最もファンタスティックなのは何かーー鈴木涼美の『進撃の巨人』評

鈴木涼美の『進撃の巨人』評

 稀代の傑作『進撃の巨人』は人類に何を問いかけるのかーー2021年4月に約12年に及ぶ連載に終止符を打った漫画『進撃の巨人』を、8人の論者が独自の視点から読み解いた本格評論集『進撃の巨人という神話』が3月4日、株式会社blueprintより刊行された。

 文筆家の鈴木涼美は、『進撃の巨人』において最もファンタスティックなのは何かという問いを立て、性器、生死、あるいは愛のようなものについて独自の論考を寄稿している。リアルサウンドブックでは、その一部を抜粋してお届けする。(編集部)

生殖器のない巨人という脅威

 広く一般にまでその人気が波及した漫画作品の多くは、多かれ少なかれ名言集のような側面を持つが、それぞれの痺れる台詞が文脈を超えて漫画未読の者にも意味が通るようなものである時、作品を暗喩的に読み解こうとする欲望は加速する。加えて三つの〝壁〟の内側で始まる複数の争いの物語は、その設定自体があらゆるもののメタファーとして成立しやすいので、提示される記憶の改ざんや人種差別などがダイレクトに具体的な事象とすぐに結びつけられる。そしてそれが時代や時流に乗ることで、あるいは読者の経験してきた歴史によって、多様な当てはめに開かれていることが、『進撃の巨人』を年齢、国籍、性別を問わない幅広い人気作へと押し上げた一つの条件に間違いない。

 実際、『進撃の巨人』の連載が開始された2009年から完結した2021年まで、作品のエピソードや台詞を引いて説明してみたくなる事象には事欠かなかった。期待を背負った政権交代とその挫折、天災と人災の入り混じった地震被害、各国の右傾化や隣国との関係悪化、巨大な二大国家間の駆け引きにCOVID-19と、フィクションが着想を得る、あるいは既存のフィクションを当てはめたくなる対象を挙げればキリがない。錯綜する情報の中でかつてない閉塞感を抱えた時流だけでなく、具体的に疫病禍で壁の中に隔離された時代に、読まれるべくして読まれたフィクションの一つにこの作品はある。

 さてしかし、簡単にメタファーに落とし込めない所にこそ、ファンタジーの本来の面白さはある。『進撃の巨人』の中で圧倒的な存在感を放ちながら、容易な解釈を拒絶しているのが、不気味な巨人たちだ。そしてこの巨人たちが存在することによって、作品は○○の物語であるという解釈を免れ、現実と隔たれた壮大なファンタジーに引き上げられている。単行本の巻末に付され続けたミニ漫画が、現実世界にファンタジーの世界の住民たちが当て込まれているというおかしみを維持し続けているのも、そこで描かれる現実世界に作品タイトルである巨人が登場しないのも、巨人という存在のファンタスティックさ故だとも考えられる。

 この巨人を、神聖でファンタスティックな存在にまで昇華させているのは何か。言うまでもないが、巨人とは辞書的な意味では人である。人という字が示す通り、並はずれて身体の大きな人、巨大な人を巨人と呼ぶ。しかし作品の中の巨人はこの定義には当てはまらず、また並はずれた才覚のある人を知の巨人などと呼ぶときの意味とも当然違う。巨人が壮大なファンタジーの要となる所以はその設定にある。

 巨人を不可解なものとしている設定に、生殖器の欠如がある。描かれた巨人に性器は見当たらず、巨人のセックス描写もない。これは作画上の都合というだけでなく、実際に壁の中の兵士たちに共有されている数少ない巨人の特徴としてはっきり「生殖器は存在せず繁殖方法などは不明」と説明される。

 外性器のない動物というのは多く存在する。例外はあるが大半の鳥や魚はそうで、排泄にも使う穴同士をつけたり精子を振り撒いたりして生殖作用が行われる。よって性別の判定は特に鳥のヒナなどに限ると大変困難で、初生雛鑑別士が職業として成立する。あるいは羽化する前のセミやカイコなど多くの昆虫類の幼虫にも性器はないが、これらは変態して成虫となればできる。雌雄同体の動物にはカタツムリなどがあげられる。

 生殖器官のない動物は極めて稀だが、数年前に脳や生殖器などがない「珍渦虫(ちんうずむし)」の成長過程を筑波大などからなる国際研究チームが解明したというニュースはあった。巨人は少なくとも人ではなく、動物、ひいては自己複製することをその一応の定義として、生殖してDNAを子に転送するはずの生物であることも疑わしい。

 壁の外を知る以前の兵士たちが教えられる巨人の生態(初期設定)は他にもいくつかある。
「巨人には人間のような知性は確認できず よって我々との意志の疎通は現在まで例がない」
「巨人の体の構造は他の生物と根本的に異なる…生殖器は存在せず繁殖方法などは不明 殆どが男性のような体つきである」
「その体は極端に高温で難解なことに人間以外の生物には一切の関心を示さない」
「巨人の唯一の行動原理は人を食らうことだが…そもそも巨人が人間のいない環境下で100年以上存在していることを考えると…食事を摂ること自体 必要無いものであると推測できる」

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