受験の神様・和田秀樹 × イスラム法学者・中田考が語る、“変わり者”だった灘高時代 「灘は校則もなかったし、本当に自由だった」
受験の神様として知られる精神科医・和田秀樹氏。その初めての小説にして自伝的作品となる『灘校物語』では、ラジオにはまって勉強という唯一の取り柄を失った主人公のヒデキが、クラスメイトとともに受験テクニックを身につけて這い上がっていく模様が描かれる。主人公自身がかなりの変わり者なのだが、彼に劣らず強烈な個性を放つ人物がもうひとり登場する。ニーチェらの言葉を自然に会話に織り交ぜる孤高の哲学少年・ナガタコウだ。彼は在学中にヒデキとの仲を徐々に深め、ともに生徒会選挙に出馬したこともあった。
そのモデルは、国内屈指のイスラム法学者・中田考氏。イスラム社会に精通し、幅広い人脈を持つ人物だ。以前、イスラム過激派組織との関係が物議を醸したことでその名を記憶している人もいるかもしれない。
今回お送りするのは、還暦を前にした今もなお個性的であり続ける旧友ふたりの対談だ。合流早々、和田氏にサインをもらいつつ「よく書いてくれてありがとうございます。なんか私は美化されてて(笑)」と謙遜する中田氏に対し、「いやいや。美化したつもりはないよ」と返す和田氏。本当のところはどうなのか。『灘校物語』での数々のエピソードを中心に灘校時代などを振り返ってもらった。(宮田文郎)
和田氏が見限った塾に残るも灘中に合格
ふたりが初めて出会ったのは、小学校5年生当時。コウが通っていたタブチ塾に入ってきたのがヒデキだった。コウはすでに170センチほどあった上背だけでなく成績も飛び抜けて良く、ヒデキが初めて「自分より賢い」と思った人物でもあった。ただ、ヒデキは1年ほどで別の塾へ移る。算数しか教えないタブチ塾にいたままでは灘中合格が危ういと感じたためだ。
中田:タブチ塾ってそんなにダメな塾だった(笑)?
和田:ダメだということを知ったんだよね、途中で。前の学年がたしか、一人も灘中に入ってなくて。それで僕は脱出したの。でも中田はそこに残ったから、気の毒だけどあんな賢いやつでも灘には来れないと思ってた。そしたら、なんと入ってきてたからさ(笑)。ところで、今はちゃんと長袖着てるけど、小学校の頃は真冬もずっと半袖だったよね。
中田:今でも暑がりだけなんだけど、やっぱり年なんで冷やすと体が痛んでさ。当時は深い話はしてなかったと思うけど、和田さんも雰囲気は周囲と違ってたよね。東京から戻って来て、服装とかのセンスがいいというか、関西だと浮いてた。東京から来たなって感じで、典型的ないじめられっ子キャラだったよね。
和田:どこでもいじめられてたよ。灘でもね。
−−和田さんが灘中でイジメにあってクラスメイトからゴミ箱に入れられたときに、心配して真っ先に声をかけたのは中田さんだったんですよね。
中田:灘は基本的にいじめはないんだけど、我々の学年では和田さんともうひとり、いじめられてたね。柔道の帯で3階から吊るされたってのは知らなかったよ。
和田:あとはプールにはめようと計画されたりさ。泳げない人間にとってみたらものすごい恐怖なのよ。
−−和田さんがいじめられた背景には、心情読解が不得意で空気が読めない、今では発達障害とされる面もあったとか?
中田:我々の頃はそもそも発達障害という概念がなかったけど、私のまわりだと矢内くん(矢内東紀氏。ユーチューバーの「えらいてんちょう」としても知られる)もそうなんだよね。今、中学校や高校で検査したら、何割ぐらいが発達障害とされると思う?
和田:一般論だとだいたい5、6%ということになってるけど、日本だと1割超えてるかな。日本ってオーバーダイアグノーシス(過剰診断)なのか、規範が厳しすぎるのか、発達障害の扱いを受ける人が世界でいちばん多いらしいのよ。
中田:そうなの? 実際ものすごく多いもんね、私の知る範囲でもね。
和田:アメリカとかだとさ、暑そうにして家に来た人に水を出さなくても何も言われないけど、日本だと「なんて気が利かないやつなんだ」っていうことになる。海外だと空気を読めという教育を受けてないから、人の気持ちをわからないで好き勝手やっていても、なかなかそういう診断はつかないんだけど、日本は人の気持ちが読めるのが当たり前になってるからさ。
中田:『灘校物語』でもわかるけど、和田さんはあれだけ人間関係や政治力学を分析してるのに、いじめられてしまうんだよね。
和田:分析して読んだからといって、それに従ってペコペコしたりはしなかったしね。
お互い成績上位で入学するも、学業成績はともに低迷
ヒデキは全体の5番、コウは16番で灘中に合格していたのだが、入学後の学業成績はともに振るわなかった。コウは学校側からこのままでは高校に上がれないと告げられるほど。ただ、成績不振の理由は、深夜放送にハマったヒデキとはひと味違っていた。
「勉強がつまらなくなったんだから、仕方がないよ。僕はもっと哲学的に物事を考える力をつけたかったし、そういう話ができる相手がほしくて灘に入ったんだ。でも、なんだかみんな型にはまった勉強しかしていないしね」
これがコウの弁明だったのではあるが……。
中田:小説では16番になっているけど実際は32番だった。私は単純にあんまり勉強が好きじゃなかったんで、プロレスと将棋とか、小説を読むとかいったことしかやってなかったんです。さすがに中学で追い出されると路頭に迷うんで、好きだった世界史を勉強しましたけど。学校が嫌いだったからけっこう休んでたし、いまだに出席が足りなくなって落第する夢を見ますよ。ただ、今にして思えば、灘は校則もなかったし、本当に自由だったよね。我々の学年には尊敬されてる教師がいなくて、それもよかった。
和田:よく私の恩師はこんな人だったとか、こんな先生を尊敬してるとか言うけど、そうでないほうが発想は好き勝手になるし、ユニークになる。
中田:「自由になれ」とか「自分で考えろ」みたいなことも言わないんですよね。そう言われて自由に考えたところで、その人間に洗脳されてるわけだしね。
和田:そうそう。生徒が勝手に自由にやってるだけの話で、こうした方が受かるからってみんなが自然発生的に受験テクニックを覚えていくみたいなさ。中学校の頃は低迷してたけど、やったらやったで這い上がれた。そして、這い上がるに際して先生の力はぜんぜん借りない。
中田:自分でやるしかなかったもんね。「お前これだと高校に上がれないぞ」って言われたのは今も覚えてるけど、だからどうしろとかは何も言われなかった(笑)。
見るだけにとどまらず、自らアマチュアプロレスに参戦!
