錦鯉が語る、“中年の星”と呼ばれるまでの道のり 「人生、粗末に扱うぐらいがちょうどいい」

錦鯉が明かす、波乱万丈の半生
安藤祐介『夢は捨てたと言わないで』(中央公論新社)

 新連載『夢は捨てたと言わないで』は、小説家・安藤祐介が、今をときめく人気芸人たちから聞いた波乱万丈の半生の物語を綴るノンフィクションだ。

 27歳の元甲子園球児と35歳のお笑い芸人が力を合わせて再起を目指すストーリーを描いた、安藤祐介の同名小説『夢は捨てたと言わないで』(中央公論新社)のスピンオフ企画として、苦節を経て、それでもなお夢を諦めなかった芸人たちの生き様に迫る。

 記念すべき第1回は、2020年に“M-1史上最年長ファイナリスト”として注目を集め、現在大ブレイク中の錦鯉が登場。不遇の時代の苦労話は、メディアでもたびたび披露されているが、その背景にはどんな物語があったのか。(編集部)

安藤祐介
1977年生まれ。福岡市出身。2007年『被取締役新入社員』でTBS・講談社第1回ドラマ原作大賞を受賞。2019年『本のエンドロール』が「小説界のM-1グランプリ」こと本屋大賞で11位、惜しくもノミネートを逃す。執筆取材は体当たり派。本書『夢は捨てたと言わないで』では自らネタを書き、お笑いライブにも出演した。他の著書に『営業零課接待班』『不惑のスクラム』『六畳間のピアノマン』などがある。

錦鯉が明かす、ブレイクまでの道筋

「こーんにーちはー!」
 ボケ担当の長谷川雅紀さんが両手を振って大声であいさつするや、ツッコミ担当の渡辺隆さんが「うるせえなあ!」と頭をはたく。ほんの数秒のつかみで、たちまち錦鯉ワールドに引き込まれる。

 錦鯉の漫才を初めて観たのは2018年の10月。新宿にある観客30人ほどの小さなライブハウスだった。
 そのわずか2年後、M-1グランプリ2020で決勝進出。長谷川さん49歳、渡辺さん42歳での快挙はM-1史上最年長ファイナリストとして話題に。決勝本番の舞台でも爆笑をかっさらい、結果は4位。わずかの差で最終決戦進出こそ逃したが、大きな爪痕を残した。
 以来、テレビで錦鯉を観ない日はない。一夜にして人生が激変したシンデレラ・ボーイならぬ、シンデレラ・ミドル。
 この年齢まで夢を捨てずに追い続け、今なおその真っ只中にいるお二人に話を聞いた。


「小学校の同級生とかも、中年の星だなんて喜んでくれるんですよ。まあ、目指して中年の星になったわけじゃないですけどね。ガッハッハ!」
「そりゃそうだろ! 『目指せ、中年の星』とか、めちゃくちゃだせえだろ」
 苦節20年余を耐え抜いた努力と栄光の軌跡……そんな王道のストーリーに収まるようなお二人ではなかった。

 北海道出身の長谷川さんは、札幌で芸人活動を始める以前から、数々のアルバイトを経験してきた。時給380円の焼き鳥屋を皮切りに、警備員やパン工場、ススキノでホストも経験した(店長に付けられた源氏名は「マツモトキヨシ」)。
 苫小牧と名古屋の間を往復するフェリーで皿洗いをしたこともある。
「船に何日も乗ってると暇なんですよ。ゲームセンターで遊んだり、名古屋で降りるとパチンコ屋に入ったりして。全然お金がたまらなかったですね」
 上京してからは牛丼屋で約10年、M-1決勝進出の直前までは約8年、水道の検針のバイトを続けていた。テレビに少しずつ出始めた頃、オンエア後に職員たちが「観たよ」と声を掛けてくれた。長谷川さんがお金に困っていることを知り、カップ麺やTシャツなどを差し入れしてくれる人もいたという。

 渡辺さんもコンビニやカラオケ、深夜のコールセンターなど定番のバイトを経て、野菜市場の仕分けのバイトには一応今も籍は置いている。バイト先の人たちには芸人であることを自分からは言っていない。
 だが、意外な形で気付いてくれる人がいた。
「ベトナムの若い子と一緒に働いてたんですが、日本語を勉強するために、めっちゃテレビ見るらしいんですよ。それで気付いて『昨日も出てた!』って、連絡をくれたりして」


 電気を止められて、アパートの窓の外にある信号機の灯りで髭を剃った。貧乏芸人のチャンピオンを決めるオーディションに交通費がなくて行けなかった。歯医者に行くお金がなくて奥歯を八本失くした……。
 これらは、テレビでも披露している、長谷川さんの金欠エピソードだ。
 お金がなくなるとSuicaやPASMOを駅員さんに返す。デポジットで500円が返ってくる。これを100回近くやっている。
「ライブがある時なんかは片道数百円分握りしめて会場に行くんですよ。会場に着けば知り合いばっかりですから、誰かお金を貸してくれるんで」
「ふざけんな」

