本谷有希子が語る、ディストピア子育て論 「“人間らしい生活”なんて概念も、きっと通用しなくなっていく」

本谷有希子が語る、近未来の子育て

 本谷有希子の最新作『あなたにオススメの』(講談社/6月30日発売)は、近未来を舞台に子育てのあり方を問う「推子のデフォルト」と、マンションの最上階に住む夫婦が大規模な台風の到来を前にとある騒動に巻き込まれる「マイイベント」の二本立て小説集だ。本谷有希子らしいシニカルな視点のディストピア小説は、どんな発想で紡がれたのか。本人に話を訊いた。(編集部)

「誰にも共感させない」というくらいの気持ちで書いてます

本谷有希子『あなたにオススメの』(講談社)

――身体にさまざまな電子機器をうめこみ、人々が常に“オンライン”状態であるのが普通となった近未来。子どもたちもみな“均質”であることが求められるなか、オフライン志向で子どもの個性を尊重しようとするママ友を、最高のエンターテインメントとして観察する推子(おしこ)を描いた「推子のデフォルト」は、どのように生まれたのでしょう?

本谷有希子(以下、本谷):とある友人が、我が家のネガティブな事情を食事の場でおもしろおかしくみんなに発表したことがあったんですが、そのときに言われた「これからの時代、あらゆることをコンテンツにしていかないとね」という言葉が妙に自分のなかに残っていたんですよね。本来なら軽々しくネタにされることではないような話題ですら、コンテンツ化してみんなで消費して楽しもうとするその貪欲さが興味深くて、「ここに小説があるな」と予感めいたものを抱いた。それが最初のきっかけです。

――コンテンツ扱いされたことで、嫌な気持ちにはならなかったんですか?

本谷:全然。「おもしろいなぁ」って一緒になって笑いました。私、小説では社会的弱者、苦しんでいるマイノリティよりも、なんの疑問もなく社会に溶け込めているマジョリティを描くのが好きだということに気づいたんです。それがどんな価値観であろうと「そんなの、ダメだよ!」みたいな道徳的な視点を入れたくない。デジタル化が急速に進んだ世界も、子どもたちが均質化されていくことも、悲観している人間よりは、「これでいいんだ!」とすべてを受けいれて邁進している人間のほうを書きたい。知ってるものよりも、まだ知らないものについて想像を膨らませたい。たとえば今回の小説の語り手である推子の目を覗き込んだとき、きっとなんの曇りもない純真なまなざしを向けられると思うんです。そんな彼女の目を通して、デフォルメされた社会を描きたかった。

本谷有希子

――スマホやネットのやりすぎは害悪という価値観で育った推子が、たかだか十年で、子どもを均質化することにも身体にデバイスを埋め込み続けることにも抵抗をなくしているのも怖かったです。

本谷:今最善だとされてる価値観が、数年後には真逆に転換するかもしれない。というのは、自分が母親になってみて実感したことなんですよね。世の中にはさまざまな育児法が乱立していて、対極の意見がそれぞれもっともらしく主張されている。どれを選ぶかは母親次第だし、国の指針次第。であれば、個性や多様性を大切にしようと叫ばれている今、絶対にありえないと思われている均質化が――価値観はみんな“同じ”であることが望ましいし、何事も自分で決めないことが幸せなのだとされる教育が、あるときを境に主流になることもあるかもしれない、と思いました。コロナ禍によって私たちはノーマルの変容を体感し続けているけれど、それ以前から、若い子たちの感性が自分たちとはずいぶん遠く離れているのを感じていましたし。

――たとえば?

本谷:作中で、推子の娘が自分のことを〈オレら〉と呼ぶのに対して、〈〈男の子と女の子〉、〈自分とみんな〉の境界がよくわからない〉らしいと推子が納得する場面があるけれど、それは、仕事で出会った20代の女の子に「みんなが好きなものはわかるけど、自分の好きなものがわからない」と言われたことが端を発していて。インターネットという利器を得て、私たちが若いころよりはるかに自由な場所を手に入れたように見える子たちが、他人の目を気にしすぎるあまり、同じような意見しか言えなくなってしまっているのかもしれない。あとは最近、若い子の間では自己表現の手段としてコラージュが流行っているらしいんですが、オリジナルの自分らしさを模索するのではなく、既存のものを集めて選んで“自分”をつくるんだというのもおもしろかった。作中にも書いた〈自分の意見より情報の取捨選択が何よりも重視される〉というのも、その実感からきています。

――この小説でぞっとするのは、「十年後にこうなっていてもおかしくない」と思わされるところなんですよね。〈普通、どんなに遅くても五歳を過ぎたら、みんなちゃんと大人の言うことに疑問なんて持たなくなってくれるんですけど〉という保育園の先生のセリフにも、この空気が日本中に蔓延したとき、果たして抗えるだろうか?と……。

