映画シリーズ化で注目『ザ・ファブル』 “最強の殺し屋”が主人公である意味とは?

『ザ・ファブル』“最強”が主人公である意味

南先生は、暴力とその気配に対して真摯なのである

 さらに言えば、南先生の作風として「暴力と暴力の匂いのする男たちに対して真摯である」という点もある。それは作中における暴力の描き方が、『ナニトモ』と『ザ・ファブル』では大きく異なるところからもわかる。

 『ナニトモ』は環状族の漫画である。環状族はケンカの合間に環状で走っているような集団なので、当然殴り合いのシーンも多い。が、『ファブル』では『ナニトモ』の暴力シーンとは描き方が大きく異なる。『ナニトモ』の環状族が相手を殴る時の腕の動きははっきりした線で目に見えるように描かれているが、『ファブル』で佐藤や組織の殺し屋たちが格闘するときは、何か動きがあったことを示すガサッとした黒い線でモーションが表現される。彼らの動きは、肉眼でははっきり見えないくらい速いのだ。

 これは、ケンカには慣れていても本質的には暴力の素人である環状族の殴り合いと、人を殺す能力を持っている暴力のプロたちのテクニカルな格闘とを意図的に描き分けるためだと思われる。「プロ」という単語は『ファブル』にも繰り返し登場し、佐藤は「自分がプロであること」に強い執着を示す。そういった内容の漫画である以上、プロフェッショナルの動きやテクニックが素人やそのへんのヤクザと同じであっていいはずがない。実際に『ファブル』にはゴロツキやチンピラも登場するが、彼らの動きと組織の殺し屋たちの動きが全く異なるものであることは、劇中で繰り返し描写されている。

 さらに言えば、これらのゴロツキやチンピラの見た目や服装に対する真摯さも強烈である。序盤で佐藤をボコるも意外にいい奴だったキックボクシングのチャンピオン(余談だが、南先生は「本格的に格闘技をやっていた奴はチンピラでも話が通じる/善意で動くこともある」という描写が案外好きである。『なに友』のベンキ編に出てきたスズとか)とか、山岡一味に脅かされて雑用係にされてしまった地下格闘家とか、服装や髪型がいちいち「あ~わかるわ~」というディテールなのが嬉しい。登場人物の造形自体が、暴力の気配に満ちている。実際に環状族だった経験とそれを表現する画力がなければ、表現できないポイントである。

 これら登場人物に漂う濃厚な暴力の気配と、実際の暴力シーンの演出があるからこそ、逆説的に「一般人に擬態することができる」という佐藤の能力が強みとして立ち上がってくる点が本当にうまい。暴力の気配を消すことができるが実は最強の男である主人公を描くためには、まず暴力の気配が漂う人間たちをしっかり描写することが必要なのだ。このポイントをきっちりクリアしているからこそ、佐藤の強さが際立って印象に刻まれるのである。ゼンちゃんの描写で磨かれた、「最強の男」を描くテクニックの進化系といってもいいだろう。

 というわけで、『ザ・ファブル』がいかに暴力とその気配について敏感かつ真摯な作品であるか、わかっていただけただろうか。最強をいかに面白くカッコよく説得力をもって描写するか、プロフェッショナルと一般人をいかに描き分けるか……。環状族のケンカと青春を散々描いた後にこれだけ密度感のある挑戦を続ける南先生には、改めて脱帽である。映画が入り口でも、もうなんでも構わない。ぜひとも『ナニトモ』シリーズと『ザ・ファブル』を通読して、強さと暴力に対する解像度の高さに震えていただきたい。

■しげる
ライター。岐阜県出身。プラモデル、ミリタリー、オモチャ、映画、アメコミ、鉄砲がたくさん出てくる小説などを愛好しています。

■書誌情報
『ザ・ファブル』全22巻(ヤンマガKCスペシャル)
著者:南勝久
出版社:講談社

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