 対象的に渡辺さんは実家暮らしの利もあって、お金の面で困ることはそれほどなかった。でも「この人と組むようになってからは使えるお金の幅が減りましたけどね。二人分出さないといけないので」と苦笑する。長谷川さんに25万円ぐらい貸していたが、先日ようやく10万円、ピン札で返ってきたという。
「ついに返せる時がきたんで」と誇らしげな長谷川さんに「なぜ一括で返さないんだ」と呆れ笑いの渡辺さん。


 不遇の日々は長かった。
「なんとなく、辞めちゃおうかなあと思ったことはありましたよ」と、渡辺さんは語る。
 でも錦鯉を結成してからは、辞めたいと思ったことはない。そうはっきりと言い切る。
「夢の諦め時は自分で決めるしかないですよね。僕らには分からない。諦めたことがないので」

 SMA所属のお二人が錦鯉を結成したのは2012年。M-1グランプリが2010年を最後に中断されていた時期だ。前のコンビを解散してピン芸人で活動していた渡辺さんが、同じくピンになっていた長谷川さんに声を掛けた。
 結成後しばらくの間は、芽が出なかった。M-1と入れ替わりで始まったTHE MANZAIでは毎年、一回戦か二回戦で敗退。
 後輩が売れていっても悔しい気持ちが全然湧かなかったという。お二人とも「よくも悪くも自分らがだらしなかったからなんですけどね」と苦笑する。一方で、仲間たちを応援する気持ちは強かった。
 SMAでは、賞レースの決勝になると、所属芸人で居酒屋を貸し切りにして、小さなテレビで見守るのが毎回恒例となっている。バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%、だーりんず、マツモトクラブ。大勢で大歓声の中見守った。そして深夜に本拠地のライブハウス『千川びーちぶ』で主役の凱旋を待った。

 事務所の先輩・ハリウッドザコシショウさんからの「バカを前面に押し出したほうがいい」という言葉をきっかけに、今のスタイルを築いた。ネタを月に5本作ってライブにかける。結果は少しずつ現れていった。芸人仲間からの「錦鯉が面白いぞ」という声が聞こえてくる。ライブで手応えを感じるようになり、観客投票でも上位に入るようになった。
 M-1グランプリが再開された2015年、錦鯉は準々決勝まで進出。その後も毎年、準決勝もしくは準々決勝へと駒を進めている。
 売れていく仲間の背中を見送ってきた二人はいつしか、応援される側になっていった。

 M-1のファイナリスト発表では「錦鯉!」と名前を呼ばれた瞬間、周りのコンビから歓声が上がった。ランジャタイの国崎さんが「よっしゃ!」と叫び、長谷川さんと握手。金属バットの友保さんと渡辺さんは、ガッシリとハグ。ソーシャルディスタンスの関係でスタッフに怒られたが、芸人仲間の祝福はやはり嬉しい。

 札幌時代からの同期が長谷川さんの背中を押してくれた。
「タカアンドトシは二人とも本当に応援してくれて、ありがたかったですね」
 決勝進出が決定してから当日まで、タカさんは毎朝ほぼ決まって8時頃に、LINEで「体調は大丈夫か?」と体を気遣うメッセージをくれた。そして「楽しめよ」と。肩の力が抜けて、心が救われた。トシさんは決勝当日に娘さんの「錦鯉がんばれ~!」という動画を送ってくれた。
「二人とも普段はそういうことする人間じゃないですから。もう、泣いちゃいましたね」

 お話を聞きながら気付いたのだが、長谷川さんは、とてもよく笑う。体をのけぞらせて「ガッハッハ!」と声を上げて笑う。その隣で渡辺さんが「やれやれ」といった様子で、静かに、それでいてなんとも楽しそうに微笑むのだ。
「一応、雅紀さんのほうが先輩ですから」「体はおじさんだけど中身が子供なんですよ」「何でも僕に聞いてくるんです。自分で調べてくれ」
 そんなふうに語る時の渡辺さんも、やっぱり楽しそう。
 長谷川さんは「隆のほうが先輩みたいですから」と頼りにしきりだ。
「この間も一緒に電機屋さんに付いてきてもらったら、ドラクエ11が売り切れてたんですよ、ガッハッハ!」
「今の話一番いらねえんだよ! こうやって近況を何でも話したがるんですよ。おしゃべりが好きで」
 こんなやりとりからも、お二人のほどよくアベコベな関係性が垣間見える。

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