最もファンタスティックなのは何かーー鈴木涼美の『進撃の巨人』評
食事を摂ることが必要ないと推測されるにも関わらず、体温が極端に高温であることも、一般的な動物の生理から考えると道理にかなわない。絶食に強い動物たちは総じて低体温で、哺乳類など恒温動物であっても冬眠中は代謝を大幅に低下させるため、体温が下がっている場合が殆どだ。近年では一部の熊などで代謝が下がる冬眠中も体温をほとんど下げずに冬を越す種もあると報告されているらしいが、いずれにせよ、食事をせずに代謝を下げた状態で高体温を維持するのはまさしく「体の構造が他の生物と根本的に異なる」。ただし、実態をもって動いていることから動物であると考えられており、「他の生物」といった言い回しから生物であることにはあまり疑念が持たれていない。
食事と体温の関係と、生殖器の欠如を合わせて、全く生物としての道理にかなわず、人類の知をもってしても理解・研究などができない不可解な存在であることを強調する設定と読めるが、この生殖器がない、という設定は、単に巨人が動物としての理を逸脱している以上の予感を孕んでいる。生殖器官の有無は必ずしも外見的に判断できるものではなく、詳細な解剖などが必須と考えられるが、他の器官(例えば消化器官や循環器官、呼吸器官、泌尿器官など)についての詳細な記述がなく、排泄などについても説明されないにもかかわらず、生殖器がないという事実はやけにはっきりと断言される。そして、生殖器がないのなら巨人同士の生殖によって繁殖したのではないと推測できるからだ。あるいは、繁殖自体をしているのかどうかも定かではない。だとしたら、巨人の発生は化学反応や突然変異、人為的に生産されたもの、もしくは何かしらの生物が何かしらの作用で変身したものであるという予測が働く。そして巨人は不気味で巨大だが明らかにヒト型で、多くが男性のような身体つきだとも説明される。
ここで想起されるのは漫画・アニメ作品における変身ヒーローたちである。人間が何かのショックや人為的な改造、特殊な能力などで変身したヒーローたちの姿は往々にして性的な匂いがしない。作品によってはロマンスが挿入されることがあるが、性行為はあくまで人間の姿でなされるのが定石であり、ヒーロー変身時にはセックスだけでなくあらゆる生理現象から自由になっている場合が多い。昆虫などは成長過程の変態によって性器を獲得するが、人間は変身によって性器を喪失するように描かれてきたのである。
だとしたら、巨人の描写における外性器の欠如、生殖器がないという記述は物語の展開によって詳らかにされる、人の変異の末の姿だという巨人の正体を予感させる仕掛けとして機能することになる。それだけでなく、巨人の生物としてのあり得なさは、作品が全体として提示する生命観と対比されることによって、逆に生物の生きる理を際立たせる役目をも負っているのだ。
(続きは『進撃の巨人という神話』収録 鈴木涼美「最もファンタスティックなのは何か」にて)
■書籍情報
『進撃の巨人という神話』
著者:宮台真司、斎藤環、藤本由香里、島田一志、成馬零一、鈴木涼美、後藤護、しげる
発売日:3月4日(金)
価格:2,750円(税込)
発行・発売:株式会社blueprint
購入はこちら:https://blueprintbookstore.com/items/6204e94abc44dc16373ee691
■目次
イントロダクション
宮台真司 │『進撃の巨人』は物語ではなく神話である
斎藤 環 │ 高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない
藤本由香里 │ ヒューマニズムの外へ
島田一志│笑う巨人はなぜ怖い
成馬零一 │ 巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体
鈴木涼美 │ 最もファンタスティックなのは何か
後藤 護 │ 水晶の官能、貝殻の記憶
しげる │立体機動装置というハッタリと近代兵器というリアル
特別付録 │ 渡邉大輔×杉本穂高×倉田雅弘 『進撃の巨人』座談会