本谷:その空気に呑まれてしまおう、と自分で決断できるんだったらまだマシで、大多数の人はたぶん「どっちがいいんだろう?」と迷ってるうちに、あっという間にマジョリティ側に立たされているんだと思うんです。私も最初は、デジタル機器に頼る子育てなんていやだ、って思っていたけど、いつのまにかもうそれがないと成立しないくらいの必需品になっている。それでもまだ私たちの世代は「頼りすぎないほうがいい」という意識があるけれど、次の世代、そのまた次の世代になれば、デジタル機器を使うことの何が悪いのかわからなくなっていきますよね。今の私たちの考えている“人間らしい生活”なんて概念も、きっと通用しなくなっていく。

――デジタル化によって生活も思考もすべて変形させられたのに、人間らしさだけが変わらないなんておかしい。という推子のセリフもありましたね。人間らしさ、オフラインの重要性を訴えるこぴくんママのほうが共感できるはずなのに、“今”を受けいれ揺るがない推子に反論するすべがなく、こぴくんママと一緒に絶望していく気持ちになりました。

本谷:話の中で推子達ママは、人間としてどう生きていくか、の決定権を与えられている最後の世代なんです。推子は自分を機械化させていくことを躊躇なく選び、こぴくんママは自分は人間だと主張するから話が通じない。それに、テクノロジーによって社会という器が変容していくのにあわせ、自分自身も変えられていってしまう人間というのがとても好きで。

――好きなんですか?

本谷:小説では好きなものだけを書いています(笑)。作中で連呼される“人間らしさ”とはなにかを考えたとき、私は節操のなさだと思うんですよ。こんなにも与えられた道具に暮らしや思考のありようを寄せていく生き物って他にいます? 人間らしさなんてものはそもそもない。あるとしたらすべてを迎合し適応していける部分だろうな、と思います。


――そこで、適応するまいと抵抗し続けるこぴくんママは、“人間らしさ”を強く謳う保育園の説明会に行きますよね。あの、オフライン派の描写もよくて……。こぴくんママ同様、言っていることには共感できるはずなのに、マジョリティに反して極端に声を張りあげてしまうと、こんなにも奇異に映ってしまうものなのか、と。

本谷:そのトーンで話すと耳を塞いでしまう人が一定数いる、ということなんだと思うんですよね。たとえば選択的夫婦別姓の問題とか、解決すべき課題がなかなか進まないのは、現時点でマジョリティの側にいる人たちが、主張を聞く前に「うるさいなあ」とシャットアウトしてしまっているからなんじゃないかと。下手に出ろってことでは決してないんですけれど、対極の意見ばかりが目立っていて、中間のグラデーションがすっぽり抜け落ちているような気もする。本作でいうと、デジタル化・均質化を大肯定する人たちと、自然に寄り添って人間らしく生きるべきだという大反対派の人たちだけが、世の中に存在している感じ。

――大多数の人はきっと「全面的に肯定はしないけど、まあいっか」くらいの感覚ですよね。

本谷:でも選択肢としては、デジタル機器を使うか使わないかのどちらかしかなくて、子どものためにはどちらが幸せなのか、苦渋の決断を迫られる。選んだ答えが間違っていたらどうしよう? 自分の決断が子どもを社会不適合者にしてしまったら? と考えはじめると、何も選ぶことができなくなってしまう難しい状況を、推子とこぴくんママという極端な二人に象徴して描いてみました。もうほんとね、現実でも、大学に入れば就職できるわけでもないし、今は安泰と思われている職業が、十年後に残っているかどうかもわからないし、こんなにも正解の見えない時代がかつてあったかな?って思います。

――推子自身も疑問を抱いていないわけではないんだけれど、最後まで“今”に適応していこうとする力強さは、読んでいて心地よかったです。彼女が正しいかどうかはわからないけど……。

本谷:彼女は自分の心の声を聞くのではなく、高濃度のコンテンツをあらゆる部位から流し込んで、デジタル機器に体を明け渡すんです。人間に戻るのではなく、モノに近づくことを選ぶ。でも最初に言ったように“そんなの、ダメだよ!”みたいなところには着地したくなかった。こぴくんママの、ママとしてしか呼ばれなくなることの抵抗感や〈ママである前に人間〉という主張のほうが、共感はされると思います。でも私はそれより推子の、自分はママという性能そのものになる、保護者の性能以外のすべてを削ぎ落して最上位モデルに更新されていくような快感、のほうを描きたかった。人間がどこまで生き物として変容するか想像することで、何か新しい感覚を呼び覚ますことができるんじゃないのかと。共感おばけにつかまりたくない、というのが小説を書くうえでひとつ決めていることなので。

――共感おばけにつかまると、どうなるんですか。

本谷:表現の強度が落ちるし、創作物の純度も落ちるような気がします。共感おばけは実際に共感してくれる人を指すんじゃなくて、自分のなかに湧いてくる実態のない存在。だからむしろ、「誰にも共感させない」というくらいの気持ちで書いてます(笑)。もしも共感する人ゼロの創作物を作ることができたら、今の世の中、そちらのほうが実は価値があるんじゃないかとすら思うので。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる