翻訳者・土屋政雄に聞く、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの言葉選びと創作姿勢

翻訳者・土屋政雄インタビュー

 カズオ・イシグロの6年ぶりの作品であり、2017年のノーベル文学賞受賞後第1作となる『クララとお日さま』は、AI搭載の人型ロボット、クララが主人公だ。クララは、14歳の少女ジョジーのAF(人工親友)として購入される。彼女は幼なじみのリックと将来を約束しているが、病気を抱えていた。クララは、ジョジーがリックとの永遠の愛を成就できるように献身的な冒険をする。

 世界的に待たれていたこの新作の日本語版を担当したのが、『日の名残り』(ブッカー賞受賞)を手がけて以来、『わたしを離さないで』、『夜想曲集』、『忘れられた巨人』といったイシグロ作品を訳してきた土屋政雄氏である。SF的設定で独特な言葉遣いもされている『クララとお日さま』の翻訳について、イシグロの創作姿勢について、土屋氏に話を聞いた。(4月15日取材/円堂都司昭)

はじめて届いた“翻訳者へのメモ”

――カズオ・イシグロの新作小説のテキストが届いたのは、いつくらいでしたか。

土屋:イシグロさんがいうには一昨年の4月くらいに書き上げたけれど、それを読んだ奥さんと娘さんから厳しい指摘があって、これでよかろうという形になったのはようやくその年末だったらしいです。日本にテキストが届いたのは昨年2月くらいでしたが、ちょっと目を通してから私が病気で入院してしまって、3月に手術して、退院後に翻訳を始めました。

――届いた原稿に追加の修正が入ったりしましたか。

土屋:いよいよ翻訳していいという知らせがあってから1回、訳し始めて第一部が終わるくらいにもう1回ありました。内容を大きく変えるものではなくて、名詞を代名詞に変えるとか、句読記号を変えるとか、その程度の変更です。また、以前にはなかったことですが、昨年6月後半にイシグロさんから、こういうことに気をつけてくださいと、翻訳者へのメモというものが来ました。

 1つは、クララ語についてです。できたてのAIであるクララには、会話などの知識は一通り組みこまれていても、社会へ出て目にする事物とか対人関係では知識にいろいろと穴があります。ですからまだ知らないものについては、何か目にするたびに1つ1つ自分で名前を与えていきます。それはクララだけが使う言葉なので、作品を通して他の登場人物が使うことはありません。翻訳者へのメモでは、そうしたクララ語の例がいくつか示されていました。

 例えば「RPO building」という言葉もその1つで、ほかにやりようがなくて「RPOビル」と訳しました。読者はこれをそういう名前のビルとして何気なく読み飛ばしてしまうでしょうけれど、たぶん、クララだけにわかる何かの意味が「RPO」にはあるはずなんです。「sharp pencil」も、たぶんクララ語の1つでしょう。作中ではジョジーが絵を描き、隣家の子リックと吹き出しゲームをしています。そこで使うのが「sharp pencil」です。たぶん色鉛筆のようなものかと思いますが、やけに尖った鉛筆だなとクララには見えたのかもしれません。ほかの国ならいざ知らず、日本では絶対にこれを「シャープペンシル」とは訳せません。思い悩んだあげく、トランプ大統領がハリケーンの進路予報図に勝手にシャーピーで被害予想範囲を書き加えたという話が頭に残っていたので、それを使わせてもらって「シャーピ鉛筆」としました。「oblong」という言葉もよく出てきます。携帯電話やタブレットを意味するだろうことはわかりますが、これを例えば「長方形」という訳語で押し通せるかと考えたとき、どうもその自信がなくて、結局「オブロン端末」と訳しましたが、ちょっと親切に訳しすぎたかという思いがあります。

