森田真功×藤谷千明『東京卍リベンジャーズ』対談 「平成のヤンキー漫画の総決算と呼べるものになっている」
マイキーは闇堕ちしたままでもいい?
藤谷:ヤンキー漫画の総決算である。たとえば細かいオマージュの話でいうと、東京卍會、弐番隊隊長の三ツ谷隆は『湘南爆走族』の江口洋助と同じく手芸部部長だったりますが、大きなテーマの話をすると、高橋ヒロシ『QP』や『ワースト』、田中宏『莫逆家族』、そして山本隆一郎『GOLD』〜『サムライソルジャー』など、「ヤンキー少年はその後、どう生きるか」という平成後期以降に描かれるようになった話を、逆から描いているんですよね。自分の望んでいない大人になってしまったタケミチや、東京卍會の面々をどう変えていくのか。そこでタイムリープが効果的に使われている。
森田:タイムリープを取り入れると、普通は未来を知ってることがアドバンテージになるはすじゃないですか。ヤクザがタイムスリップして人生をやり直そうとする『代紋Take2』みたいな。あれはあれで実は昭和の終盤を繰り返し、いつ平成に抜け出せるかという話なんですが。それはさておき、攻略法を未来から引っ張ってくる。そういうテクニカルな対処が『東京卍リベンジャーズ』では、ほとんど行われていない。
藤谷:タケミチは過去のことを覚えてないというか、タイムリープ前は東京卍會の内部については知らないですからね。
森田:それに、もっと当時の流行や風俗が出てきてもいいのに。時代考証やディテールへの強いこだわりは感じさせない。
藤谷:時代感みたいなものをあえて曖昧にしてるのは、逆に功を奏しているのかとは思います。当時のリアリティを突き詰めると、「ゼロ年代の渋谷に特攻服を着たヤンキーはいない」という話になってしまうのでは。今でも不良少年少女は全国にいることは間違いないですが、現実の不良とは別というか、世間的に「ヤンキー(コンテンツ)は過去のものである」というふわっとした共通認識があるからこそ、「過去に戻る」という設定が幅広い層にも受け入れられたのでは。
森田:ヤンキー漫画のタイムスリップといえば、近年でも『工業哀歌バレーボーイズ』の続編の『バ令和ボーイズ』や『カメレオン』の続編の『クロアゲハ』に出てきますよね。
藤谷:でもそれは過去に戻る意味がちょっと違うじゃないですか。キレッキレだったころの『カメレオン』の結城が見たい的な、「あの頃のキャラクターよ、もう一度」みたいな読者の需要にこたえたものですよね。なお、冒頭で紹介した「現代ビジネス」の『東京卍リベンジャーズ』担当編集氏のインタビューでは『僕だけがいない街』などが挙げられていました。
森田:タイムリープものとして一番近いのは、少女漫画だけど『orenge』なんじゃないかって。ある種のリプレイ、時間移動もの。SFとして見たら、トンチンカンかもしれない。都合が良すぎたり、論理の整合性に乏しかったり。でもそれによってエモさが際立つという。だからこそファン層の広がりもあるんじゃないかな。
藤谷:タイムリープはエモい、あると思います。それに、ヤンキー漫画は『QP』あたりから、ずっと同じテーマを繰り返していたように感じるんです。ある種ヤンキー漫画全体がループしていたんじゃないかと。その繰り返されたテーマに変化が起きた。
森田:タイムリープを採用することで、そのジャンルやテーマに対してある種の批評性が生まれたと。マイキーが抱えているものは、90年代以降のヤンキー漫画に偏在しているんですよね。『BADBOYS グレアー』の嵜島昇喜郎や『クローズ』の陣内公平とか。
藤谷:「不良」としてしか生きていけない、どうしようもない狂気や衝動を抱えた少年たちですね。
森田:そして、『QP』の我妻涼ですね。不良を卒業し、平和に暮らそうとする主人公、石田小鳥との対比として、ヤクザにならざるをえなかった我妻涼は描かれている。
藤谷:『QP』以降の作品では共通するテーマの作品は多々あって、『サムライソルジャー』の桐生達也は我妻涼の直系といえますよね。彼は不良少年たちにロクな将来がない、自分についてきたらずっと不良でいられるということを仲間たちに説くじゃないですか。それはマイキーの「不良の時代を作る」にも重なります。マイキーは我妻涼の系譜の最新型に当たるのではないでしょうか。けれど、『サムライソルジャー』のように「不良少年がどう大人になるか」に対して、結論が見いだせないまま曖昧に完結した作品のほうが多いわけで……。
森田:我妻涼の呪縛というか。だけど僕は、マイキーが闇堕ちしたままでもいいと思うんですよ。不良のままでいるからこそ魅力的に映るというのはあって。マイキーが社会復帰した物語を読みたいかというと、どうなんだろう。ファンの中には、マイキーには不良のままでいて欲しいし、もしかしたら命を落としてしまうルートの方が美しいと思っている人だっているかもしれない。『疾風伝説 特攻の拓』の天羽時貞は死んだことでカリスマを増しています。我妻涼も続編でヤクザの世界を成り上がっていくし、その誤りや不遇にドラマを見出すことも間違っていないんじゃないかという。不良少年がヤクザや半グレに進むことへの抵抗を描いていた山本隆一郎でさえ、現在は裏社会そのものに取材した同名小説のコミカライズである『半グレ』を連載しています。ダーク・ヒーローを主題にしたフィクションに惹かれる傾向は近年強まっているとも感じられますが、そういう時代に沿った気分のようなものが作品の支持に繋がることはあるんじゃないでしょうか。
藤谷:我妻涼はあくまで外伝の話であるから……。私は『東京卍リベンジャーズ』に関しては、もうベタにタケミチとヒナの結婚式でマイキー含め全員が集合した終わってほしいと思ってます、腐りきったバッドエンドに抗う感じで……、こうバーンと見開きでですね(笑)。それはさておき、ノンフィクションをベースにした作品は鈴木大介のルポ『家のない少年たち』を脚色した『ギャングース』などもあります。
森田:2000年代になって、品川ヒロシの『ドロップ』や佐田正樹の『デメキン』、湘南乃風の若旦那の『センター』など、タレントが原作に入った自伝的な要素のヤンキー漫画が増えてくる。井口達也の『OUT』なんかもこうした流れの中に入れられると思います。しかし、それらはよくある「若い頃は悪かった」式の与太話に通じるものでノンフィクションとは言い難いと思います。