成馬零一 × 西森路代が語る、ドラマ評論の現在地【前半】:批評する人は本当のオタクではないのか?
悪魔の所業? 批評に対する罪悪感
成馬:僕の単著デビュー作が『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)っていう新書でした。今はリアルサウンド等のウェブサイトが隆盛なので状況はだいぶ代わりましたが、以前はドラマ評論を書ける場所がほとんどなかったので、女性アイドルやジャニーズアイドルをメインにしたドラマ記事を書くことで、自分が書ける領域を広げていったという感じです。はじまりが、ジャニーズアイドル関連の新書だったので、本人や事務所サイド、あるいはファンの人がどういう思うかを意識したら、筆が鈍るというか書きたいことが書けなくなると思って書いてきたのですが、軽い後ろめたさみたいなものは今もありますね。批評って褒めるだけでなく苦言を呈する行為でもあるので、書いたことで関係者に恨まれることもあると思うんですよ。でも、その可能性を引き受けているからこそ、書きたいことが書けるという側面もある。そもそも、批評という行為自体に罪悪感がないですか? 基本的に悪魔の所業というか、やってはいけないことをやってるんじゃないかという思いが常にあります。
西森:その罪悪感は常に持ってます。だいたいが、本人にインタビューしながら批評をするって難しいことなんですよね。例えば、批評を書く中で、俳優やアイドルの名前を敬称略にすること自体にも勇気がいりました。まずは、そこが批評としての第一歩って感じで。本人を目の前にしたことがあることと、批評をすることをきっちり分けることが、敬称略、つまり一線を引くことだと思って。私も前は関係者には文章を読まれたくなかったし、批評をするのは引け目があって。ただ、それが割とだんだん変わって、むしろ当人のサイドが批評というか評価を受け入れる感じになってきてて。ネットのPV数とかも本人のインタビューよりレビューのほうが多いということもある状態になってくるんですよね。例えば、ひとつの作品に関して、たくさんのインタビューを受け手も本人が語ることには限界があるし、もしも新たな言葉を引き出そうとしたら、インタビュアーがかなり工夫しないといけない。でも、作品評とか俳優の演技評だとそれを拡張してくれる感じがきっとあるんじゃないかと。
あと、少し前にライターの柳樂光隆さんが「インタビューは批評性がモロに出る印象ある」とツイートされていて、それは本当にそうだなって思いました。批評性なく何かを聞きにいっても、聞けることの限界があるんじゃないかなと。
成馬:『人志とたけし』の杉田俊介さんとの対談の中で西森さんは「今回の杉田さんの松本人志についての批評って、松本人志本人には届かないものじゃないかと思うんですよ」と言ってますが、逆に批評が本人に届いて、なんらかの影響を与えてしまうことに対しては、どう思いますか?
先に答えると、僕はあまり考えないようにしています。仮に読んでいたとしても読んでないと言って欲しいくらいで、場合によっては、届かない方が良いと思う時もある。たとえば『テレビドラマクロニクル』を宮藤官九郎に読まれたいかといったら、全身全霊を込めて書いたからこそ、あまり読まれたくないという気持ちの方が大きい。
西森:そうですね。それもわかります。なんか、本人に読まれるのが、こっぱずかしいというのもあるんですよね。読まれることを意識して書くのも嫌なんだけど、最近はそれを意識して書くしかなくなってる感じもありますね。
成馬:それはわかります。「Yahoo!ニュース個人」で書くようになってから、作り手の方から「読んでます」と言われる機会が増えて「こりゃ、逃げられないな」と腹をくくるようになりました。でも、知ってる人を批判できる程、心臓が強くないので、できるだけ交流は避けて、仮に読まれているとしても、気づかないフリをしてます(笑)。 個人的には、作り手と評論家は作品を通してのみ対話をしている方が良いと思っていて、そっちの方が、お互いにやりやすいんじゃないかと思うんですよね。
西森:私も最近、俳優さんや女性芸人さんに「読んでます」って言われることが多くて。ただ、自分のことを書いてるから「読んでます」というのではなく、割と興味が似ているのでツイートがRTされて流れてくるから「読んでます」ということもあるんだなと。あとは、リアルサウンドって、誰が書いたとかは覚えてないけど、「読んでます」ってことは多そうな気がしますね。
成馬:こちらが思っている以上に「批評に慣れてきた」ってことですかね。語られることや自分が読むことに。
西森:それと、やっぱりさっきのポン・ジュノの話じゃないですけど、監督って自分の手を離れたものがなんと言われようがかまわないし、それが自分の作品にもフィードバックされる的なことを言ってる人もいるわけじゃないですか。もちろん、レビューを気にして合わせるとかそういう次元ではなくですけど。
成馬:アニメでは新海誠がそういう感じですよね。『天気の子』は『君の名は。』で批評家や観客から浴びた酷評をフィードバックしたうえで作られていた。たしかにクリエイターには、そういう人が増えている印象がありますね。逆に『シン・エヴァンゲリオン劇場版:II』のように、みんながネタバレを気にして、SNSで黙りすぎたことで失速してしまう事例も出てきている。
西森:確かに、作品について語ってくれることが口コミにつながるからこそ、その始まりとなる批評が欲しいということもあるかもしれないですね。公式側もそれを知ってるんじゃないかって感じがするんですよね。ちゃんと批評されることが盛り上がりにつながる。もちろん、今でも誰でも書けるようななんの面白味もないレビューを書いて欲しがる宣伝とかもあるわけですけど、そんな文章、今どき誰にも読まれないんですよね……。
成馬:誰かに健全な燃料を投下してほしいってことですかね。その点に関してはポジティブな気持ちで書いているかも。リアルサウンド映画部で毎年のドラマベスト10について年末に書いているのですが、基本的に1位の作品は、自分が推したいものに光を当てたいという目的で挙げています。たとえば2019年は『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)と並んで『本気のしるし』(メ~テレ)を1位に挙げたんです。2020年に映画化されて以降は、多くの媒体で取り上げられるようになりましたが、当時はまだあまり知られていなかったので、1位にすることでより多くの人に知ってもらいたいと思ったんですよね。これは批評の役割だと思ってます。
西森:深田晃司監督は、批評を批評として受け取ってくれてる印象がありますよね。私も批評のポジティブさってそういうことだと思います。だけど、国内の大きな映画賞は、海外の評価とすごく離れてるじゃないですか。海外で評価された邦画と、国内で評価される邦画がぜんぜん違うラインナップになってしまう。韓国の映画賞はそれがけっこう同じなんですよ。韓国の最大の映画賞である青龍映画賞の作品賞を振り返っても、『弁護人』『タクシー運転手 約束は海を越えて』『1987、ある闘いの真実』『パラサイト 半地下の家族』などがあって。国内のしっかりした評価があったからこそ『パラサイト』の世界的な評価につながったんだなって実感しますね。視聴率や興行成績にかかわらず批評的な視点で選評をすることって重要なのではないかなと。いい映画が埋もれてしまうのは、業界のためにもならないんじゃないかなって。