コウは「プロレスは将棋と同じで、理詰めで勝てるスポーツなんだ」と語り、学校の将棋同好会に所属する傍ら、アマチュアプロレスの選手としても活動。ヒデキは、プロレス狂である弟のマサキとともに彼の試合を観戦したこともあった。ちなみにその日、コウはアイアンクローによって見事に勝利している。
中田:私は今も格闘技全般が好きなんですけど、プロレスは中一ぐらいから観ていて、猪木とハルクホーガンの伝説の試合とかも見ましたから。ただ、基本的には全日本派、馬場派だったの。
和田:中田さんが出たイベントを1回見にいったの。そしたらもう、すごい流血試合もあってさ。「これは本気だ」と思って。
中田:アマチュアプロレスって言葉自体もあの頃から生まれた感じだったよね。基本的には見る派だったんですけど、アマチュアプロレスに入ったのは、『週刊プロレス』とか『週刊ゴング』とかあってね、それに募集が出てた。当時は投書もけっこうしてましたよ。和田さんの弟さんはミル・マスカラスとか正統派が好きだったんだよね。私はむしろ悪役が好きだった。
−−いじめ対策として和田さんにプロレスの技を教えたこともあったとか?
和田:でも、役に立たないですよ! アイアンクローとか覚えられないし、僕と違って中田さんの握力は60キロか70キロもあったからさ。
中田:当時はね、たしかに体も大きかったんで。でも持久力はなくて、ランニングは学年でもいちばん遅いくらいだったけどね。
生徒会選挙に出馬するもともに下級生に敗北
ふたりは生徒会選挙でも共闘している。当時の灘校ではクラブ活動の予算を生徒会が決めていた。そのため、生徒会選挙には土建選挙のような一面もあったのだが、ヒデキは毎年のように出馬しては落選。当時の著名な泡沫候補だった高田がん氏を引き合いに出されるほどだった。しかし、高2で迎えた最後の選挙では、生徒会長候補に名乗りを上げる。それまではヒデキを影で支えていたコウも、このときは副会長に立候補。「高校生のうちから金の奴隷なんて情けなくないかい?」という高潔な言葉も残している。
中田:私は昔から世界征服派だったんです。でも、その途中のプロセスについては何も考えてなかった(笑)。ノンポリだったので、政治力学的なものって知らなかったし。立候補して初めて、選挙に出る人はこんなことを考えてるんだなあと思いましたね。
和田:僕は中田がまさか選挙に出るとは思ってなかったからさ、出るんだったら一緒にやろうって声をかけたの。そのときの生徒会長選は、高2が僕ひとりしか出ないのに、高1からふたり立候補したんですよ。副会長選も高2は中田しかでなかったでしょ。それで、どちらも絶対勝てると思ってたわけ。
中田:そうそうそう。
和田:どう考えてもどちらも楽勝だと思ってたのに、僕には灘校の高田がんというイメージが染み付いていて、知らない人がいなかったから。高田がんコールまでされましたよ。
結果は、ふたりともあえなく落選。万年泡沫候補の自分と一緒に戦ったのが敗因だと謝罪するヒデキに、コウは温かく、そしていつものように難しい次の言葉を贈っている。
「世論なんて気まぐれなものさ。僕の公約を読まないで、君を理由に僕に入れないというような人は、ニーチェの言う『世論と共に考えるような人』なんだから、自分で目隠しをして、耳栓をして生きていくようなものだよ」
中田:私はニーチェとかも読んでたけど、まず武者小路実篤が大好きだったんです。『進め進め』とか。白樺派なんですね。「新しき村」とか『人類の意思に就て』とか、そういう人だったんです、もともと。その延長線上に選挙があったんですよね。灘から世界を変えていく、新しき村にって。そういう意味では、昔から私の考えって変わってないし、和田さんも昔からこういう人だったんですけどね。
和田:僕は典型的な俗物だからさあ。中田さんは風貌はものすごく変わったんだけど、言ってる内容はあんまり変わらない。すごい学者のはずなのに、しゃべり方はあんまり賢そうに聞こえないけど(笑)。たぶん中田さんはイスラム圏にいけば常識人で、賢人扱いされるわけですよ。
中田:宗教が当たり前の国なんでね。宗教というより、論理的一貫性ですね。そこにこだわることが、日本人からすると「何をいってるの?」って話になるからね。