武器を持たないチョウの“縄張り争い”、なぜ成立する? 研究者が語る、目からウロコの新説
人間視点の生物学を変える必要がある
ーー生物学の世界では1960年代頃までは、生物は種の利益のために行動すると考えられていたそうですが、その後は各個体が自分の遺伝子の利益のために行動すると考える「利己的な遺伝子」という考えが主流になったそうでした。その観点からみても、竹内さんの研究は説明ができるそうですね。
竹内:「利己的な遺伝子」は、生物は自分の遺伝子のコピーを次世代にいかに多く残すかというゲームをしていると見る生物観です。たとえば、生物は同種同士で殺し合いをするなど、種の利益にならないようなことを普通にやっている。そうしたことも、自分の遺伝子のコピーを残そうとするように振舞うと考えると、説明できるのです。
「卍巴飛翔」はチョウの縄張り争いだと考えてみます。追いかけ合って、どちらか一方が逃げていく。しかし、縄張りは配偶相手を待ち構える場所であるなら、自分が居たいところに居座っていればいい。攻撃されるわけでもありませんから。なのに、わざわざ相手に付き合ってエネルギーを失う飛翔をする。これは「利己的な遺伝子」と逆の行動に見えます。
一方、縄張り争いではなく、求愛行動だと考えるとどうでしょう。飛んでいる相手は雌だと認識して追いかける。しばらく追いかけても求愛が成立しなければ、天敵かもしれないと認識して逃げ出す。わざわざ自分からエネルギーを失う行動をすることが、「利己的の遺伝子」の立場から矛盾せずに説明できるのです。
ーー竹内さんの今のご関心を教えてください。
竹内:今回の汎求愛説はチョウだけの話をしています。しかし、チョウに限ったことじゃないと思っています。ハチやトンボなどもチョウと似た縄張り争いをしているんですね。汎求愛説がどれくらい拡張できるかに関心があります。
私はチョウマニアだったので、チョウの行動はたくさん見ていますが、他の動物はそうでもない。だから私がやるよりは、その生物をたくさん見ている人がやったほうがうまくいくかもしれません。誰かが関心を持ってくれたらありがたいですが、あまり誰もやってくれないようなら自分でやろうかなと思います。
あとかなり抽象的な話になりますが、今回の研究をするようになったのは、生物学に足りないところがあったからです。生物学というものが、天動説のように、あまりにも素朴に生物を見てしまっていたところがあります。普通に観察すると、朝に東から太陽が昇って、夕方に西に沈みますよね。これを見て、動いているのは太陽ではなくて地面だと考える人は、よほどのひねくれ者でしょう。だから人類が最初に天動説を唱えたのは、当然と言えば当然です。しかし、その後の観察が蓄積されてくると、金星の満ち欠けなど、素直な天動説では説明できないことがでてきます。すると、まったく素直ではないけど観察事実と整合する地動説が主流になりました。
生物学のものの見方には、天動説のような、素直だけど未熟な部分がまだ残っているように思います。生物をぱっと見た時に、人間が感じるようなことをそのまま表現しているところがあります。求愛・闘争行動はそうでしょう。人間の認識のもとで、人間の発想しそうな行動パターンを、チョウに当てはめているわけです。これはかなり雑なやり方だと思っています。もうちょっと見直さないといけないと考えています。
ーー抽象的な質問になりますが、科学とはどういうものだと考えますか?
竹内:科学は何らかの形で自然界を記述する言葉です。観察したものをそのまま表現することは、絶対にできません。何らかの方法で情報を切り捨てて、圧縮をしています。今回の例で言えば、求愛・闘争行動は、人間の認識に合わせた切り捨て方をしています。それがあまりうまくいっていなかった。だから科学というのは、非常にうまく何らかの形で情報を切り捨てながらも、少ない情報量で世界を表現するものだと思います。それを使って、自然現象をあらわして、何らかの規則性を見出しながら自然のしくみを解明していく。それが、科学の大切な役割です。
■書籍情報
『武器を持たないチョウの戦い方 ライバルの見えない世界で』
竹内 剛 著
発行:京都大学学術出版会
定価:2,200円+税