 クララ語は、一般の読者にはちょっと聞き慣れないながら、意味がピンとくる訳語でなければならず、しかもいったん決めたら作品全体をそれで通してください、というのがイシグロさんからの指示でした。しかし、イシグロさんがクララ語の例としてあげていた言葉には、これがどうしてクララ語なの?と問いたくなるものがいくつかあって、例えば「passer-by」です。普通の英和辞書にものっているごく普通の言葉で、「通行人」を意味しますし、文中でもそのような意味に使われています。どう考えてもなぜクララ語であるのかがわからず、申し訳ないながら勝手にクララ語から外させてもらいました。そんな言葉がいくつかあって、『クララとお日さま』で目につくクララ語は、たぶん英語版に見るはずのクララ語よりやや数が少ないかもしれません。ただ、本が出版されて1月半後のいま思うに、クララにとっての「passer-by」とは、ただの通行人ではなく、ショーウィンドーにすわる自分の目の前をどんどん通り過ぎていく人々のことだったのかもしれないと思います。

――これまでのカズオ・イシグロの翻訳で、今回ほど細かい指示がつけられていたことは。

土屋:なかったですね。

言葉から広がる作品の世界観

――クララ語以外にも、この作品の社会で使われている独特の言葉があります。

土屋:作品の舞台となる時代では使われているけれど、現在一般的ではなくて、聞くと、ん? となる言葉ですね。会社勤めをしていたジョジーのお父さんは職場で「substitute」されます。たぶん、AIで「置き換えられた」のでしょうね。この時代の子供たちの一部は「lifting」と呼ばれる向上処置を受けています。知能を高めるための遺伝子治療か何かでしょうか。そもそもAF=「artificial friend」が、この社会特有の言葉です。

 この小説を最初に読んだ時、子どものための本なのかなと思いました。こっちの思いこみもありますが、AIというと機能がかなり進んでいてなんでも知っているようですが、読んでみると雨でビルの壁面が濡れている風景について「屋根の隅からジュースでもこぼしたのか」などとある。どこからこの表現がくるのか、我々との認識のギャップというか、あれ? と思うところがたくさんありました。翻訳してみるとクララはまだ生まれたての赤ん坊みたいなもので、お日さまには死んだ人を蘇らせてくれる力があると思いこむ。そんなことを簡単に信じるのはどうなのか。でも、自分が太陽光で動いているのだから、そう思うようになってもおかしくないかもしれないな、と納得しました。生まれたてのAIが経験を積んで成長していく。人間の子どもと同じなのかなと感じました。

――ですます調で訳されていますが、童話調を意識しましたか。

土屋:それは意識しませんでした。子ども向けなのかとは思いましたけど、翻訳者としては原文から受ける感じをそのまま書くので、童話であろうがなかろうがかまいません。ですます調については、自然にというか、このほうが翻訳しやすい気がしました。イシグロさんからのメモには、ウェイターがお客さんに話すような口調で、接客風でと書かれていましたからですます調しか選択肢はなかったんですが、メモが届いた時にはもう訳し始めていました。だから、ちょうど方向性があっていたということです。

――『Klara and the Sun』の「the Sun」を「お日さま」にするのは最初から決めていたんですか。

土屋:早川書房の編集のかたから「クララと太陽」でいいでしょうかと提案されたんですが、私は「クララとお日様」を考えていますと答えました。「様」と漢字で書いていたんですが、編集者が外への広告で「お日さま」とひらがなで書いてしまった。すみません、今度訂正しますとメールをくれたんですけど、いや、ひらがなのほうがいいなと、こちらにしました。

――今となっては、これ以外の表記は考えられないです。よくハマっていると思います。

土屋:日本にはお日さま信仰、お天道さま信仰があるから、受け入れやすいかもしれません。

――新作は独特の世界観だったわけですが、イシグロの過去の作品と比べて文体や表現の変化はどうでしたか。

土屋:申し訳ないんですが、翻訳者としては、というか翻訳者だからかな、実際に訳す際に文体ということを気にしないんです。目の前にある英語の原文を日本語に直すだけなので文体とかを考える余裕がない、考える手間をかけないというか。私は文学的な素養がなく、文学史も知らなくてそっちへ関心を向けたこともありません。今度の作品に関しては、イシグロの注意書きにもあったようにクララに関しては多少不自然でありながら、意味は明瞭でなければいけない。それが文体ということに関係するのかもしれません。

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