『鬼滅の刃』煉󠄁獄さんに痣は発現していたのか? 物語上の役割から考察

煉󠄁獄さんに“痣”は発現していた?

煉󠄁獄杏寿郎は痣を発現させていたのか?

 さて、そこで、果たして煉󠄁獄杏寿郎に痣は発現していたのかどうか、という問題である。いきなり答え――というか、私見を述べさせてもらえば、痣は発現していない(先ほども書いたように、彼の右頬に描かれているのは彼の血の痕である)、と考えるのが妥当である。

 たしかに、煉󠄁獄が最初に痣を発現させ、それに共鳴する形で炭治郎や他の柱たちも「痣者」になった、という展開は、熱いし、感動的だ。

 だが、限りある時間を懸命に生きる「人」であることにこだわり、結果的に、上弦の鬼をあと一歩というところまで追いつめた煉󠄁獄は、やはり「痣者」ではなかった、と考えたほうがしっくりくる。さらに言えば、そんな彼の生き様を目に焼きつけることができたからこそ、炭治郎は、ただの妹思いの心優しい兄ではなく、人々のために命を賭すことのできる強い「剣士」として大きく成長できたとも言えるのである。

 つまりこの、煉󠄁獄杏寿郎が猗窩座との死闘で、「人間の可能性」と「人間への大きな愛」を命がけで伝えたからこそ、のちに痣を発現させて人を超えた存在になってもなお、炭治郎は、悪しき“人外の者”にならずにすんだとも言えるだろう。

 先ほど私は、『鬼滅の刃』とは、「血鬼術を使える鬼」と「呼吸法を使える鬼」との戦いの物語だと書いた。だが、鬼は鬼でも、後者は、「人の心」を失ってはいない。これは、吾峠呼世晴が、初期の短編(「文殊史郎兄弟」、「肋骨さん」、「蠅庭のジグザグ」)で繰り返し描いてきたテーマにも通じることであり、人知を超えた力を手に入れた時、“どちら側”に行くかで、本当の意味での人か鬼かは問われることだろう。

 となればやはり、炭治郎のメンター(導き手)としての役割を与えられた煉󠄁獄は、人間のまま、上弦の鬼と互角に戦い散華した、と考えたほうが自然である。

 そう――一部のファンは不服かもしれないが、(少なくとも私の見解では)煉󠄁獄杏寿郎の右頬には、痣は発現していなかったのである(そもそも彼の身体に痣が発現するならば、それは、誰の目にも明らかな、燃えたぎる炎の形をしていることだろう)。

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