はらだ有彩の『HEARTSTOPPER』評:ありふれたコイバナが手の中にある救い

はらだ有彩の『HEARTSTOPPER』評

 チャーリーと同じように、「幸せは自分には一生訪れないかもしれない」と感じている子どもが(あるいは大人が)、「いや、こんなありふれた幸せは、もしかすると自分にもあっさり訪れるのかもしれない」と思い直し、そんな涙が出るような心地を持ち続けたままフィクションを読み進めることは、実は案外難しい。ことによっては彼らを傷つけるのは、物語の中で彼らを笑おうとする魂胆よりも、そんな浅ましい魂胆を「つい」見逃してしまう善良な傍観者たち、つまり作者の無邪気な手抜かりだったりするからだ。

 チャーリーとニックの周りには傍観しないキャラクターが散りばめられている。あいつらってゲイなのかな?と勘ぐる生徒に、そんな想像は下品なことだと教える教師。いつも人間として尊重してくれる家族。自分もゲイなのだと笑って名乗り出て、誰かに自分の話をできる喜びを教えてくれる友人。

 あまりにも残念でならないが、先に挙げた調査結果が示すように、こんな風に寄り添ってくれる登場人物がフルコンボで揃うことは、現実世界ではなかなかない(そして傍観しない登場人物に見守られていてもなお、チャーリーとニックは劇中で何度も傷つけられる)。

 『HEARTSTOPPER』2巻の最後に、作者のアリス・オズマン氏のコメントがある。理解あるパートナーがいなくても、愛情深い家族がいなくても、抱きしめられる犬(※ニックの愛犬、ネリーは全コマものすごくかわいい)がいなくても、大丈夫。大丈夫である理由について、オズマン氏は「いつかありのままの自分を愛してくれる誰かに出会えます!」と書いている。

 その「いつか」がたった今でない事実は、社会の、ひいては私たちの怠慢であることは疑いようがない。それでも、というか、だからこそ、いつかその「誰か」に出会う(あるいは「自分は愛する仲間に囲まれながら、パートナーを持たずに生きるのに向いているな」と思い至ったりするケースもあるだろう)までの時間を温かい毛布でくるんでくれる物語が、自分の手の中にあることは確かに救いになる。それは心臓をとめてしまう(heart stopper)ほどのときめきに満ちた、代わり映えしない、自分の毎日にも起こりそうな、どこにでもありふれたコイバナであるべきなのだ。

■書誌情報
『HEARTSTOPPER ハートストッパー』1〜3巻発売中
著者:アリス・オズマン
翻訳:牧野琴子
出版社:トゥーヴァージンズ
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