武器とフィクション第2回
『ザ・ファブル』が示す、最強の武器とは? ファブルという名に込められた意味
『ザ・ファブル』は「最も強い武器」について真摯に考えられた作品
その「身体とセンス」を劇中での上限に設定されているのが、『ザ・ファブル』の主人公である佐藤だろう。「殺しの天才」とされ、劇中屈指の猛者でさえ軽くあしらう佐藤の能力とその描写は、『ナニトモ』でのゼンちゃんの描写をさらに研ぎ澄ませたものだ。出てくればそれだけで戦いが終わってしまうが故に、佐藤が戦うシーンでは色々と制限がつけられる。まず人を殺すことが禁じられているし、人質がとられていたり救出が目的だったりと、クリアしなければならない条件がくっついていることも多い。さらに、一般人として暮らしている佐藤には、バレルがない拳銃以外には武器も装備も手元にない。
そういった状況でも、佐藤は圧倒的に強い。その強さについて言及された象徴的なシーンが、9巻でのクロちゃんとの会話だろう。「銃以外は普通に売っているものを使い、足らないものは状況に応じて作る」「計画通りにいかないからこそ、知恵と工夫を凝らす」……。『ザ・ファブル』における強さとは何かが、端的に言い表されたシーンである。そして、続く「スペシャルはこの身ひとつーーになるといいな」のセリフは、いかなる状況や武器が与えられたとしても、それとは関係なく己の身体とセンスを最高の武器として戦う姿勢を示している。南が考える作中最強の武器は、佐藤そのものなのだ。
リアルな武器が多数登場する『ザ・ファブル』において、佐藤がこのような姿勢を見せていること、そしてその佐藤に寓話や作り話を意味する呼び名がつけられていることは興味深い。一種の理想像、南の考える強さを表現した偶像として、佐藤は設定されている。だからこそ、登場人物の言動や見た目や武器に関して生々しい設定が用意された『ザ・ファブル』において、佐藤だけは常識はずれの強さが描写されている。佐藤は「強い人間」を表現するためのキャラクターであり、だからこそ寓話や作り話と呼ばれる。現実には存在し得ない真の強さを説明するためのキャラクターなのだから、地に足のついた現実的な存在であってはならないのだ。
というわけで、『ザ・ファブル』は「最も強い武器」について真摯に考えられ、それは理想的な存在であるがゆえに、現実世界ではあらゆる点で浮き上がるだろう……という想定からスタートした作品である。武器そのもののような、作り話のようなキャラクターがいかにして人間になるか。その過程の中に、南の考える強さについての主張が盛り込まれている。「寓話」というタイトルが付けられ、その呼び名で主人公が呼ばれることの意味は、案外重いのだ。