送るなかで、そこそこドイツ語を話せるようになっていたし、このまま帰国したら、せっかくできたドイツ人の友達と2度と会えないかもしれないと思うと、もったいない気もして。その頃には、ノストラダムスのことなんてすっかり忘れていたんでしょうね。「絶対に残りたいんだ」って熱量でもなかったけど、「残りたいなら残っていいよ」と言われた手前、残るしかないかなって感じでした。

――本作によると、高校卒業後もそのままドイツで進学をする予定が、たまたま帰国した際、心を病んだ久子さんの変わり果てた姿に直面し、慌てて日本に戻られたそうですね。13歳から18歳の多感な時期に家族と離れて暮らしていると、物理的な距離以上に、精神的な距離感が生まれそうなものですが、実感としてはどうでしょう?

笠井:家族に対する依存は、ほかの人たちに比べると薄いかもしれないですね。家族的な絆はあるんだろうし、兄弟喧嘩だってしたことありますけど、いまだに家族全員が集まっても、個人個人の集まりという感覚が強いです。弟たち含め、子どもの頃から一度も、「お父さん」「お母さん」と両親を呼んだことがないですし。

――とはいえ、家族でかつて住んでいた場所を訪れ、そこで撮った母·久子さんの写真を一冊にまとめ、笠井家の場所である天使館で写真展を開催されて……。ここ2年間は、今までにないくらい“家族”を強く意識する期間だったと思います。本作を通して、“家族の感覚”に何か変化はありましたか?

笠井:うーん、特にないですね。もう少し時間が経って、本作を客観視できるようになったら、また違った感覚が芽生えてくるのかもしれないですけど。ただ、本作を作って世に出して、初めて分かったことはあります。というのも、本作に関しては「自分の母親とダブらせてしまった」と感想をいただくことが圧倒的に多かったんですよ。撮っていて、あるいは写真集を作っていて、そんな風に見られるなんて思いもしませんでした。

 面白いことに、うちの3人兄弟の真ん中の弟も、本作について「自分の母親の写真としては見なかった」とFacebookに感想を書いていたんですよね。弟ですらそう感じるんですから、詰まるところ、僕は、ドイツでそれほど“母親”を撮っていなかったのかもしれない。事実として“息子が母親を撮った写真集”ではあるものの、被写体として強烈な“母親”の姿はほとんど写っていないんじゃないかと、気づかされたんです。

 意識的にそう見えるよう撮ったわけではなく、結果としてそう見えただけなので、この話は、本作の結論でも答えでも何でもありませんがね。みなさんや弟の感想を受けて僕なりに得た、ただの気づきです。

――なるほど。それはやはり、思春期に離れて暮らしていたがゆえの距離感の表れなんでしょうか?

笠井:それもありつつ、僕に「写真を通して何かを表現したい」気持ちが少ないことも大きい気がします。例えば、2017年に出した写真集『東京の恋人』(玄光社)では、「一体どこまでが“東京の恋人”なんだろうか」と読者を煙に巻きたくて、意図的にそう撮っていた部分がありました。手の内を明かしすぎない方が、写真は面白いと思っていたから。その感覚は変わらないものの、今回は、旅行の流れで、何を意図するでもなく淡々と撮っていました。だからこそ、僕の写真に対する気持ちがありありと表れたんじゃないかと。それもまた、気づきでしたね。

 逆に「これぞ母と息子の愛の結晶だ」と感想をくださった方もいます。先ほどもお話ししたように、実際のところ、僕はそんな気持ちで撮っていなかったんですけど、写真は、表面的に見えるものから何を感じるかだから、そういう感想もまたひとつ。「何が本当か」なんてことは、基本的にないですよね。

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